第二章 ホーホケキョはまた別のやつか

第7話 「貧乏性ではないのです」

 放課後。

 クラスメイト達がまばらに立ち上がり、部活動に向かったり遊びの予定に付いて話し合っている。明日どうしよっかー。休みだし遠く行っちゃおっかー。

 僕はぼんやりと蛍光灯を視界に入れつつ、大きな欠伸を噛み殺していた。


 昨日は眠れなかった。あの屋上での出来事に胸が高鳴って、なかなか寝付く事ができなかったから……というのは嘘である。ぐっすりだった。


 冷静に考えてみれば夢のような出来事だった――それほどまでに幸福な出来事だったという訳ではなく、何と言うか、非現実的でふわふわしていた。漠然と、流れと雰囲気だけで話が進んでしまっていた。


 だから、枕に後頭部を預けつつ、結局何がどうなったのか、僕と古賀さんは一体どういう関係になったのか、ということを整理していたら――瞼を開くと朝だった。


「ふぁあ」


 もう一度、大きな欠伸。今度は隠さず、むしろ口をこれでもかと開けて。どうせ、僕に注目している人間なんていないのだから。


 だからこれは、寝不足と関係なく、ただ眠いだけ。

 季節の変わり目、段々と暖かくなっていく。夏の暑さは不愉快なだけだが、春の混ざったこの季節は心地よく暖かい。程よく眠気を誘ってくれる。


 ……まあ、どの季節も等しく眠いのだけれど。

 でも今は、ざわついたクラスの喧騒が程よく眠気を煽っていた。


 くすくす、と。

 そんな小さな笑い声が喧騒をかき分けて、まどろんでいた意識に触れた。


 思わずそちらに首を向ける。口元に手を当てた古賀さんが、特徴的な垂れ目を細めていた。


 そんな大きな欠伸、どうして隠さないの?

 多分そう言いたいのだろう。しかし、声を掛けてくることはない。


 これは、昨日二人で決めた取り決めの一つだった。

 クラスでは必要以上会話をしない。とりあえずは、今は、今までと同じ。あくまで仲がよくも悪くもない、ただのクラスメイトとして関わること。


 これに関しては僕も異論はなかった。

 全く関わりの無かった、日陰者の二人が急に親しくなれば、変に目立ってしまう。邪推をされてしまう。いわゆる陰キャとかコミュ障と呼ばれる僕たちにとってはそれは好ましくはない状況だ。


 まあ、それだけならまだいいのだ。

 悪目立ちしたことによって、僕たちのこの奇妙な関係性が露呈してしまう可能性があるのである。


 自殺をしないために彼女を作ろうとする僕と、それを阻止するため、自分を惚れさせる方法を教えてくれようとしている彼女。

 これを知られるのは……かなりまずい。何がどうまずいか思いつかないが、だからこそまずいと言えるだろう。


「……うん」


 僕も何も言わず、ただ小さく微笑み返して、鞄を持って立ち上がった。。微笑もうと意識して表情筋を動かしたことは今までで一度もなかったから上手くできたかは分からないが、ともかく僕は微笑んで見せた。


 椅子を直しながら、一度横目で古賀さんを見た。リュックサックの中に腕を突っ込んで、中身をごそごそとまさぐっている。筆記用具の類を持ち運ぶにしては随分大げさなリュック、しかし新しく物を収納する余裕はほとんどないように思える。一体何を持ち歩いているんだろうと思いつつ、じゃれ合うクラスメイト達の脇を横切り、僕は教室を後にした。


 向かうのはもちろん、屋上である。



*



「デートをしましょう」


 古賀さんはやや遅れて屋上にやって来た。


 なかなか姿を現さないものだから、屋上に集まるという約束をすっかり忘れてしまったのかと不安になっていた僕は、やっと現れた古賀さんにやたらと大げさな仕草で手を振ってしまった。


 古賀さんはからピクニックのストロベリー味とコーヒー味を取り出して「どっちがいい?」と訊ねた。僕は少々迷ってから「コーヒー」と。差し出された立方体の容器を受け取ると、結露が掌を濡らした。どうやら僕のためにわざわざ一階の自販機で買ってきてくれたらしい。


「……ありがとう」


 突然の好意に狼狽えながら礼を言うと、彼女はストローを抜き取りながら「まいど」とはにかんだ。


「それで……デートって?」


「……一樹くん、デートも知らないの?」


 それは流石に引くわー、と古賀さん。

 眉を露骨に下げて、変な形にゆがめられた目で僕を見やった。


「いや、流石にそれくらいは分かるよ……」


「はは、冗談だって」


 古賀さんはストローを容器に刺しこむ。ぷつ、と、ストローと差し込み口の隙間か

らわざとらしい薄桃色のしずくが現れた。


「ちょっと失礼」


 そう断りを入れてから、古賀さんはその薄桃を舌先で舐め取った。

 薄桃のしずくが、それよりも少し赤みがかった彼女の舌先で舐めとられて、真っ赤な唇の向こうに消えていく。僕はその様子を、古賀さんに気付かれないように視界の端で見ていた。


「これ、下品だと思います?」


「いや……別にそうは思わないけど」


「かな?」


「ケーキのフィルムに付いたクリームとか、スプーンでかき集めて食べるよ」


「あ、ほんと?」と、古賀さんは目を輝かせた。「それわたしもだ。アイスの蓋は?」


「もちろん」


「だよねだよね。それをしないのって、なんていうか、気取ってるよね。小市民ならやって普通」


 僕もピクニックにストローを突き刺す。茶色の液体がストローの隙間から漏れ出す。


 ……ただ、僕は人前でそれらのことをするのには抵抗がある派の人間だった。しかし今の会話の流れ上、ティッシュで拭き取るということはとてもじゃないけれどできなくて、仕方なしにそれを舐め取った。それを見て、古賀さんは満足そうに頷いた。

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