第5話 「チョコミントやポッピンシャワー」

「つまり、わたしが一樹くんの恋をサポートしてアドバイスして彼女ができるまで導いてあげようと、そういうことだよ」


 古賀さんは唐突に立ち上がると、フェンスの向こう側に広がる空に身体を向ける。

 世界はまだ明るく眩しいままだった。随分と時間が経った気がする。そうでもない気もする。夏に差し掛かると日が落ちるのが遅くなるから、時間の経過が分からなくなる。


 いろんなところから楽器の音がまばらに聞こえていたのが、今は一か所から“音楽”が奏でられていた。しかし少し意識を向けてみると、曲の一部分を繰り返し繰り返し演奏していることに気が付く。まるで時間が巻き戻さてそこから先に進めなくなっているようだった。


「……ちょっと、一樹くん、聞いてる? ぼーっとしちゃって」


 振り返って、まだ座った姿勢の僕を見下ろした。「……あ、うん、聞いてるよ」。曖昧に頷いて彼女の顔を見上げた。聞いているからこそ、この反応なのだ。


「あ、今スカートの中覗いた?」


「……覗いてないよ。そもそも見えないし」


 古賀さんのスカートは他の女子と比べて随分と丈が長い(つまり校則の通りの長さ)。この程度の高低差では覗こうと思っても中々難しい。


 スカートを短くしても、髪色を明るくしても、派手なパーカーやカーディガンを羽織っても見過ごされるこの学校で、古賀さんのような“普通の格好”の女の子は逆に珍しい。


 だからこそ古賀さんは浮いているのだろう。

 周囲と会わないから普通の格好をしているのか、普通の格好をしているから周囲に馴染めないのか、それは分からないけど。


「見えないしって、見ようとはしたってこと?」


 悪戯っぽくはにかむ古賀さんを無視して僕も立ち上がり、外の景色に身体を向けている彼女と逆にフェンスに背中を預ける。ぎっと軋む音が鳴るが、大きくたわんだりはしない。


「言っておくけど、一樹くんに断る権利はないからね? だって、そしたら死ぬんでしょ?」


「断るけど自殺はしないって言ったら?」


「嘘かも知れない」


「……そのプロデュースを引き受けたうえで自殺するって可能性は?」


「それはしょうがない。でも、これはわたしを安心させるためでもあるんだよ」


「……どういうこと?」


「このままほったらかしたら一樹くんが死んじゃうかもしれない、でも“童貞脱出大作戦”の最中ならきっと死なないはず。一樹くんが引き受けてくれたのなら、わたしはそう考えることができます。一樹くんの自殺に怯えなくて済むのです」


 古賀さんは、口元だけで笑って見せて、視線を落とした。そして声のボリュームを落とし、続ける。


「だから、ね、引き受けて」


 落とした視線を、彼女はすぐさま僕に向けた。

 たれがちなその瞳は、うるんで、揺れて、並々ならぬ感情が籠っていることに気が付く。古賀さんの言う「わたしが安心できるから」ではない、もっと訴えかけるような感情。一体どうしてそんな目で見るのか――その理由が僕には分からなかったけれど、しかしそのことに気が付いてしまっては、もう首を振ることなんてできなかった。


「そういうことなら……しょうがない……」


 不承不承、僕が頷くと、古賀さんはぎゅっと目を瞑った。瞼が押し上げられると、彼女の目からあの情念は消えていた。そしてわざとらしいガッツポーズを取って、「よし、一樹くんに何かをお願いするときはこういう言い方だね」と悪戯っぽく笑って見せた。


 笑ってそれに応じながら僕は、どうせ上手くいかないだろうな、と考えていた。

 どうせ上手くいかない。これは僕がネガティブなのとはまた別の話で、そもそも僕には彼女を作ろうとかそういう気がないのだから。でもこういうのも悪くはないのかもしれない、とも考える。


 この作戦は無駄に終わるだろうけれど、女の子と一緒に色々としてみる、ということは、なんだか青春っぽい。告白した女の子に、彼女を作る協力をしてもらうというのも、なかなか珍妙な体験だ。


 死ぬ前の最期の経験としては、うん、なかなか悪くはないのではないだろうか。

 とりあえず今はこれを楽しんで、残りの人生をこれに費やして、そして二年弱、高校を卒業して古賀さんとの縁が切れたら一人誰にも知られず死ぬ。こういうプランも、悪くない。


「じゃあ、まずは相手を決めないとね」


 そんな僕の考えもいざ知らず、古賀さんはにんまりと口元をゆるめて、「気になる子、誰?」と訊ねてくる。その姿は、恋バナをする女子高生そのものだった。やっぱり、女子というのは皆こういう話が好きらしい。


「あの、古賀さん、だから僕は好きな人がいないんだって……」


「うん。でも、気になるって子はいるでしょ? 恋愛的に惹かれてなくても、漠然といいなーって感じたり。もうちょっと具体体に言えば、持ってる筆記用具のセンスがいいな、とか、そういう感じの。……なんて言うか、個性が目に付いた、っていうの?」


「個性が目に付いた……」


「そんな難しく考えなくていいんだよ。良さそうな子。サーティワンでアイス選ぶときみたいに、『あっこれいいな!』くらいの気持ちで。誰かいない?」


 良さそうな子。


 可愛い子なら、何人か思い当たる。ちょっとウェーブ掛かった髪をツインテールにして、毛先を明るく染めていた……田京さん、だっけ。彼女は一年もクラスが一緒だったから覚えている。……そういえば明るく染めた毛先、いつの間にか元に戻っていた。流石にあれは怒られたのかもしれない。


 僕と同じ席の列の先頭の子も、可愛いのだろう。いや、可愛いというより綺麗なのか。身長も僕とほぼ変わらないくらいの、誰もが思い浮かぶ美人という感じ。黒髪ロング、目は切れ長で、鼻も高い。


 ……でも、なんか違うな、と思う。

 おいしそうではあるとは思う――ヘンな意味じゃなくて、サーティワンの例えに便乗すれば、彼女らはおいしそうに見える。


 でも、なんか違う、気がする。

 可愛くて、綺麗で、でも引っかからない。だから引っかからない。

 彼女らは例えるのならバニラやチョコやストロベリー味で、おいしい、おいしいんだけど、普通においしいだけというか、味わって店を出た後、「おいしかったなあ」と感想を抱くことはなく、「また食べたいなあ」と思い返すこともない、そんな感じ。


 僕の考える恋愛感情ってのは、それとは違う。バニラやチョコをおいしいと思うのは、例えば女優やモデルに好きと思うのに近くて、恋愛感情っていうのはもっと引っかかるものなのだと思う。自分の感性の出っ張りと相手の女性の個性が引っかかる、そういうイメージだ。


 ……恋愛経験なしが何を言っているんだ、という話ではあるけれど。

 でも、その考えに基づくと、僕の気になっている人は……。


「古賀さん」


「うん?」


「古賀さん」


「……なに?」


「いや、だから古賀さんだよ。僕の気になる人は、古賀さんだよ」


 そういうことになってしまうだろう。

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