仕事のあと 「Seraphは党首が帰ってくるのを待っている」

「やあ」


と明るい声が肩越しに聞こえた。

 それがあまりにも当たり前の様に聞こえたから、彼もまた、当たり前の様に振り向いた。

 そしてやあ、と彼はその相手に言葉と笑みを返す。

 相手は、この場所にふさわしく、たっぷりとした布地の服をまとい、日除けの布を頭からかぶり、太い紐を束ねたような輪でそれを止めていた。そして彼の斜め前に立つと、まるで昨日別れた相手のように、声をかける。


「座っても、いいかな?」

「どうぞ。聞くのはあんたらしくないね、イェ・ホウ」


 Gもまた、相手同様の格好をしていた。

 違うと言えば、重ねた服の、微妙な色合いくらいのものだろうか。高温で湿度の少ないこの地域では、体温を保ち、焼ける様な日射しから身を守るために、服は全身を覆うつくりになっていた。

 その惑星の中では比較的都会であるその街では、屋外の、乾いた涼しい風が通りすぎる一角は、人々のたまり場となっている。

 そして人々は、大陽が中天にある時間をそこでやり過ごす。ジョッキになみなみと注がれた飲み物は、濃く、甘い。

 基本的に彼は甘いものは苦手だったが、やや酸味の混じるこれは、この場所で呑むと不思議とさわやかささえ感じさせた。

 つまりそこは、人工惑星の中でもなければ、中華料理店の中でもなかった。

 彼等は、そこから七星系ほど離れたハリ星系の居住惑星ミントに居た。

 約束をしていた訳ではない。あの人工惑星から脱出する混雑の中で、その姿を求めることは難しかった。彼は連絡員とその時は行動を共にした。内調の集団は、そこからの消息を聞かない。

 彼は次の仕事までは、所属する組織からも目が届かない場所に居るのが常だった。連絡員が彼を探し当てるまでが、彼の休暇のようなものだった。

 騒がしい街角。目がくらむ程の日射し。青い空。白い壁。乾いた風。遠くの祈りの声。女性の姿は見える範囲には何処にも見あたらない。このあたりでは、女性は黒い布で顔をくるんで滅多に外に出ないのが普通だ。

 そんな街の中で、彼に声を掛ける者も多かった。だがそんな輩には、丁重に笑顔と、時には腕で、できるだけ穏やかに彼は「お断り」をした。

 休暇なのだ。休暇であってほしかった。

 だから、そう簡単には連絡員にも見つからない場所を選んだし、……見つかるなら、それは……


「無事でよかった」


 彼の隣の椅子に腰を下ろしながら、イェ・ホウは言った。Gは首を軽く傾け、苦笑する。


「何言ってるの、俺がそう簡単に死なないことくらい知っているくせに」


 ふふん、とイェ・ホウはテーブルについた両手を組み合わせ、口元を緩めた。ああやっぱりこういう辺りは好きだなあ、と片肘をついたGは思う。所詮自分はこういう部分には弱いのだ。

 給仕が陶製のぶ厚いジョッキを二つ持ってくる。中には白い液体がなみなみと注がれていた。中に入った氷が、揺れて音を立てる。


「いい青だろ」

「いい青だね」


 そう言うと、彼等はジョッキを合わせた。こん、と響く音が、日射しの中、ざわめきの中に溶ける。


「結構探した?」

「いや。そう長くはかからなかった。だけどここに入り込むまでに時間がかかったけど」

「さすがだね」


 Gは目を伏せる。


「うちの連絡員も、そう簡単には見付けないというのに、そっちの情報網は、優秀だね」

「うちの情報網とは、関係ないさ。これは俺の問題だ」


 イェ・ホウはジョッキを一口あおる。だが喉が乾いていたらしく、一口は二口になり、半分くらいをホウは一気に飲み干した。口の端からほんの少し、白い液がこぼれるのを、袖口でぬぐう。Gはその口元を眺めながら、次の言葉を待った。そしてやはり、そこには予想された言葉があった。


「いつから、気付いていた? G」

「爆発があった時から。あの仕掛け方は、うちのマニュアルにもあるけど、ああいう方法は、俺が、奴から教わった方法だ。うちの連絡員は、そういうのが上手い」

「キムという名で通っている彼かい?」

「そう。いい奴だよ」

「そうらしいね。実にいい腕をしているさ」

「奴が追っていたのは、うちと敵対する組織の幹部だと言っていた」

「そうらしいね」

「あん時、エビータの前に銃を撃ったのはあんただろ?」

「……」

「あんたが、Seraphの幹部だったとはね、イェ・ホウ」

「俺がうちのその位置にあることは、君がMMの幹部であること程の価値はないね、G」


 やはりな、と彼は苦笑する。

 当たり前の様に口にするその名も、既に相手は判っていたのだ。

 こんな世界に居ると、それはごく当たり前のことなのだ。判っていて、別の名を口にする。それはごく当たり前のことなのだ。なのに、おかしなくらいに、彼はそれが胸を焼き付かせるのを感じていた。

 だが、そんな彼の表情の微かな変化に気付いたのか、イェ・ホウは手を伸ばし、彼の顔をくっと自分の方へ向けさせると、穏やかな声で言った。


「だが間違えないでくれよ」


 Gはその手を振り払おうとする。だが、それは出来なかった。空いている手が、今度はさりげなく彼の両手の自由を奪っていた。長い、ゆったりとした服に隠れて、その様子は、周囲からは見えない。

 さわ、と掴まれた顔に、乾いた風がよぎっていく。遠くで祈りの声が聞こえる。そんな時間なのだ。異教徒も多数混じっているから、それは強制ではない。地面にひれ伏すこともなく、こうやって、昼下がりを楽しんでいる者も多いのだ。

 そんな穏やかな時間の中では、彼等の行動を気にする者はなかった。この場は、そういう場なのだ。穏やかな、この時間さえ守ってくれるのなら、それは。


「知っていたさ。ずっと」

「……え」

「俺は、ずっと、君を知っていた」


 どういうこと、と彼は口を動かす。ずっと前から、自分の存在は、Seraphに筒抜けだったというのだろうか。


「そして、待っていた。君があの場所、あの時間に現れるのを」


 彼は頭を軽く振る。髪を覆っている布が、揺れる。その拍子に、掴んでいた手が、彼の顔からするりと抜けた。彼は目をやや細めて相手の顔を見つめる。


「そして、俺があからさまな感情をあんたにぶつけるのを、見て楽しんでいた?不覚だったよ、かなり」

「そういう意味じゃない」

「どういう意味だよ……」


 彼は首を横に大きく振り、目を伏せる。

 それでも、気持ちは嘘ではない。嘘ではないのだ。こうやって、交わす言葉の一つ一つが、彼の中に響き渡る。突き刺さる。どうしようもなく、動揺する自分が居るのだ。


「聞けよ」

「聞いてるよ」

「俺は君に前、この傷跡のことを言ったろう?」


 ホウは自分の背を示す。傷跡。そう言えば、確かにあった。背中に回した手が、気付いたその感触。


「その時、忘れられないひとがいるって言ったろう?」

「……言ったね。それがどうしたの」

「それが、君だ。君なんだ」


 彼は露骨に眉を大きく寄せた。何だって、という言葉が、音も立てずに唇を動かす。


「正確に言えば、未来の、君だ」


 Gは目を大きく広げた。それは。その事実は。


「イェ・ホウ……」

「ユエメイもそうだ。彼女もまた、少女の頃、君と会っている。彼女の旦那もそうだ。君に助けられたと言っていた」

「……」

「それが君自身を指すのか、君と関係のある何かであるのか、それを彼女は言った訳じゃない。だが、彼女もまた、彼女の過去において、未来の君と会っている。それは、彼女の過去において、事実なんだ」

「ちょっと待って……」


 Gは身体が震え出すのを感じていた。その震えを、掴んだままの手から感じ取ったのだろうか。ホウは握るその力を強める。


「それは……」

「君が、天使種であることは、俺は知っている。いや、Seraphのメンバーは、皆知っているんだ。それも、時間を越える、最高の能力を持った者であることは」


 彼は再び頭を大きく振った。無様にも、それ以外の行動を起こす術を身体が忘れているかのようだった。


「君の大切な、あの盟主は、時間を見通す力を持っている。それはそれで偉大な能力だろう。彼はその力でもって、その力を最大限に発揮して、この全星域を統一した。この存在の曖昧な『帝国』を作り上げたのは、結局彼であることは、君も知っているだろう?」

「……わかっている……」


 そして自分の属している集団の、別の存在意義も。取り戻した記憶の中には、それがきっかりと刻まれていた。


「だが彼は、時間そのものを飛び越えることはできなかった」

「……」

「だが君にはそれができる。問題は、世代ではないんだ」

「そんな…… こと……」

「君は自分ではどうにもならない、と思っている?」

「……そんな…… だってこの力は、俺がどうこう思って動くものじゃない…… 俺がどうしようもなく、危険になった時だけ、……俺の中の何かが、俺の身体を無理矢理動かすんだ」

「でもそれは、君が自分の中の力を認めていないからだ」

「……」

「自分の力を認めて、自分の中に居るものと、手を組むんだ。そうすれば、それは自分の力として、自由に使えるようになる筈だ」

「簡単に言うな!」


 彼は大きく手を振り払った。


「……それができるなら、俺は……」


 幾つかの、自分の流れてきた時間を思う。どの場所でも、彼は騒乱の中だった。自分が置かれたことで、騒乱は起きた。そしてその騒乱の中から、殆ど無理矢理次の時間次の場所へと、放り出された。それしか彼にはなかった。

 その進む場所は、既に決められていた。飛ぶ場所に、時間に、彼自身の自由は無かった。あの司令の、盟主の、予想される変数。自分はそれでしかなかったのだ。

 何度か、それを、覆したいと思ったのだ。だができなかった。

できなかったのだ。

 爆撃の中、あの少女と弟は、生き延びただろうか。


「……あんたに、何が、判る……」


 彼は離した両手を、テーブルの上で強く握りしめる。そしてその上に、顔を伏せた。


「そうだ。俺には判らない」

「そうだよ、あんたには判らない」

「だけど、俺に前を向くことを告げたのは、君だ。G。それは、俺の中で、確かにあった事実なんだ。そして俺は、その時から、ずっと君が現れるのを待っていた。俺だけじゃない。Seraphのメンバーは、皆、そうだ。いやそんな人間の集団が、Seraphなんだ」


 彼は顔を上げた。


「そしてSeraphは、党首が帰ってくるのを待っているのさ」

「……党首。その存在もはっきりしないじゃない」


 くす、とイェ・ホウは笑った。


「……Seraphの意味を、君は知っているかい?G」

「最高の、天使という意味だろう? 古い宗教の中で定められた天界のヒエラルキーの……」

「そう熾天使。……そして現在その党首は不在だ。いや、組織成立以来、党首の座は空席だ」


 それは、初めて聞くことだった。


「我々の組織は、党首が作った訳ではない。その逆だ。我々は、組織を作って、党首が、最高の天使が戻ってくるのを待っているのさ」


 イェ・ホウはそこで言葉を切った。

 その言葉の意味するものは、Gは何となく予想ができた。だが、その言葉の意味を理解するのは難しかった。いや、理解したくないのかもしれない、と彼は思った。理解したくないのだ、と彼は強く思った。


 だって。


 彼は思う。


 そんな馬鹿なことが。


 そして再び顔を伏せ、微かに、その考えを振り払おうとするかのように首を振った。


「……混乱させてしまったようだ」


 イェ・ホウは静かに言った。彼はその言葉に、今度は顔を上げようとはしなかった。ジョッキを取り上げると、ホウは残りを飲み干した。


「だけど、君が全く知らないままより、いいこともある。もうじき、その時は来るんだ。その時我々は、君が欲しい。我々は、君を必要としている。誰でもない、君が欲しいんだ」

「……我々、なのかい?」


 Gはゆっくりと顔を上げた。そして下から、のぞき込むホウの顔を強く見据える。


「あんたは、どうなんだ? あんたは、俺を欲しくないの?」

「欲しいさ」


 イェ・ホウは即答する。


「それはSeraphの幹部のあんたが? あんたの未来に?」

「それもある。だけど」


 視線が絡まる。大きな手が、自分の頬を包み込むのを、彼は感じていた。目をゆっくりと伏せる。胸の中が、焼け付く。


「あの宙港で、わざとぶつかった時から、何も知らない君をも、料理人の顔のまま、欲しいと思ったよ」


 痛みは、胸に焦点を当てて、まぶしい程の光となり、そこから火をつける。


「もう一度言ってくれよ。あんたが、俺を、欲しい?」

「何度でも」


 イェ・ホウは繰り返す。


「Gでなくても、サンドリヨンだったとしても、いつの時間の、何処で誰の顔をしていようが、俺は、君が欲しい。どうしようもなく、これは、本当に」


 緩んだ大きな布の下では、何が起こっても、誰も見えない。

 熱い風が、通り過ぎた。

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