第23話 女神様

「ここがK大かぁ! 何というか頭良さそう!」

「もうその台詞で頭悪いって言ってるもんだぞって、いったぁ!」


 K大キャンパスに足を踏み入れた加藤が大学の雰囲気に感嘆の声を上げると、すぐさま松崎がそれを茶化して加藤の平手打ちを後頭部に喰らっていた。


 ついさっき正門前で修羅場ってしまった影響で沈んだ空気も2人のコント染みたやり取りで笑いが起こり、重くなった空気が幾分か軽くなっている。

 いつもこの2人には助けられてばかりだと、良介の顔から苦笑が漏れた。


「えっと、さっきはごめんなさい」


 そこで志乃が松崎達にペコリと頭を下げて謝った。

 当事者である2人とは関係ない皆に申し訳ないと思ったんだろうが、志乃も被害者である。


「別に志乃が悪いわけじゃないっしょ!」

「そうそう! それにめっちゃ珍しいものも見れたし、ね!」


 加藤と神山が気にする事じゃないと言ってくれてホッと安堵した志乃であったが「珍しいものって?」と引っかかった単語に首を傾げる。


「だってー! 志乃ってばカッコ可愛いかったんだもーん! もう私が男だったら愛してたね、うん、マジで!」


 加藤に言われて初めて自覚したようで、志乃の顔がみるみる赤く染まっていく。

 田上に宣戦布告された時は気丈に振舞う事に気を取らていたんだろう。

 実際、これまでの志乃なら狼狽える場面だったはずだ。

 だけど、こうして改めて指摘されると思う所があったのか、両手を掴んでモジモジ絡ませて恥ずかしそうに俯いた。


「あぅ、あ、あれは……そ、その」


 何とか言い訳をしてニヤニヤと自分を見る加藤と神山の目を逸らそうと試みた志乃であったが、羞恥が遥かに上回りまともに言葉が出る事無く結局また良介の後ろに身を隠した。


「キャー! だからそれやめなさいって! 可愛いから!」

「いやー、大人の階段上って成長したと思ってたんだけど、まだまだ子供だねぇ」

「う、うっさいし!」


 抵抗を諦めた志乃が無理矢理に話題を遮って「ほ、ほら! 行くよ!」とまだ耳が赤く染まったまま皆をキャンパスに案内しようと歩き出すと、その後ろを加藤と神山が笑いながら続き、残りの男連中が苦笑いを浮かべ合いながら3人の後を追った。


「おぉ! 賑わってんなぁ!」


 メイン通りに着くと各サークルの様々な露店が軒を連ねていて、どこの大学も似たようなものだが、皆サークルの活動費を稼ぐという名目の元、とても活気に溢れていた。


「んー、まずは腹ごしらえからだな」

「だね! 何食べようかぁ」


 松崎と加藤が腹ごしらえだと露店を物色し始める姿を横目に、良介は志乃の手を取る。


「志乃、ちょっといいか?」

「え? でも、皆が……」

「悪い、松崎。ちょっと外すから適当に回っておいてくれないか? 直ぐに合流すっから」

「おう、お前達2人は遊ぶ前にする事あるもんな。先に行ってるぜ」


 2人だけ外れると言い出した良介に、松崎は訳も聞かずに加藤達を引き連れて露店巡りを始めた。


「えーっと、こっち」

「う、うん」


 辺りを見渡した良介が志乃の手を引いて講堂の脇に足を向ければ、志乃は抵抗する仕草も見せずに後を着いて行った。



「お、おい! あれ女神様じゃん!」

「うぉ! マジだ! つか一緒にいるオトコ誰!? 手繋いでんだけど、どういう関係!? まさか――」

「――いやいや! それはないっしょ! 何で女神様があんなオッサンと付き合うんだっつの!」


 やれやれ。新潟むこうで会ってる時はそうでもなかったんだけど、流石に大学生ばかりの場所だとやっかみが凄いな。

 実際、あいつらが言う事は間違ってないから反論出来ない。

 元々綺麗だったけど、バイトで読モを始めてから更に磨きがかかった美女と一緒にいるのが俺なんだもんなぁ。


 言葉を殺して苦笑して歩いてたら、急に掴んでいた志乃の腕がパッと払われた事に気付き足を止めて振り返ると、志乃が俺の事を罵倒していた奴らを睨みつけていた。


「ねぇ! 今なんて言ったの?」

「……え?」

「聞こえなかった? 今なんて言ったのかって訊いたんだけど」


 こんなに苛立ちを含んだ志乃の声を聞くのは初めてだ。

 この声だけでどれだけ俺の為に怒ってくれているのかが分かる。分かるし嬉しい気持ちも勿論あるけど、この先会う事ない人間なら兎も角同じ大学に通う学生相手に牙を向けさせるわけにはいかない。


「志乃いいから」

「良介は黙ってて!」

「あ、はい」


 って従ってどうすんだよ、俺!

 ああ、志乃が俺を置いて男達にズンズンと詰め寄っていく。

 ヤバい!ヤバい! 早く止めないと明日からの志乃の立場が悪くなっちまう!


「志乃! やめ――」

「――なんじゃ、お前等。みっともない野次なんぞ飛ばしてぇ! 自分からモテませんって言ってるようなもんじゃろうが! かっかっかー!」


 暴走しようとした志乃を止めようとした時、俺を野次っていた男達の背後からよく言えば渋い、悪く言えば枯れた声が独特な笑い声と共に聞こえた。


 男達も志乃も、そして俺も声をする方に顔を向けた先には――白衣を纏い白髪交じりに深い皺を作った風貌の男が、美味そうにたい焼きを頬張っていた。


「「塚本教授!?」」


 塚本教授。俺の恩師で東京こっちにいる時は時々飲みに連れ回される関係で、今は志乃の専攻先の教授でもある。

 相変わらず中途半端にアイロンがけされた白衣も、髪の毛と同様に白髪交じりの無精ひげも健在。うん、変わってないな。


「お久しぶりです、塚本教授」

「おう! 久しぶりの顔見せたかと思えば、女連れかい。いいねぇ若いモンはって、間宮はもう若いモンでもないか! かっかっかー!」

「年の話はいいでしょ!」


 顔を合わせる度に年の話になる。

 優香を失ってからはただ年を食って死んでいくだけだと思ってたから気にもしなかった俺だけど、こうしてまだ二十歳そこらの女の子を恋人に持った今では自分の年齢を気にするようになった。

 自分でも現金なものだと思う。


「こ、こんにちは。塚本教授」

「おー、我が大学の女神様」

「そ、それは止めて下さいって言ってるじゃないですかぁ」

「いいじゃねえかぁ。女神様なんてそう呼ばれる事じゃないぞ?」

「一生呼ばれたくないですよ!」


 K大の本試験当日、俺は塚本教授の元に出向いて志乃の事を宜しくと頼んだ事があったんだけど、今の2人の様子だと上手くやってるようで安心した。


「あ、ていうか、女神様って?」


 そういえば教授が現れて激おこの志乃から逃げて行った連中も『女神様』って呼んでたっけ。


「なんじゃ、彼氏のくせにそんな事も知らんのか」


 彼氏だからって何でも知ってるなんて思わないで欲しい。

 寧ろ、付き合いだしてからの方が知らない事が増えたんだから。

 付き合う前は色んな事を話して聞かせてくれていた。

 だけど付き合いだしてからの志乃は、俺に話す事を厳選している節がある。

 確認したわけじゃないけど、確信している。

 志乃は遠距離恋愛してる俺に余計な心配をかけてしまう恐れがある事を話さないでいる。

 嘘をついてるわけじゃないし、後ろめたい事があるわけじゃない。俺に気を使っているだけで他意はないんだろう。

 だからこそ、今回の田上の件は志乃の耳に入れたくなかったのに松崎が余計な事をしたばかりに、罪悪感が募って仕方がない。


「ワシもゼミの連中から聞いただけだから」と前置きして、教授は俺の知らない志乃の事を話して聞かせてくれた。


 教授の話によると、志乃はK大創立以来の絶世の美女だと入学早々に噂になったという。

 そこに期待の新人と噂になっていた岸田と付き合った事で、ビッグカップル誕生と騒ぎになったそうだ。

 だが、本当に志乃が注目を集めたのは岸田と別れた後の事だった。

 ある日を境に志乃の周囲への対応が変わったのだと言うのだ。

 同性はともかく、異性に対しては一定の距離をとり必要以上に表情の変化を見せてくれないというのが、K大内での志乃の対応だった。

 だが、岸田と別れたと噂が流れてからその定義が崩れたのだ。

 男に話しかけられても笑顔どころか表情の変化すら見せなかった志乃が、まともに受け答えする姿勢を見せた事で、今までのギャップのせいでまるで女神様に見えたという。

 1人そう声を上げると女神様という単語が一気に大学中に広がってしまって、今に至るというわけだ。


「なるほど、それで女神様、か」

「……ごめんね、良介。付き合えた事が嬉し過ぎて浮かれてて……。遠恋してるんだから余計な心配かけたくないから気を付けないといけなかったのに……」


「今は気を付けてるんだけど、変な名称が消えてくれなくて」と付け足す志乃に、嬉しさと申し訳なさが入り交じった。

話を聞く限り、志乃の周囲への対応が変わったのは俺と付き合う事によるものだろう。

要するに、嬉しくて舞い上がったという事なんだと思うのだ。


 晴れて恋人同士になれた事を喜んでいたのはお互い様だが、志乃には今まで立ち止まっていた分これからの大学生活を謳歌して欲しいというのが本音だ。俺にだって独占欲はちゃんとあるが、それと志乃の大学生生活とは切ってしかるべきだろう。

 なのに、志乃は遠恋している俺に余計な心配をかけまいと必要以上に気を揉んでいたのだ。

 つまり田上に言われなくても、志乃は遠距離恋愛がどういうものか分かっていたという事になるわけだが、気持ちは嬉しいが素直に喜んでいいものではないだろう。


 女神様か。周囲がそう呼ぶのも理解出来る。

 圧倒的な美貌をもち、俺にしか見せない慈愛のこもった表情以外にも、志乃の笑顔は性別関係なく染み渡るものがある。

 普段は親しい人間にしか見せないものだけど、浮かれてそれを見せてしまったのなら納得もできるのだ。


 俺の隣で申し訳なさそうにシュンと俯く志乃の頭に手を置いて、俺だけの女神様に思っている事を伝えよう。


「志乃、それは謝る事じゃない。志乃はこの大学生活という今後訪れる事がない圧倒的な自由な時間を、思う様に使っていいんだよ」

「で、でも!」

「うん。俺の事を気にしてくれるのは嬉しいけど、さ。それで志乃の可能性を殺してしまう事になる方が嫌だから」

「…………」

「大丈夫。俺は志乃事を信じてるから好きにやってみろって」

「…………うん」


 小さな返事と小さく頷く志乃に力強く頷いた俺だったが、この一言が後に後悔する事になるなんて知る由もなかった。

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