第22話 修羅場!?

 正門に現れた志乃は去り行く夏を惜しむ女神と名付けたくなるような姿だった。

 ニット生地のノースリーブサマーセーターの上に様ジャケットを袖を通さずに肩にかけている格好良さと、ストライプ柄のフレアスカートの可愛らしさが絶妙なバランスを保っている。

 誰でもというわけではない。着こなせる者を選ぶコーディネートで姿を見せた志乃の髪が少し秋を感じる風に、ふわりと動くダークブラウンの髪が整った顔を際立たせていた。


 志乃を美しいと評した事は何度もある良介だったが、目の前にいる彼女はいつもより洗礼されている出で立ちで、見慣れているはずの良介でさえ言葉を失う。


「あ、あれ? この恰好……変、かな」


 良介を筆頭に松崎や加藤達まで言葉を発しない事に不安を覚えたのか、志乃は恥ずかしそうに俯いて目の前にいる良介に問う。


「あ、い、いや! とても……その、綺麗だよ。うん、ちょっと綺麗過ぎて固まっただけだから」


 不安気な志乃に良介がそう感想を伝えると、周りにいる加藤達も同意だと首を激しく縦に振る。

 いつもファッションに気を付けている事はよく知っている良介であったが、今日の服装はこれまでの彼女のイメージを覆すものだった。

 というのも、お洒落が好きな志乃なのだが普段は極力肌の露出が少ない物を選んでいた。

 それは昔からの経験がそうさせている。

 ただでさえ、よく男に言い寄られる自分が露出の多い服装で出歩いていたらと考えれば、当然の配慮と言えるだろう。


 そんな志乃がジャケットを肩にかけているとはいえ、トップスがVネックのノースリーブを着ている事に良介は驚いた。


「えっと、これ撮影で着たんだけど、メーカーさんがそのまま着て欲しいってくれたんだ」


 と少し照れ臭そうに微笑む志乃に、また良介達の言葉が方々に旅立ってしまったのだが、言葉の旅は瞬時に終わる事になる。


「…………Shinoだ」


 田上がポソリとその名を呟く。


 その呟きに隣にいた良介の意識が田上に向いた。


「え? 志乃の事知ってるのか?」


 同じ発音だから良介が驚くのも無理ないが、田上が呼んだ名は『志乃』ではなく『Shino』だった。


「あ、あの! 読者モデルのshinoさん、ですよね!?」

「……え?」


 志乃の事をShinoと呼んだ田上は徐にスマホを取り出して、呼び出した液晶画面を志乃に向けた。

 画面には先月号に掲載されたモデルとしてのShinoの姿があり、着ている服はまさに掲載されているそのものだった。


 画面越しの自分の姿に驚いて目を見開く志乃を見た田上が、興奮気味に口を開く。


「あ、あの! 私、Shinoさんのファンなんです!」

「へ? フ、ファン!?」

「はい! まさかこんな所で会えるなんて! この雑誌に始めて掲載された時から凄く綺麗な人だなって思って、ネットで同じ服を取り寄せたり、Shinoさんと同じ髪の色にしたり……同じ髪型にしたくて今度カットに行くつもりなんです! あ! 握手してもらえませんか!?」


 ついさっきまでの決戦に挑むような田上の姿はもうこの場になく、まるで憧れの芸能人に遭遇したようなテンションで志乃にグイグイと詰め寄る彼女の姿に、志乃を含めた全員の目が点となる。


 そんな2人の様子を何事だと横目で見ている周囲の視線に気付いた志乃は慌てた様子で田上に向けて口元に人差し指を立てると、彼女も志乃が何を言いたいのか察して慌てて口を両手で塞いだ。


 自分が言いたい事を察してくれた志乃はホッと安堵の息を漏らし、塞いでいた田上の手をそっと掴んで両手で握手する。


「えっと、はじめまして。瑞樹志乃と言います」


 自分が読モをしている事に気付かれてから一方的に詰め寄られるだけだった志乃が、改めて本名を名乗る。


「あ! は、はじめまして! 先輩の同僚で田上たのうえ 悦子えつこと言います! いきなりすみませんでした!」

「い、いえ。ちょっとビックリしましたけど、気にしないで下さい」


 ついさっきまでグイグイと攻め込んでいたかと思うと、志乃にぺこぺこと頭を下げる田上の変貌ぶりに良介達の開いた口が塞がらない。


「ぷっ! あっはははは!」


 そこに本当に面白いものを見たと言わんばかりに大きな笑い声が響く。


「田上さん! 昨日の威勢はどこにいったんだよ!?」


 吹き出して笑ったのは松崎だった。

 昨日の打ち上げの席で困り果てる良介に強引にK大際に連れて行って彼女に会わせろと詰め寄った田上の豹変ぶりに、笑うのを我慢出来なかったようだ。


「うっさいですよ! まさか先輩の彼女がShinoさんだなんて思う訳ないじゃないですか!」

「つっても、昨日読モやってるって言ったじゃんか」

「あのですね! 読モって一口で言っても、ピンからキリまでいるんですよ! まさか今騒がれてる読モがいるなんて確率誰が予想するってんですかぁ!」


 言われて「確かにな」とクックッと喉を鳴らす松崎にジト目を向ける田上が続ける。


「でも! それとこれとは話が別です!」


 そう松崎に告げた田上はすぐさま志乃に向き直り、ビシッと指をさして宣言する。


「Shinoさん! いえ、瑞樹志乃さん!」

「は、はい!」

「私は先輩の事が好きです! Shimoさんのファンだけど、それとこれとは別ですから!」


 田上が良介に気があるのは誰の目には明らかであったが、こうして恋人である志乃を目の前にしても堂々と宣戦宣戦布告するとは流石に誰も予想していなかった。

 賑やかなはずの正門前が突如に静まり返る。

 それは周囲の人間も田上の宣戦布告が耳に入ったからだろう。


 そして、宣戦布告を受けた志乃が指差している田上の元に歩を進めようとする前に、すぐさま良介が2人の間に割って入った。

 良介のその行動が何をしようとしているのか瞬時に理解した志乃は身を隠す事をせず「いいよ、大丈夫」と告げて、良介を追い越して田上の前に立つ。


「安心しました」

「……安心?」


 そう告げられた田上が怪訝な顔で志乃に問う。


「私の見えない所でコソコソされるより、よっぽどいいという意味です」

「コソコソさえされなければ負けないって?」

「えぇ、他の事は分かりませんが、良介を想う気持ちは誰にも負けない自信がありますから。勿論あなたにも、です」


 以前の志乃ならば、恋人を盗られるかもしれないと涙目でオロオロしている場面だろう。

 だが、様々な事を乗り越えて結ばれた相手に対してだけはその限りではなく、どんな相手が立ちはだかったとしても『この気持ち』だけは誰にも負けないという自信が今の志乃を形作っていた。


「い、いくら瑞樹さんが先輩の事を想ってても、先輩の気持ちがどう変わるのかなんて分からないでしょ」


 田上の指摘はまさに正論だった。

 いくら自分の気持ちが確かなものであったとしても、こと恋愛事は相手がいて成立するものだ。

 志乃がいくら恋人の事を想っていても、想い焦がれる相手の気持ちがそうでないのなら志乃の宣言は成立しないのだから。


 田上にそう否定された志乃は不安気に振り返るのだが、その視線の先にいたはずの良介の姿がない。


「あの、さ。田上さん」


 気が付けば後方にいたはずの良介が志乃と田上の間に割って入っていて、この騒動を収めに掛かろうと田上に話しかけていた。


「先輩、今は返事はいりません。というか、返事しないで下さい」

「いや、でも」

「今日は私の気持ちを知ってもらって、先輩の恋人がどんな人なのか知りたかっただけなので」


「それよりも」と付け足した田上の視線が良介から再び志乃へ移る。


「先輩と付き合ってるのがShinoさんだとは流石に想定外だったけど、それが余計に理解出来なくなりました」

「どういう意味ですか?」


 田上は目の前にいる良介を横切って改めて志乃の前に立つ。


「なんで先輩なの?」

「言ってる意味がわかりませんが」


 田上は小さく息を吐くとこう言い切る。


「瑞樹さん、いえ――Shinoさんならわざわざ一回りも年が離れてて、しかも新潟に住んでる人と付き合わなくても、男なんてより取り見取りでしょ!?」

「違います! 良介の代わりなんて絶対にいません! 私は良介じゃないと駄目なんです!」


 志乃ほどの女なら男なんて選び放題だと言う田上の見解は正しいかもしれない。

 だが、それはあくまで普通の考えや経験をもつ人間だけで、志乃のような辛い過去を経験した者にとっては、良介のような文字通り体を張って導いてくれた男の代わりなど考えられないと言い切れる。


 志乃の過去になにがあったのか全く知らない田上にとっては志乃の主張は理解できるものではなく、怪訝な顔つきのまま首を傾げたのだが、志乃と良介をはじめ他の仲間達もその過去に触れるつもりは一切なく口を挟む者はない。


「口ではそう言っても、こと恋愛に限っていえば『距離』って障害は必ず2人の関係を壊します。これはどちらが悪いとかでなくて、仕方がない事なんです」


 そう話す田上の目に僅かに怒りの色が滲む。


「それは田上さんの経験談?」

「っ!?」


 目つきが一層険しくなった事で、良介の問いを肯定してしまった田上は深く息を吐いてから口を開く。


「そうですよ……。好きだの愛してるだの言っても、所詮男なんて好きな時にヤれない遠くの女より、身近にいていつでもヤれる女の方がいいんですよ! 先輩だってそうなんでしょ!? 」


 そう叫ぶ田上達がいる場所はK大正門前で、今日はK大際当日だ。

 当然人通りは多く、ついさっきの宣戦布告だけでも足を止める者がいたというのに、叫ぶ田上の話の内容に目を丸くして立ち止まる者がさらに増える。


 こんな真昼間にこんな場所で大っぴらに話す事ではないのは当然の事。


 松崎達は周囲の視線に気まずさを滲ませて、志乃も羞恥で良介の背後に周り顔を真っ赤に染めて身を隠す。

 だが、良介だけは気まずさもなく落ち着いた様子で柔らかく微笑んだ。


「俺はそんな男じゃないよ」


 良介が発したその一言に田上は忌々しそうな顔を見せたが、志乃を含めた仲間達は大きく肯定するように無言で頷いた。

 それは良介の過去を知る者なら当然なのだが、それを知らず被害にあった経験がある田上には到底信じる事のできない台詞だったのだろう。


「そこまで言うなら、私が言う事が正しいって証明してみせますよ」

「どうやって?」

「決まってます! これからも先輩にアプローチを続けて、必ず私に振り向かせてみせます!」


 堂々と略奪宣言する田上に川島が気を付けろと言った本当の意味を理解した良介は、背中に隠れている志乃の事が気になった。田上に宣戦布告を受けても凛とした姿勢を崩さずに立ち振る舞った彼女であったが、こんな修羅場に耐性などあるはずがない。

 背中から小刻みに震える志乃に気付いた良介が、さっきまでの柔らかい表情を瞬時に崩す。


「それ凄く迷惑だ。田上さんはどこまでいっても仕事仲間でしかない。あまりしつこいようなら、俺にも考えがあるよ」

「……どうするって言うんですか?」

「手段なら色々ある。例えばストーカー被害を出すとか、ね」

「なっ!? そ、それは大袈裟でしょ!」

「そうかな。逆に田上さんが好きでも何でもない俺が同じ事したら、どうする?」

「…………」

「そういう事だよ。もう一度言うけど、田上さんの気持ちは迷惑だよ」


 普段の良介ならトラウマになっていた優香の事を絡ませなければ、絶対にこんなキツイ言い方はしない。

 そんな良介がそう言い切ったのは間違いなく志乃の為であり、良介にとって志乃の存在がそれだけ大きいという証明でもあった。


「……と、とにかく、今日の所はこれで帰ります!」


 言って、田上は逃げるように良介達の元から離れていくのと同時に、足を止めていた周囲の人間の足が動き出した。


「志乃、ごめんな。こんな所で本当にごめん」


 立ち去る田上を見送る事なく良介は背中に隠れている志乃に向き直り、不安気に俯く頭にそっと手を乗せて頭を下げる。


「……どこにも、いかない?」

「ん?」

「……良介は私の傍にいてくれる?」

「当たり前だろ。俺は絶対に志乃を裏切ったりしない!」


 てっきり自分の想いを否定されて怒っているものだと思っていた良介だったが、田上の自分勝手な告白で不安な気持ちがそんな感情を上回ったようだ。

 有り得ない心配だと言いたい良介であったが、目の前で第三者の存在を目の当たりにすれば遠距離恋愛をしている立場である志乃が不安を募らせるのも無理はないと、良介は少し屈んで真っ直ぐに彼女の目を見て自分の飾らない想いを伝えた。


「……ん。ありがと、良介。私も絶対に裏切ったりしないから、ね」

「…………」

「良介?」

「あ、あぁ、うん。大丈夫、俺は志乃を信じてるよ」


 自分も裏切らないと言った姿がどこか儚げで、手を離せば音もなく消えてしまうのではないだろうかと思ってしまった良介は、どこにも行かせないと強く抱きしめたくなった衝動を抑え込んで平静を装った。

 志乃の言葉を信じていないわけじゃない。

 だが志乃の意思と関係なく、腕の中にいる彼女が遠くに行ってしまう。何故かそんなイメージが良介の頭の中に生まれた。

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