第8話 ご挨拶 act 1

 久しぶりの東京駅だ。


 誕生日に志乃に会いに来た時以来か。


 あの時はアポなしで突撃してあちこち走り回って結局こっちでは会えなかった。

 改めてこの東京で一人の女の子を探し出す難しさを思い知らされて、ずっと焦ってた。

 俺以外の誰かが志乃を手に入れてしまう現実に、完全に手放してから――どれだけ、志乃の事が好きだったのかを気付かされたから。


 俺が志乃を求めて東京に来た時、志乃は俺を求めて新潟に来てくれて――すれ違いながらも、俺達はお互いの気持ちを伝えあって晴れて恋人となった。

 もう誰にも志乃を奪われる事もないと頭では解っているのに、気持ちが付き合う前より志乃を求め続けてる。

 俺に会いたいと毎日言ってくれる志乃に、俺は格好つけて志乃の気持ちを遮ってきた。

 ホントはずっと一緒にいたいくせに、だ。


 だけど志乃の親御さんの気持ちを考えたら、そんなガキみたいな事は出来なかった。

 だから、きちんと御両親に挨拶をして正式に付き合う事を許してもらう為に、東京ここに来たんだ。


俺は1人ボストンバッグを手にA駅に向かう為に、乗り換えのホームに向かう。

 東京駅まで迎えに行くと言う志乃に家で待ってるように断ったのは、理由がある。

 それは今の俺の顔を見られたくないからだ。


 実は昔から俺は中々のあがり症なのだ。

 といってもずっとそれが続くわけではなくて、緊張する要因を前にした時は不思議なくらいに肝が据わる性格なんだ。

 だから、こうして御両親の前に立つ前の俺はガチガチに緊張してるわけで、こんなみっともない姿を志乃に見られたくないから断ったのだ。


「ふう……よし、いくか」


 少し震えていた手をギュッと握りしめて、俺は志乃が待っている自宅に向けて歩を進める。

 途中目に止まった洋菓子店があって手土産にいいかと思ったが、既に俺の手には紙袋が1つ。

 紙袋の中には、東京に向かう前に立ち寄って買った手土産が存在感を醸し出していた。


(うーん。手土産が1つじゃ駄目だなんて決まりはないんだし、いいよな)


 結局目に付いた洋菓子店でまた手土産を買ってしまったのは、全く冷静じゃない証拠なのだろうと心の中で苦笑する。


 挨拶をさせて貰いたいと頼んだ時、志乃のお父さんがすぐさま会ってくれると言ってくれた。

 だけど、それは俺だから――志乃を救った俺だからだろう。

 俺はあの一件を恩に着せようなんて考えは全くない。

 寧ろ今回の件には邪魔とさえ思ってる。


 考えが纏まらないまま、いつの間にか志乃の家の前に立っていた。

 時計で時間を確認したけど、時間も予定通りでこれ以上考えている時間はなさそうだ。

 仕方ないと小さく息を吐いてインターホンを押すと、間髪入れずに勢いよく玄関が開く。


(絶対に玄関口で待ってたな……)


 玄関から姿を現したのは恋人である志乃だった。

 華がパッと咲いたような笑顔で出てきた彼女だったけど、俺の顔を見て少し表情が曇ったように見えた。


「……ごめん、不謹慎だった。良介は私の為にこうして来てくれたのに」


 しょんぼりする志乃の言葉を聞いて、どうやら俺の顔色を見て勘違いさせてしまった事に気付いた。


「それは違うぞ、志乃。お前が思ってる事を考えてたわけじゃないから」

「……でも」


 俺がそう言っても素直に聞き入れない様子の志乃の後ろから「いらしたの?」と違う女性の声がした。


「……あ、うん」


 志乃がそう言って振り向いた先には、とても綺麗な女性がパタパタとスリッパの音と共に立っていた。


 俺は志乃からその女性に意識を変えて静かに頭を下げる。


「はじめまして。間宮良介です」

「いらっしゃい。こんな所じゃなんですから、どうぞ上がって下さい」

「はい、失礼します」


 以前住んでいたマンションから徒歩で行ける距離にある所で、志乃を何度か送って行った事もある場所だけど、こうして家の中に通されるのは初めての事で。

 家には長く住めば済む程に生活の匂いが染み込んでいくものだ。

 住んでいる人間は気付かないものだけど、他人が玄関を潜るとそれは猪突に現れて、自分がこの家では客人だと知らされる瞬間だ。


 脱いだ靴を揃えた俺は志乃の後について行き、通されたリビングにはソファーに腰掛けている父親がいた。


「やぁ、いらっしゃい」

「はじめまして、間宮良介と申します。本日はお忙しいところ時間をとって下さってありがとうございます」

「はじめまして、志乃の父で瑞樹拓郎です」

「母の華です」


 俺を迎えてくれた拓郎さんと華さんの表情が少し強張って見えるのは、多分勘違いじゃない。


「あの、今日はお二人にご挨拶をさせて頂きたくて――」

「――あぁ、志乃から大体の話は聞いてるよ。だけど、その前に私達からいいかな?」


 俺の話を遮ってまで2人が言いたい事に察しはついてる。

 その事に触れずに挨拶をしたかったんだけど、こう言われてしまったら無理だろうな。


「……はい」


 そう返事をすると、拓郎さんと華さんはその場で膝をついて頭を深々と下げた。


「ちょっ!?」


 話したい事の内容は解っていたけれど、まさか土下座なんてされるとは思わず、俺も慌てて膝をついた。


「志乃を命がけで助けてくれて――本当にありがとうございました!」

「貴方が駆けつけてくれなかったら……本当にありがとうございました!」


 こんな事を望んでいたわけじゃない。

 志乃の御両親にこんな……。


「か、顔を上げて下さい! 俺が勝手にした事なので、本当に止めてください! お願いします!」


 必死に顔を上げるように訴えてかけながら隣にいる志乃に助けを求めたが、彼女は何も言わずにただ頭を下げている両親を見つめていた。


「し、志乃! お二人を止めてくれ!」

「ごめんね。良介がこんな事を望んでないのは分かってるんだけど、2人の気の済むようにさせてあげて」

「志乃まで何言ってんだ!」


 自分の親のこんな姿なんて見たくないはずなのに、志乃は2人の土下座をやめさせようとしない。


「本当は君が入院中にこうしたかったんだが、意識が戻ったと連絡してきた志乃に止められてしまって……」

「志乃の目を盗んで病院に行った時は、もう退院してしまっていてお礼の1つも言えずにすみませんでした」


 志乃が2人を止めた理由――それは俺が彼女を突き放したからだという事にはすぐに察しがついた。

 恐らく自分の関係者を俺の元に行かせたら、迷惑をかけてしまうと思ったんだろう。

 だから、これは俺が全部悪いんだ。


「お願いですから、顔を上げて下さい。志乃さんが病院に向かわせなかったのは、僕に気を遣ってくれただけなんです」

「あぁ、分かってる」

「え?」


 どうやら志乃が病院に行かせなかった理由を把握したうえで、2人は頭を下げているようだ。


(……という事は)


「最初に言っておくよ。これから君が私達に話そうとしている事と、この件は別だと認識して欲しいんだ」


 やっぱりか。

 御両親が言いたい事と俺の予想が合致して、思わず口角が上がった。


「ち、ちょっとどういう事!? そんな事できるわけないじゃない!」


 なるほど。志乃はあの件を盾に2人を説得するつもりだったから、2人が土下座しても止めようとしなかったのか。

 志乃の気持ちも分からないわけじゃないが、今回はこれでいい。


「勿論です。僕としてはあの一件は自分の不注意だと思っていますし、もうとっくに終わった事だと思っていますので」


 俺は志乃の反対を遮って拓郎さんにそう告げて、同じ様に膝をついて姿勢を正した。


「改めまして、志乃さんとお付き合いさせて頂いている間宮良介と申します。本日はお二人に僕達が付き合っている事を認めて頂きたくて、ご挨拶に参りました」


 言って、ゆっくりと2人に向かって頭を下げた。


「うん。こちらも改めてだ。志乃の父親の瑞樹拓郎だ」

「ふふ、そうね。それじゃ私も改めて、志乃の母の瑞樹華です」


 俺の意思を酌んでくれたのか、改めて自己紹介してくれた2人に感謝して、まっすぐに2人の目を見て「宜しくお願いします」と告げた。

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