第9話 ご挨拶 act 2

 立派なソファーがあるというのに、その脇に大の大人が3人も正座している様子が可笑しくなったのか、プッと吹き出した華さんが俺にソファーに座れと薦めてくれた。


「失礼します」


 拓郎さんに「どうぞ」と薦められてからソファーに腰を下ろすと、背凭れに凭れる気もないのに思っていたより柔らかいクッションに体が沈み込んでしまった為に背凭れに体を預ける形になってしまった。

 華さんはそんな俺に微笑んで「今、お茶を淹れますね」とキッチンに向かうと、志乃もその後を追ってキッチンに姿を消した。


「あの時は意識が戻っていなかったから、はじめましてというのは変だったかな」

「いえ。志乃さんから駆け付けてくれたと聞いています。その節はありがとうございました」


 拓郎さんと2人きりになると、さっきの挨拶は変だったかと2人で首を傾げあう。


「いやいや、君がお礼を言うのは変だよ」と2人で「ははっ」と笑みを零す。


「それにしても、意識が戻って本当に良かった。その後の傷に具合はどうなんだい?」

「はい。お蔭様で傷口も完全に塞がって痛みもありません。術後の検査も問題ないという事でした」

「そうか。それは何よりだ」


 言って拓郎さんもホッと安堵した様子でソファーの背もたれに体を預けた。

 俺が醜態を晒してしまったせいで、拓郎さん達にも無用な心配をかけた事を申し訳ないと思う一方で、こうして復帰出来た事を喜んでくれて心がじんわりと温かくなる。

 だけどこれは俺も望んだ事だが、あの一件と今回の挨拶の件は分けると言われている以上、これ以上はこの話をする必要はない。

 俺がここに来た用件なんてすでに承知の事だろうから、華さんと志乃が戻ってきたらすぐに本題に入ろうと考えている時に、拓郎さんが柔らかい物腰で口を開く。


「君と志乃が付き合う事になるのは、あの日病院から自宅に帰るタクシーに乗っていた時から分かっていたよ」

「そう……なんですか?」

「あぁ、タクシーの中で志乃に彼の事が好きなのかと訊いたからね」

「……え?」


 その話は志乃からも聞いていなかったが、その話を俺にするという事は色々と思う所があるのだろう。

 大切に育ててきた娘が突然誰かに奪われる。

 今は結婚しないで1人を楽しむ女性も珍しくない時代だが、もし俺が結婚して娘を授かったら、そういう状況になるのかもしれない。そう考えると、順番だとは思いつつも俺は今の拓郎さんのような物腰で奪おうとしている男と対峙できるかと問われれば、恐らく無理ではないかと思うのだ。

 だから、それを今やってのけている拓郎さんに尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

 奪おうとしてる張本人が何言ってんだという話ではあるのだが……。


「だから先に行っておくが、志乃と君の関係を反対するつもりはないんだ」

「本当ですか!?」

「それはそうだろう。大切に想ってくれているからこそ、命がけで助けようとしてくれたんだろう?」

「それはそうですが……。でも、あんな状況を同じ立場の男が居合わせたら誰でもする事だと思うのですが……」

「――あら、そんなわけないでしょ。口ではそんな事言う人間はいるだろうけど、本当に行動に移せる人間なんてそうはいないと思うわよ」


 決して謙遜したわけではなく本当に思っている事を話していると、キッチンから戻ってきた華さんに俺のとった行動を称賛された。


「そうだよ! 襲われてた私が言うのもなんだけど、あの時のアイツ本当にヤバい目をしてた……。あんな状況だったのに、良介は微塵も迷わずに私とアイツの間に飛び込んでくれた」


 あの時の私がどれだけ嬉しかったと思う?と付け足されたから「その結果、あの様だったんだけどな」と自虐で返すと、俺が刺された状況がフラッシュバックしたのかションボリと俯かせてしまった。

 完全に地雷を踏み抜いてしまったようだ。


 俺のせいで何とも言えない空気を作ってしまい志乃は黙り込んでしまって、俺は俺でどうフォローしたもんかと困惑していると、拓郎さんが助け船を出すように「ゴホンッ」とワザとらしく咳払いをひとつ。


「さて、皆揃ったところで――本題を訊こうか」


 志乃には今日俺がここに来る具体的な用件は話さないように言ってある。

 言って仕舞えば絶対に拓郎さんと口論になると思ったからだ。

 それに、こういう事は男の俺が言わないと情けないから。


 俺は真っ直ぐに拓郎さんの目を見て心で1つ息を吐いたのと同時に、両手を両ひざに置いて勢いよく頭を下げて志乃と付き合っていくにあたって、どうしても許しを請いたい用件を口にする。


「ご存知の通り、僕達は東京と新潟で遠距離恋愛をさせて頂いています。御両親の気持ちを考えたら常識外れな事だと重々承知していますが――志乃さんがこっちに来る時、僕の家に外泊する事をお許し下さい。お願いします!」


 拓郎さんはどうかは知らないが、志乃から訊く限りでは華さんは概ね許してくれているのは知っている。

 母親は娘の味方につくというのは俺の家族でオカンが茜の味方をしていたからよく知るところだ。

 逆に言えば娘の事となると過剰な反応するのが父親という事になるわけで、当然こんな事をお願いしている俺の事ぶん殴りたいと思うだろう。

 もし、それで許されるのならいくらでも甘んじて受ける心づもりでいたんだけど、拓郎さんは俺の想像をいい意味で裏切りにかかってきた。


「今日はいい天気だね」


 拓郎さんはそう言うと徐にソファーから立ち上がって、俺をみた。


「間宮君。少し散歩に付き合ってくれないかな?」

「え?」


 こういう展開は想定外で思わず聞き直すような声が漏れてしまったが、それならそれでゆっくりと拓郎さんと話が出来ると「はい。ご一緒させて下さい」と俺も席を立った。

 なにより、じっくりと話を聞こうとしてくれる拓郎さんの気持ちが嬉しかったんだ。

 ソファーから立ち上がった俺達を見て、「それなら私も」と志乃が腰を上げようとするのを手で制止して「志乃はここで待ってて」と告げてリビングを出て行く拓郎さんの後を追った。

 華さんはそんな拓郎さんの背中に笑みを零しながら俺の後についてきて、志乃も釈然としない様子で一番後ろから俺達を見送る為についてきた。


「ちょっと行ってくるよ」

「えぇ、珈琲を淹れ直して待ってます」

「うん。それじゃ行こうか、間宮君」

「はい」


 言って、俺達は玄関を出た。


 行き先を教えて貰っていない俺は黙って後について歩いていると、前を歩く拓郎さんは両手を後ろに組んで真っ青は青空を見上げていて、その間、俺も拓郎さんからも何も話す事はなかった。


 志乃の自宅を出て少し歩いた先に、小さな公園が見えてきた。

 恐らくこの閑静な住宅地に住む小さな子供達の憩いの場所として建設されたものだろう。

 実際公園の前に着くと、小さいながらも定番の滑り台とブランコ、そしてかなり低い高さの鉄棒が設置されていて、休憩場所として東屋が立てられている事が確認できる。

 拓郎さんは公園の前に設置されている自販機の前に立って「あいつが淹れた珈琲を飲みそびれてしまったから、缶珈琲でいいかな?」と尋ねてくる。

 僕が払いますと言いたかったが、こういう場においてそれは無粋だと経験上知っている俺は大人しく好意を受けようと「はい」とだけ返した。


 やがて自販機から乾いた金属音と共に缶を2本取り出した拓郎さんは「向こうで座ろうか」と公園内にある東屋に足を向けて、俺は何も言わずに後に着いて行く。


「どうぞ」と缶を手渡してくる拓郎さんに「ありがとうございます。ご馳走になります」と告げて、2人で丸太を切って加工したベンチに腰を下ろした。

 よく有り勝ちなプラスチック製のベンチではなく、木で出来たこのベンチは実際は冷たい感触があるが、何となく木の温もりが感じられる気がする。


 拓郎さんは缶のプルタブを開けて一口珈琲を飲んで喉を潤すと、「ふぅ」と小さな息を吐いた。


「ここへ来るのは何年振りかな。まだ志乃と希が小さかった頃はよくここへ連れてきてたんだけどね」

「小さなお子さんを遊ばせるにはいい公園ですよね」

「うん。俺はここに座って無邪気に遊んでいる2人をよく眺めていたよ」

「志乃さんと希さんは今も仲がいいですから、小さい頃はもっと良かったんじゃないですか?」

「うーん、どうかな」


 勿論だと返ってくるものだと思っていたから、拓郎さんの曖昧は返事に首を傾げた。


「あの頃はって今もそうなんだけど、まだ2人が小さい頃から私達は共働きで忙しくしていてね。志乃にはいつも希の面倒ばかり頼んでいたから仲良く遊んでいるように見えても、実際はどう思っていたのか分からないんだよ」


 確かに志乃が以前そんな事を言っていた。

 だけど拓郎さんの心配は杞憂なもので、志乃は少しシスコン気味な程に希ちゃんを可愛がっている。

 志乃の事だからそこを隠してるとは思えないが、拓郎さんは罪悪感という色眼鏡で見てしまっていて気を使われていると勘違いしているようだ。


「大丈夫、ですよ。志乃さんは本当に希ちゃんの事を可愛がってますから」

「君は希の事も知ってるんだったね」


 きっとあの日の夜に志乃との電話で希ちゃんが俺の名前を出したみたいだから、知り合いだって事は当然知ってるんだろう。


「はい。希ちゃんには随分とお世話になったんですよ」

「はは、あの希が人の役に立つ日がくるなんてなぁ」


 冗談ぽくそう言う拓郎さんだったけど、その横顔をとても嬉しそうだった。


 そんな砕けた会話をしていたのだが、もう一口缶珈琲を飲んだ拓郎さんの表情が変化する。

 といっても、俺を睨む付けるとか威嚇するようなものではなく、どこか遠い所を見ているような――俺にはそう見えた。

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