その二十九 七夕会 午前②

 朝会後、掃除を終えた利用者の皆は再びデイルームへと集まる。

 この場に居るのは全員ではないが椎名さんが予め言っていたように短冊を後で居室へ届ければいいだろう。

 職員おれたちは利用者一人一人に短冊を渡していき、ペンの入った箱を近くに置く。

「じゃあ短冊に書く願い事、お願いしますねー」

 椎名さんが言うと何人かが返事をし、紙を見つめる。

 すらすらと書く人も居れば紙とにらめっこをしたまま微動だにしない人もいる。

「あ、俺居室の方回ってきます」

「りょーかい。あっ、しまった」

 はっと椎名さんが何かに気付く。

「あっちゃー……失敗した。桐須君、誰か居ないのに気付かない?」

「誰か……ですか?」

 言われてデイルームを見回す。誰か、と言われても……。あっ。

「気付いた?」

「辻井さん、起こすの忘れてましたね……」

「そうなのよ。配り終わったら一緒に起こしてこっちに誘導しよっか」

「はい」

 椎名さんに言われて頷こうとした時川上さんが横から声を掛ける。

「待ってください」

「ん?」

「椎名さんが現場を離れてしまうと利用者が困った時一番頼れる人が居なくなってしまう可能性があります。なので行事のリーダーである椎名さんはこちらに残っていただいて、辻井さんを起こすのは私と桐須さんでやりましょう」

「あー……そうだね。気付かなかった。ありがと」

「いえ。私も辻井さんのことを失念していましたので」

「えっと……じゃあとりあえず俺は短冊渡して来ますね」

「よろしくー」

「よろしくお願いします。終わりましたら声掛けてください」

「はい」

 二人と別れ館内を回っていく。

 デイルームの大きさにも依るところがあるのだろうが、あの空間に利用者約50人が集まるほどのスペースはないので、居室にいる人は大体20人。全体の約半数とも言える数が部屋に居ることになる。

 そしてその人たちは全ユニットに散らばっているので、俺は館内を端から端まで回らなければならなかった。

 利用者の中にはそもそも行事に対し興味がないのか「ふーん」とか「えー」とか難色を示す人も居たし、日頃の鬱憤が溜まっているのか俺を捕まえて「ちょっと聞いてよ桐須さん。この前誰々さんがね~」と他の人に対する愚痴を零す人も居たが、とりあえず受け取ってもらうことは出来た。

「と、とりあえず皆、渡してきました……」

 館内をなるべく急ぎつつ、そのついでとばかりに色んな頼み事をしてくる利用者への対応を出来るだけ躱しつつ短冊を渡し終えた俺は再びデイルームへと辿り着く。

「も、戻りました……」

「おつかれー。……疲れてんね」

 椎名さんが俺を見て気の毒そうな顔をする。

「疲れました……」

 広い館内を歩き回ったことによる肉体的疲労と、利用者への対応での精神的な疲労が同時に襲ってきた。

「まだ疲れるには早いですよ。さ、辻井さん起こしましょう」

 そんな俺の苦労を意にも介さずに、川上さんはすたすたと辻井さんの居室へ向かっていく。

「わ、分かりましたぁ……」

 俺は肩を落としその後に続いていく。


 辻井さんの居室へ着くと、居室のドアを何度かノックする。返事が無いが川上さんは「辻井さん、入りますよ」と言うと電子ロックを解除して室内へ足を踏み入れる。

 辻井さんはベッドで横になり目を閉じていた。動力部からエネルギーが流れているのがベッド脇に備え付けられたバイタルチェックの危機から分かる。

 要するに、ただ寝ているだけだった。

「辻井さん」

 川上さんが辻井さんの身体をゆっくりと摩る。

「……うーん」

 頭部メインカメラのアイレンズが点灯し、彼女の目が覚めたことを知らせる。

「おはようございます」

「おはよう……えーっと……?」

「川上です」

「あぁそうだ。ごめんねえまたボケちゃって」

「大丈夫ですよ。それに辻井さん、お元気そうで私は嬉しいです」

「そうかい?そんな風に言ってくれると嬉しいねえ。そっちの人は?」

 辻井さんが俺を見る。

「こちらの方は―――」

「旦那さんかい?」

 辻井さんの唐突な一言に俺と川上さんは同時に咳き込んでしまった。

「———違います。こちらは桐須さん。私と同じくここの職員の方ですよ?」

 おお、流石と拍手を送ってしまいそうになった。

「おはようございます辻井さん」

 俺もなんとか平静を装い挨拶をする。

「おはよう」

 そうして辻井さんは俺達二人を見る。

「今日は何かあるのかい?」

「ええ。今日は七夕会の日なんですよ」

「まあ!」

 辻井さんは両手を叩いて嬉しそうに声を上げる。

「今、皆さんデイルームで短冊を書いているんですけれど。良ければ辻井さんもご一緒に如何ですか?」

「私なんかが行ってもいいの?」

「勿論です」

 川上さんは柔らかな微笑を浮かべる。

「それじゃあお邪魔しようかしらね」

 そう言って辻井さんはベッドから起き上がろうとする。

「あ、少しお待ちください」

 川上さんが俺の方を見る。

 その意図を察して俺は居室内の隅に置いてある車椅子をベッドの近くまで移動させ、ストッパーを掛ける。

「こちらの車椅子に移りますからね。少し身体の方失礼しますね」

 そう言って川上さんは辻井さんの頭の後ろと身体の下に手を入れる。

 外骨格スーツの人工筋肉が力をアシストし、辻井さんの身体を起き上がらせる。脚が床に着いた状態になったことを確認した後、後ろに倒れ込まないよう背中に手を回しながら辻井さんの正面に来ると、彼女の両足の間に自分の脚を挟み入れ、腰の後ろに手を回し抱き抱えるようにする。

「いいですか?立ち上がりますよ?」

 辻井さんに声を掛けると川上さんは辻井さんの身体を持ち上げる。そうして身体を捻り車椅子を準備していた俺の方へと向ける。

 俺は辻井さんの背中からゆっくりと車椅子を近付け、彼女が座れそうなところまで車椅子を進め川上さんに「大丈夫です」と伝える。

「じゃあ辻井さん。座りますよ。ゆっくりいきますからね」

 その言葉の通りゆっくりと辻井さんの身体が車椅子へと乗る。

「辻井さん。ちょっと後ろから失礼しますね」

 今度は俺が声を掛ける。今のままだと車椅子に対して身体が斜めになってしまっていて負担が掛かってしまう為だ。

 背後から手を回し軽く持ち上げると車椅子の背もたれに体がすっぽりと収まるように調整する。

「はい。お疲れ様でした」

 辻井さんに声を掛ける。

「二人ともありがとねぇ」

 と彼女は言う。

「いえいえ。それでは行きましょうか」

 俺が辻井さんにそう言うと、川上さんは、

「それでは私は先に戻ってますね」

 と言い残し足早に居室を去って行った。

「綺麗な奥さんだねえ」

「だから違いますって」

 はぁ、とため息を吐きながら俺は車椅子をゆっくり押してデイルームへと向かう。


「あ、桐須君来た来た」

 デイルームへ辻井さんと一緒に戻ると、椎名さんが俺の顔を見るなり言った。

「はい。戻りましたけど?」

「笹の木、今来たって。事務所から連絡あって横山君先に言ってるから玄関まで行って」

「了解です。じゃあ辻井さんお願いします」

「はいよー」

 椎名さんにそう告げると今度は玄関まで急ぐことにした。


「お、来たな」

 玄関に向かうと俺と同じように外骨格スーツを着用した横山さんが居た。

「ういっす。流石にこれ一人では運ぼうとしないんですね」

「ったり前だろ」

 そう言って俺達は玄関に寝かせた状態で置かれた―――長さ二メートル程の無数の枝が伸びる笹の木を見る。

「結構立派ですね」

「だなあ。毎年この為だけに施設長が知り合いから貰ってくるんだけどどういう伝手なんだろうな?」

 横山さんが寝かせられた笹の前を持ち上げ、俺が後ろ側も持つ。

「おーし。そんじゃ行くぞ」

「了解でーす」

「ちなみにどっかぶつけて葉っぱ落ちたら煙草奢れよ。……角曲がるから気を付けろ?」

「何でですか……。了解です、っと」

 慎重に角を曲がる。最初に横山さんが角度を付けて行き、なるべく引っ掛からないような角度になったら俺が進む、というような形で進んでいく。

 通りがかる厨房の人や事務の人からも「いやー大変だねー」等と声を掛けられるのになんと答えて良いか分からず愛想笑いを浮かべる。

 デイルームへ辿り着くと利用者の目線が一斉にこっち―――というか笹の木に集中する。

「おーさんきゅさんきゅ」

「これどこに置くんすかー?」

 横山さんと椎名さんが声を掛け合う。

「あそこあそこー。でっかい花瓶みたいなのあるでしょー?多分そこに入ると思うからー」

 椎名さんがそう言って指を差したのは、デイルームの窓側、後方中央付近には椎名さんが言うような、大きな花瓶のようなものが置いてあった。

「おーし。んじゃ立てんぞー。そっちしっかり持っとけよー」

「ういーっす」

 横山さんがゆっくりと笹の木を縦に持っていく。俺はそれに合わせてバランスを崩さないよう支える。

「じゃあ入れますよー」

「おー」

 そして下の部分を持っていた俺がゆっくりと持ち上げ、花瓶に根本を入れる。

「おし、じゃちょっと手離すぞー」

 横山さんがそう言い、手を離す。俺も同じく離してしばらく様子を見る。

「……大丈夫そうだな」

「……ですね」

 笹は最初はゆらゆらと揺れていたが、揺れが収まってくると安定し最後には下の部分はぴたりと止まった。

「ほいご苦労さん」

「あざっす」

「ありがとうございます」

 椎名さんが掛けてくれた労いの言葉に横山さんと俺は礼を言う。

「どんな感じっすか?」

「人によってはもう三枚くらい書いてるよー」

「マジっすか。欲望まみれで逆にすげえっすね」

 横山さんは利用者が書いた短冊をまとめて入れた箱から一枚一枚を取り出して笑っている。

「さーて。んじゃ次はアレだな」

「アレってなんですか?」

 俺の質問に横山さんはぶっきらぼうに答える。

「あん?脚立持ってくんだよ。天辺のところに吊るせねーだろ?っつーことで倉庫行ってきます」

「あいよー。ありがとね」

 椎名さんにそう言うと横山さんは口笛を吹きながら倉庫の方へ歩いていく。

「あ、俺も手伝いま」

「いらんいらん。脚立くらい一人で持てるわ」

 横山さんは苦笑して俺の方を見る。

「それよりお前はこういう機会だ。利用者と交流しとけ」

 にっと歯を見せて笑うと、横山さんは今度こそ倉庫へと向かっていった。


 デイルームを歩きながら利用者の様子を見る。

「願い事、書きましたか?」

 ある利用者に尋ねてみる。

「ああ、うん」

「見てもいいですか?」

「構わないよ」

 その人はそう言うと、おぼつかない手つきで短冊をこちらに渡してくる。

「大したことないだろ?」

 そこには『家族に会えますように』と書いてあった。

 だが、俺はその人になんと答えて良いのか言葉に詰まってしまった。

 確かケースファイルによればこの利用者は過去に奥さんと離婚している。一応子供がいるものの、離婚の理由は本人による家庭内暴力によるもので子供はこの利用者に対して拒絶しており、書類上は子供が身元保証人ではあるが『可能な限り連絡はしないで欲しい』と言われている方だった。

「……会えると良いですね」

 そう言うのが精一杯だった。

 俺はその短冊を「預かっていいですか?」と了承を得ると受け取り、笹の枝に結び付けた。

 その人の次に話しかけた人は「健康第一」とか更に他の人のを見ると「お腹いっぱい食べたい」とか可愛らしいものだった。

 何人かの利用者に話しかけ短冊を預かっては笹に結び付けていると、じっと止まったままの人が居ることに気付いた。辻井さんだ。

「辻井さん」

 俺が声を掛けると辻井さんは俺の方を向いてにこやかな笑顔を向ける。

「なあに?」

「願い事、決まりましたか?」

 そう言って彼女の前に置かれたままの短冊を見る。

「願い事?」

 彼女は不思議そうに聞き返す。

「ええ。今日は七夕なんですよ」

「あら、そうだったの!」

 そこで初めて聞いた、というように辻井さんは驚いた声を上げる。

「えぇ。ですから短冊に願い事を書きませんか?」

「そうねえ。何がいいかしら?」

 顎に手を当てて辻井さんは唸り始めた。

「そうですねえ……」

 一緒に顎に手を当ててうーんと唸ってみる。

「あっ」

 辻井さんは手を合わせてこちらを見る。

「どうしましたか?」

「貴方のお願いはなあに?」

「え?」

 思わず聞き返してしまった。

「私、お願い事って言われてもピンと来なくてねぇ。それにほら。私すぐ忘れちゃうでしょう?だからお願い事してもあんまり意味、無いかなあって思っちゃって」

「と言われても……」

 話が聞こえるくらいの距離にいた川上さんに助けを求めてみる。

「一緒に考えてみてはどうですか?」

 と川上さんは言った。

「それが浮かばないから困ってるんですけど……」

「そこは頑張って利用者から思いを引き出してください」

 さいですか……、と肩を落とす。

 しかしどうしたものか……。

「辻井さん、何かしたいこととか無いですか?」

「特に無いわねぇ」

「何か食べたいものとか」

「特にないわねえ」

「どこか行きたいところとか」

「特にないわねぇ」

 いくつかの質問を投げてみたがどれも答えは同じようなものだった。

 もっと考えないといけない。

 辻井さんのケースファイルを思い出そうとしてみる。

 確か彼女は人間ヒューマンのベビーシッターとして長年働いた経験があり、結婚もしていない。家族は既に亡くなっており身寄りも居ない。

 定年を迎え社会的に孤独になった状態で近隣の住人から保護の要請を受け、施設へ入所したという経緯を持っていた。

「いっそお迎えが早く来ますように、とかの方がいいのかしらねえ。こんなんじゃ生きてたって皆の迷惑でしょう?」

 そう言って辻井さんは寂しそうに笑った。

「そんなこと……ないですよ」

 絞るような声で俺は言う。胸が締め付けられるような思いだった。

 彼女は今まで多くの子供の面倒を見てきたはずだ。彼女のお陰で多くの人が安心して労働に勤しむことが出来ただろう。

 そんな頑張って……ずっと頑張っていた彼女が何も願い事がないというのは、なんだかとても寂しいことのような気がした。

「あら。嬉しいわねえ。でもいいのよ」

 辻井さんはにこにこと笑顔を浮かべている。

「いや、本当に……!」

「ふふ、貴方やっぱり優しいのね」

 そう言って辻井さんは顔を上げる。何か、どこか遠くを見ているような雰囲気だった。

「私が見てきた子達も皆、元気に育ってくれたと良いんだけど」

「……きっと、そうですよ」

 俺は車椅子の高さに合わせ屈む。辻井さんと目が合った。

「じゃあ、こんな願い事はどうですか?」

 ペンを執り、短冊に文字を書き込んでいく。それを辻井さんに見せてみる。

「あら。素敵ね。私もこれが良いと思うわ」

 車椅子の上で手を合わせて辻井さんは嬉しそうな声で言う。

「じゃあこれ、笹に結んできますね」

「ありがとう。助かるわあ」

 短冊を持って笹の木に向かっていく。

「辻井さんの、決まったんですか?」

「ええ」

「どんなのになったのか、聞いていいですか?」

 川上さんが尋ねてくる。

「ええ。といっても、どこにでもある、当たり前の願い事ですよ」

「勿体ぶらないでください」

 少しむっとしたような表情で川上さんが言うので、俺は短冊を差し出した。

「これです」

 それを受け取った川上さんは短冊の上から下までをゆっくりと、慈しむような眼差しで見る。

「とても、素敵な願い事じゃないですか」

 そこに書かれていた願い事はこうだった。

『皆が元気で過ごせますように』

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