七月七日

その二十八 七夕会 午前①

 七月七日、月曜日。七夕会当日になった。

 椎名さんから「当日は準備とか最終打ち合わせとかしたいから申し訳ないんだけど早めに来てもらっていい?具体的には七時頃」と言われていたため、いつもの日勤より早く鳴るアラームを止め、のそのそとベッドから這い出す。

 欠伸を噛み殺して大きく伸びを一度すると、覚醒までのギアが一段入ったような気がした。

 そのままいつものルーチンをこなしていく内に一段、また一段とギアが上がっていき着替える頃には完全に意識は覚醒をしていた。

 クロスバイクを家から外へ持ち出しサドルに跨る。ペダルに足を乗せクランクが一回転するとタイヤが路面を擦る音が聞こえる。この音と後輪のハブから聞こえるラチェット音、風を切り裂く音。これらの音が三重奏のように聞こえ気分を盛り上げる。天気は晴れ。七月という夏の暑さも相まって五分もしない内に身体は熱を持ち、体温を下げようと水分を出す。それを感じながらAR眼鏡に表示される心拍数を見る。悪くないペースだな、と通勤を始めてから自分の中でおおよその統計の中で得た感覚を覚える。

 施設に着いてシャワーを浴び、着替えると先に着ていたらしい椎名さんが挨拶をしてくれた。

「おはよ。ちゃんと時間通りに来れて偉いねぇ」

 そう言って乱暴に頭を撫でてくる。

「ちょっ、子供じゃないんだからやめてくださいよ!」

「おっとごめんごめん」

 恥ずかしさからその手を振り払いため息を吐く。

「おはようございます」

 川上さんも到着したようだ。

「桐須さん、いつも早いですね」

「え、ええ。まあ。俺、自転車通勤なのでシャワー借りるのに時間食っちゃうんで」

 俺の言葉に川上さんはちょっと驚いたような顔をしてみせる。

「ひょっとしてあの坂を毎日自転車で登ってるんですか?」

「え、ええ。まあ」

「……若いんですね」

 はぁ、と川上さんはため息を吐いた。

「いや、川上さんだって俺と大差ないじゃないですか」

 その一言は地雷だったのか川上さんの目がきっとつり上がる。

「デリカシーがないですよ。二十歳も半ばを超えると一気に体力の衰えとかそういうのが来るんですからね」

「えっ、はい……すいません……?」

 なんだか理不尽な怒られ方をしているような気がしたが、その気迫に圧倒されて俺は反射的に謝ってしまった。

「こらこら。二十代の内からそんなこと言ってたら私はどうなる?」

 呆れたように椎名さんが会話に入ってくる。

「椎名さんは別です。というかそのバイタリティは尊敬します」

「『は』って言ったよこの子」

 あはは……と乾いた笑いを浮かべながら俺は曖昧に返事をした。

「はーやれやれ。さて、だ」

 椎名さんは企画書の最終版(細かい誤字とかを指摘されまくって昨日まで掛ったらしい)を俺と川上さんに送る。AR眼鏡を通してそこには今日のタイムスケジュール、準備、配置などがびっしりと記載されている。

「まずは朝早くからごめんね」

 椎名さんは頭を下げる。

「あ、いえそんな」

「係ですから納得はしていますよ」

 俺達の返答に頭を上げた椎名さんはにっと歯を見せて笑う。

「うん、そう言ってもらえると助かるな。もうタイムスケジュールは大体頭に入ってると思うけど現場じゃいつも予想の斜め上の事態が起こるから。そのつもりで。焦らず、困ったら素直に周りを頼って。特に桐須君は初めてだからね」

「は、はい」

「で、午前中の短冊用の紙がこれね」

 椎名さんは四角いアルミケースの缶―――よくお菓子の詰め合わせとかで使われているようなものだ。それの蓋を開けてみると小さく切られた色とりどりの画用紙が敷き詰められている。

「こういうの、紙媒体なんですね」

「エコじゃないって話?」

「あ、いえそういうわけじゃないですけど」

 何気なく出た俺の疑問に椎名さんは苦笑いを浮かべて言う。

「勿論仮想の短冊用紙を用意することも出来るよ。むしろそっちの方が一個作ってデータをコピーすればそれで済むし楽だよね。いやー肩凝っちゃったよ私不器用なのにさ。何やってんだろって何回も思ったよ」

 大袈裟に被りを振って椎名さんは自分の肩を叩いた。

「でもさー。データでやっっちゃえば『記録』には残るけど『記憶』には残らないのかなって思っちゃってさ。ま、感傷だよ感傷。私の自己満足、ってとこ」

 少し自嘲気味に椎名さんは笑って言う。

 記録と記憶。椎名さんが言いたいその違いの意味は今の俺には何となくでしか分からなかった。

「確かに。そうかもしれませんね」

 川上さんは短冊用紙を何枚かまとめて取り出す。

「この紙、ところどころ曲がってたり、ガイドラインのつもりだったんでしょうけど―――引いた線がそのまま残ってたりしてて。すごく、不格好に見えます」

「あはは……手厳しいなあ……」

 頭を掻く椎名さんに川上さんは口元を抑えて、目を伏せる。

「あ……すいません。貶してるわけではなくて。その……」

 言葉を探すように目を泳がせる。

「この用紙一枚一枚に、椎名さんが『利用者に楽しんでもらいたい』って想いが込められているような気がして……私は良いと思います」

 川上さんはそっとそれを抱き締めるように抱える。

「えっあっ?い、いやーーーーそんな風に言われるとオーバーっていうかさ!?なんか、照れるからやめてよーーー!!」

 顔を赤くして手を振る椎名さんに川上さんは柔らかい笑みを見せる。

「ふふっ。そうですね。失礼しました。では確認したいことがあるのですけどよろしいですか?」

「ほいほい。どうぞ?」

「こちらの用紙は基本利用者一人に付き一枚、ということでいいですか?」

「うん。それでいいよ。もし全員に配り終わってそれでもまだ書きたいって人が居たら時間との兼ね合いで渡しちゃって良いと思う」

「了解しました。では次ですが用紙の色。これは別にユニット単位とかそういうこだわりはなくランダムで?」

「ああ、うん。それでいいよー。『どうしても俺はこの色がいいんじゃー!』って人が居たら対応してもいいと思うけどね」

「ふむふむ。了解です」

 二人のやりとりを傍で聞いていて、はーそんなことまで確認するんだー……なんて俺は考えていた。

「桐須君の方からはなんか分かんないとことかない?」

「えっ?」

「今の内に聞いておかないと実際何か起こった時苦労するぞ~?」

 両手を上げて脅かすように椎名さんが言う。

「え、あー……。何でしょうね……?」

 慌てて計画書を見ながら何かないかなと探そうとする。けれど咄嗟に出て来ない。

「あはは。そう言われても、って感じだよね。半分は冗談。でもこういう行事とか。ああ普段もか。『何かが起こる時』っていうのは大抵こっちの予想の斜め上の出来事が起こるからねー」

 横で川上さんがうんうんと頷いている。

「そういうもんですか……?」

「そういうもんです。だから職員うちらはなるべく、そういう状況を多くイメージして、どういう対応をすればいいのか。しかもできれば個人毎にケースを考えて行動しないといけないんだよねー」

「なんか……そう考えると……滅茶苦茶ハードル高くないですか?」

「まあ実際できる人なんてほぼほぼ居ないと思うよ。持病とか性格とか相性とか。そういうのを利用者全員分頭の中に叩き込んで。誰がどこにいるのかを把握して。今日の体調とか気分とかも加味して動ける人とかいたらこの業種の神だよ神」

 そう言って椎名さんは豪快に笑う。

「でも私達はそれになるべく近付く努力を怠ってはいけない、という話ですよね?」

「そうそう」

 ベテランと副主任のなんとも含蓄のある言葉だった。


「じゃあ、事前準備としてはこんなところかな?あとは始まってから臨機応変に、ってことで」

「分かりました」

「了解です」

 最終打ち合わせを終え、支援室へと戻る。

 椎名さんは「あたしはちょっと一服してくるから先行っててねー」と言い別方向へ歩いて行った。

「ちゃんと申し送りまでには戻って来てくださいよ」

 と川上さんが念を押すように言うのを振り返らずに手を振って椎名さんは答えた。

 支援員室へ着くと夜勤明けの石井さんと内藤さんの二人が疲れ切った様子で座っていた。

「お、お疲れ様です……」

 恐る恐る声を掛けると内藤さんが身体を起こす。

「やあ桐須くん。お疲れ様」

 表情は笑顔だが疲れが滲み出ているようだ。内藤さんは機械生命体アンドロイドの中でもかなり若い世代で、人間ヒューマンにかなり近い容姿をしている。

 その為表情等も人間ヒューマンと同じように細かな機微を見せることが出来るのだが内藤さんがここまでその機能を使う、というのは珍しい気がした。

「何かあったんですか?」

 川上さんの問いに石井さんが無言でPCのモニタを指差す。記録を見て欲しい、ということだろうか。

「えーと……」

 川上さんと並んでモニタを見る。

「うわぁ……」

 そして察した。

「行事前だとまああることなんだけどねえ」

 内藤さんが言う。

 そこに書かれていたのは利用者の起床時間なのだが、何人かの利用者が起床時間より一時間程早く起きてくることがあった、という援助記録の記載だった。

「皆行事が楽しみなのは分からなくもないよ?でもさあ。起きてる人たち揃って『今日七夕だね!』とか『まだ始まらないのかな!』とかめっちゃ目輝かせてくるんだもん……なんかこう……生気を奪われるみたいだったわ……。しかもうちら夜勤明けだから……こう言っちゃなんだけど行事関係ないしね」

 心の底から疲れたように石井さんは言う。

 俺はその望まぬ朝の賑やかさを想像し背筋に寒気が走るのを感じ、

「…………お疲れ様でした」

 と引きつった笑いで二人に声を掛けるのが精一杯だった。


「えー……昨夜は……そういう感じでした」

「いやあ……大変だったね。ご苦労様」

 昨日の記録を読み上げる内藤さんに施設長が労いの言葉を掛ける。

「ありがとうございます……えーと、後今日は七夕会があります。こちらは係の方からお願いします」

 内藤さんがそう言うと椎名さんは席を立って周囲の人を見渡して言う。

「ほいほい。えーそれでは本日の七夕会の予定ですが、施設長。笹の木って何時頃届きます?」

「ああ、あれね。十時くらいには届けるって言ってたかなあ」

「分かりました。今日あと居るのは……。お、横山君が遅番早入りで来るのね。そんじゃ桐須君と横山君の二人でデイルームに設置お願いね」

「あ、はいっ」

 そう言ってARの視界端に表示された時間を見る。といっても申し送りの最中なので時刻は九時を回ったところだ。

「そんで、朝会終わったらデイルームに出来るだけ集めて。部屋から出て来ない人は短冊渡して書いてねーって声掛けよろしく。とりあえず午前中はそんなもんかなー。あと分かんないこととかは私のとこに回して」

 はーい、とその場にいた全員が返事をする。

「では私の方からは以上です」

 そう言って椎名さんは着席する。

「えー他の部署から何かありますか?」

 内藤さんの問いに周囲が沈黙する。

「では申し送りの方を終わりにしたいと思います。本日もよろしくお願いします」

 よろしくお願いします、と全員が唱和し席を立っていく。

「そんじゃ朝会やりますかー」

 大きく伸びをして椎名さんが言う。

「おっと。その前に皆外骨格スーツ着ないとだね。先着替えちゃって」

 休憩室を指差され頷き、ロッカーから外骨格スーツを着用する。調整ボタンを押して外骨格スーツが身体にフィットするのを確認してから休憩室を出る。

「どうぞ」

 と声を掛け椎名さんと川上さんが今度は休憩室へと入って行く。

「お、お疲れさん」

 俺が休憩室から出ると、横山さんが支援員室へやってきた。

「ったく皆元気だよなあ。こちとら3時間も早出させられて来る前から憂鬱だってのによぉ」

 大きく欠伸をして横山さんは休憩室を見る。

「今誰か着替えてんのか?」

「あ、はい。川上さんと椎名さんが」

「あ、そ。じゃあちょっくら煙草吸ってくるわ」

 そう言って横山さんは支援室を後にしようとした。

「あ、そうだ横山さん。短冊飾る笹の木、施設長が十時頃に届くから設置の方俺と横山さんで頼む、って椎名さんが言ってましたよ」

「まじかー。了解了解」

 怠そうに言うと横山さんは今度こそ支援員室を後にした。

「あれ?横山君来た?」

 休憩室から出てきた椎名さんが俺に尋ねる。

「はい。ちょっと煙草吸ってくるって」

「ほほう。じゃあ私も」

「椎名さんは朝会の仕事があるでしょう?」

 川上さんのツッコミに一歩を踏み出そうとしていた椎名さんの脚が止まる。

「……はい。あ、そだ。笹の木の件は?」

「言いました」

「よし、ありがと。さーて、それじゃやるぞーーーーー」

 自分を鼓舞するように声を出すと、椎名さんはデイルームへと向かった。


「はーいおはようございまーす!」

 椎名さんがデイルームに集まっている利用者の前に出ると明るく挨拶をする。

 利用者からも「おはようございまーす!」と負けないくらいの返事が返ってくるのを椎名さんは嬉しそうに見つめる。

「今日七月七日は何の日か、分かりますかー?」

 椎名さんが全員を見渡して言うと何人かの利用者が手を挙げた。

「お、じゃあ金本さん」

「七夕!」

「ほい正解!今日は七夕会の日になりまーす!」

 と言うと利用者から拍手が上がる。

「こらこらこら。お祝い事じゃないんだから拍手は要らないでしょ」

 と椎名さんが言うと利用者間の間で笑いが起こる。

「それでですねー。朝の掃除が終わったら、皆さんに短冊を書いて貰いたいのでデイルームに集まってください。そこで短冊を渡しますからねー!」

「短冊書いたって吊るすやつ無くねぇか?」

 金本さんが茶々を入れると周囲の利用者の何人かがうんうんと頷く。

 それを聞いた椎名さんはむっとしたように言う。

「それを今から説明しようとしてたのー!少し待っててください!」

「ありゃ。そりゃ悪かったなあ」

 再び笑いが起こる。

「もう少ししたらねー。笹の木が届くので、それをデイルーム《ここ》に置きます。短冊に書く願い事が決まったら結ぶので職員に回してくださーい!」

 利用者から返事が返ってくる。

「それで、皆が短冊を書き終えたら昼食の準備をしますので、準備が終わるまでデイルーム《ここ》か居室でお待ちください。準備が出来たら放送入れまーす!」

 再び利用者からの返事が返ってくる。

「で、お昼の後。午後なんですけどなんと!」

 そこで勿体ぶるように椎名さんは言葉を区切り溜めを作る。利用者が何だ何だとざわつき始めたところで口を開く。

「職員による演劇を行いまーす!はいここで問題!七夕と言えば鈴木さん何!?」

 びしっ、と鈴木さんを指差す。

「え、あー……。天の川?」

「あ、そっちがきたかー。天の川もね。関係してるんですけど!織姫と彦星!その劇をやりまーす!レク室でやるからよろしくねー!」

 はーい、と利用者が返事をしていくのを満足気に椎名さんは眺める。

「よーし!じゃあ今日も一日よろしくお願いしまーす!!」

 よろしくお願いしまーす!!と利用者からも返事があり、七夕会の一日が始まる。 

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