その二十七 残業(残業代が出るとは言っていない)

 七月に行われる施設行事、七夕。

 当日のタイムテーブルはこうだと椎名さんは言う。

 午前中、朝の掃除までは通常日課と同じように過ごす。

 十時、普段ならクラブ等の余暇活動をする時間から短冊作りを行う。

 短冊の紙は画用紙を人数分̟と少し余裕を持って準備しておく。

 短冊を吊るす笹の木は施設長が懇意にしているというご近所の方から好意で譲ってもらうそうだ。

 職員は様子を見ながら利用者に声を掛け、何を書こうか詰まっていそうな利用者を手伝う。

 恐らくそれでも十一時頃には終わってしまうので、そこからは(おそらく)利用者にとって一番楽しみな時間、食事の用意だ。

 行事の際、テーブルの配置はいつもと違うものになる。昨日椎名さんが頭を抱えていた原因がこれだ。テーブルの移動や特別食の中でも更に特別食……嚥下、つまり食事を飲み込む機能が低下している人用に食材を細かく刻んだり、別の食材で代用したものを予め配膳したりといったこともこの時間にやることになる。

 そして十二時が食事開始時間……と同時に施設長からの挨拶がある。この時司会は企画の代表である椎名さんが担当するらしい。

 俺は利用者の様子を見ながら遠隔操作でオーディオの調整を行うのがこの時間の役割だ。

 昼食は午後一時まで予定となっている。その後利用者はデイルームか居室で待機、職員はここからテーブルの後片付けや清掃をする班と午後一時三十分から始まる劇の準備をする班とに分かれる。

 劇は今現在俺達が居るレク室で行う予定だ。利用者の移動時間等や劇の時間を考慮し終わるのが午後二時。そこから劇の片付けをしておやつの準備をしておやつと同時に終了宣言をして七夕会は終了。

「と、いうのが当日のざっくりとしたスケジュール」

 分かった?と椎名さんは織姫と彦星、もとい川上さんと俺を見て言う。

「おおよその流れは」

「まあ、なんとなく」

 劇の練習で二人を呆れさせた俺はそういえばあまり詳しく企画書に目を通していなかったことを思い出し、練習後の午後五時半を過ぎた辺りで椎名さんに聞いてみた。

「すいませんこんなタイミングで聞いて……」

「あー。いいよいいよ。たまーに居るから。当日シフト入ってて『あ、今日行事か。あれ?自分何するの?あ、企画書あるじゃん!』てなる人」

「それ、先月の椎名さんのことですよね」

 川上さんからの鋭いツッコミに椎名さんは胸を抑えて苦笑いを浮かべる。

「き、厳しいなー川上さん。いいじゃん。上手くいったんだからさ」

「そうですね。毎回上手くいくと思って欲しくはないですが」

 語尾を強めに強調して言う川上さんの一言に椎名さんは膝から崩れ落ちる。

「……ごめんなさい」

「はい。よく言えました」

 ……なんとなくこの二人の力関係が見えてきた気がする。

「さて、と」

 立ち上がった椎名さんがジャージの裾を払う。

「とりあえず時間も時間だし。今日のところはこのあたりにしようかね」

「そうですね。それが妥当かと」

 ほっと胸を撫でおろす俺を椎名さんがにやりと笑いかけて言う。

「桐須君はアレだねー。ちょっとお家で宿題してきてもらうようかもねー」

「えー……」

「そうですね。劇団員程の演技をしろとは言いません」

 一度川上さんが言葉を区切る。

「でも……そうですね。棒読みでも良いので台詞を暗記する、くらいのところまではお願いしたいですね」

 台本のテキストを仮想デスクトップ上でスワイプさせながら川上さんは言う。

「これくらいの量なら難しくないかと思うんですが。どうでしょう?」

 すっ、とAR眼鏡越しに上目遣いでこちらを見てくる織姫、じゃなくて川上さんに、

「……鋭意努力します」

 と返すのが精いっぱいだった。

「はい。よろしくお願いします。では今日のところは解散で良いですか?そろそろ現場に戻らないと」

 川上さんはちらりと時計を確認する。

「あー。そうだね。ごめんね長時間抜けさせちゃって」

「それは桂木さんと吉田さんに言ってください」

「あははー……それもそうだね」

 そして椎名さんは俺の背中をぽん、と叩く。

「桐須君もお疲れ。大変だと思うけど頑張ってね」

「あ、はい」

「じゃあ解散、っとあ、この辺片付けないとね」

 ホログラムプロジェクターの電源を落とすと、そこは幻想的な星空ではなくいつものレク室に戻っていた。

「衣装データは二人に預けとくから。当日までよろしくねー」

 それを鞄にしまい込むと、椎名さんはお先に、と告げてレク室を出て行った。

「じゃあ、私達も行きましょうか」

 衣装のデータを解除すると、そこにはいつも通りの飾り気のない川上さんの姿がった。

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでも」

 そう言いながら自分も衣装データを解除する。

「とりあえず出ましょうか」

「ええ」

 レク室を出て施錠し、支援員室へと戻る。

「じゃあ、お疲れ様でした。お先に失礼します」

「お疲れ様でした」

 外骨格スーツをロッカーに締まって、退勤をする。

 クロスバイクに乗って前後のライトを点けたのを確認すると下り坂を降りていく。

 風が勢いよく流れ時速がみるみる内に上がっていく中でふと。

「可愛かったなあ……」

 無意識に漏れた自分の言葉は風に流されていった。

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