その二十六 終業直前

 除染槽の栓を抜き、除染液が排水溝を伝って流れていくのを確認する。

 その間に、浴室内の床をブラシで磨き、消毒。

 浴槽内も同じだ。

 それらを終えると自分が汗だくになっていることに気付く。

 機械生命体アンドロイドのサポートをするためにパワーアシスト付きの外骨格スーツを着るのは良いのだが中身が蒸れるのだけは辛い。

 基本的に仕事中はずっとこれを着ているので、夏場は特に辛い。

 改良型で空調が付いているモデルがあるらしいのだが、そちらは電力消費やら独自の発電設備やらの問題もありということでお値段が滅茶苦茶高くなる、らしい。


 結局桂木さんは入浴の時間が終わっても戻らず、事務所をちらりと覗いた時には忙しそうに電話を掛けていた。

「お疲れさん」

「お疲れ様でしたー……」

 浴室では基本的に自立している人が多いので、見守りがメインになる傍ら様々なところに目を光らせていなければならない。

 そのため、昼食時以上に気を張っているため精神的疲労が強い。

「私洗濯回してくるから。あとお願いねー」

「あ、はーい」

 洗濯ものと足ふき用のマットの入った洗濯後を持ち上げると椎名さんは脱衣所から出て行く。

 俺は一人きりになった浴室をモップで磨き、浴室・脱衣所の電気がきちんと切れているのを確認すると施錠を行った。


「お疲れ様です」

「あ、お世話様でした」

 支援員室に戻ると、夜勤の川上さんが無表情でPCのキーボードを叩いていた。

 時刻は午後四時三十分。早番はとっくに終業している時間だが椎名さんは眠そうにしながらもまだ支援員室に残っていた。

 と、いうのも。

「桂木さんまだ戻ってこないのー?」

 椎名さんはぐでん、と机の上に突っ伏し全身で疲労を表現している。

「そうですね……。そろそろ戻って来ていただかないと色々と困ります」

 本当に?と聞きたくなるくらい感情が籠ってない様子で川上さんが言う。

「日報見た感じ色々と立て込んでるんじゃなーい?」

 そう言って机に座っているのは川上さんと同じ今日の夜勤者で男性型機械生命体アンドロイドの吉田さんだ。

 川上さんはじっと吉田さんを見る。

「机の上に座らないでください。お行儀が悪いですよ」

「おっと。ごめんごめん。つい癖でね」

 川上さんは何か言おうとしてはぁ、とため息を吐いて言うのを止めてしまった。

 恐らく今まで同じやり取りを何度も繰り返しているのだろう。

「いやー悪かったなあ。すまんすまん。あ、桐須と椎名さんは風呂ありがとうな」

 口調の割に全く悪びれた様子もなく、大量のコピー用紙を手に持った桂木さんが支援員室へと漸く戻って来た。

「やっぱ大変だったんですか?」

「まー……。うん。そりゃあなぁ。ただ良いか悪いか。トントンで事が運びそうなんだわ」

「なるほど」

 椎名さんと桂木さんが話している内容が詳しくは分からないまま、俺は話を聞いていた。

「さて、と」

 ぱん、と手を合わせて椎名さんは俺と川上さんを見る。

「桂木さーん。今度はうちら抜けて良いですか?ていうか私、今日入浴手伝ったので時間外出ますよね?」

 にやっと笑いながら椎名さんは言う。

「あー……そうだな。俺が頼んだからなぁ……帰る前に時間外出しといてくれや」

「りょーかいっす。じゃあ二人ともちょっとお時間頂戴ねー」

 椎名さんは妙に中身の膨らんだバッグを肩に掛け俺と川上さんの手を引く。

「えっ、わっ」

「ちょっと、引っ張らないでくださいっ。あっ夕飯の時間には戻りますからっ!」

 戸惑う俺と文句を言う川上さんを後目に、椎名さんは俺達を半ば強制連行していった。


 連れてこられた場所はレクリエーションルーム、通称レク室。

 主に身体を使ったレクリエーションや行事の出し物で使用される場所だった。

「ちょっと待っててねー」

 椎名さんは鞄から四脚を付けたホログラムプロジェクターを取り出すとレク室の中央に置く。

「ちゃんと動くかな……っと」

 そして電源を入れると、室内には足元まで煌く星の海が映し出された。

「おおっ」

 思わず感嘆の声を上げてしまう俺。

「安物の割には中々っしょ」

「そうですね……。綺麗だと思います」

 川上さんが上下左右に煌く星に手を伸ばしながら言う。

 その口調は仕事中のものよりどこか優し気だ。

「さてさて。雰囲気も出たところで~?」

 椎名さんはまたごそごそとまた鞄の中から二つのものを取り出す。

「あっ」

 それには見覚えがあった。昨日俺が買いだしてきたAR衣装だった。

「そ。これを二人に上げるからそれぞれで調整キャリブレーションしてみて」

 言われるまま衣装データをインストールし、肩幅や身長などを調整していく。

「出来ました」

「こっちも出来ました」

「うんうんいいねー。二人とも似合ってるよ」

 彦星が似合ってる、というのは誉め言葉なのか分からなかった。

 けれど。

「———————」

 ちょっと、申し訳ないが見惚れてしまった。

 川上さんの普段のイメージは「着飾れば美人そうなのに」という感じだ。

 少しきつめの目つきも、細い眉も。ゴムで留めただけの黒髪も。

 それが、『織姫』という衣装に合わせられるとどうだろう。

 大昔の十二単のような煌びやかな衣装を纏い、きりりとした目元を引き立たせるような化粧、黒髪は艶を帯びていてどこか色気を感じさせる。

 はっきり言って、美人だと思った。

「桐須さん?どうしたんですか?」

 怪訝そうな顔で俺を見る川上さん。

「べっ、別になんでもないですよ!!」

 自分の顔が熱くなるのを感じた。

 助けを求めるように椎名さんを見ると心底楽しそうに笑っていた。

 あれは、絶対俺がどんな気持ちでいるのかを分かっている。

「はぁ。では始めましょうか」

「はじめっ!?はい!?」

 うわずった声が出てしまう。

「ですから劇の練習です。椎名さん。台本ください」

「くく……っ、あぁ。はいはい台本ね。いやーしかしそっかー」

 テキストデータを受信したことをAR眼鏡が告げる。

 それを視界の端に置こうとして―――、やっぱり織姫を直視できなくて中央に配置することにした。

 ちなみに練習結果は、俺が色んな意味で大根役者すぎて二人に呆れられるという結果に終わった。

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