その二十五 入浴

 和室で朝コンビニで買ってきたパンをもそももそと齧り、それをスポーツドリンクで流し込むと俺はようやく一息付いた、という実感を得る。

 なんだかんだで仕事中というのは利用者の反応や目に見えない部分にもセンサーを立てておかなければならないため、一見何もしていない時でも神経が磨り減るような思いをする。

 せめて休憩中くらいはそのセンサーをオフにして休ませなければやっていられないというものだ。

 外骨格スーツを脱いだ俺は畳の上に身を投げ出す。ひんやりとした感覚が気持ち良い。館内は季節柄冷房を入れているが、それとはまだ違った心地よさがある。

 目を閉じ深呼吸をしていると、ふっと意識が落ちそうになる。

 あらかじめセットしていたアラームがなり休憩時間の終了を知らせ、俺は欠伸を噛み殺し、再び外骨格スーツを装着すると現場へ出る。


「お、休めた?」

「まあ、なんとかお陰様で」

「そりゃ良かった」

 さて、と少し勿体ぶって椎名さんは言う。

「悪い知らせがあります」

「良い知らせはないんですか」

「ないんだなーこれが」

 肩を竦めやれやれという感じで椎名さんは首を振る。

「予想通りというべきか、桂木さんはやっぱり話が長引くみたいなので現場こっちに出れないって」

「あー……勘、当たっちゃいましたね」

「でしょー。そんなわけで桐須君中お願いね。看護師さんには連絡入れたし私は脱衣所の方と洗濯やってるから」

「分かりました」

 返事をし、除染槽ふろばの状態を確認する。槽内にはきちんと除染液が張り巡らされており、いつでも入浴が出来る状態となっていた。

「失礼します」

 看護士さんが支援員室へ来てくれた。

「すいません看護士さんお忙しいのに」

「い、いえいえ。医務室でなくても出来るお仕事ならありますから」

 椎名さんの言葉に看護師さんは両手を振って言う。

「それじゃ放送入れますね」

「あいよ。私は脱衣所で待ってるから」


『あ、あー。えー。ただいまから入浴の時間となります。Aユニット女性の利用者様は脱衣所前へお越しください。繰り返し連絡します―――』

 今日何度目かの放送を終え、看護師さんへ連絡をする。

「すいませんが支援員室こっちよろしくお願いしますね」

「あ、はい。頑張ってください」

 なるべく慌てず、けれども急いで、俺は脱衣所へと向かった。


 脱衣所の前では既に、多くの利用者が鮨詰め状態の一歩手前、というところまで溢れかえっていた。まだAユニットの人が入ってすらいないのに、中にはEユニットの人もいる。

「お、桐須さんお疲れ。今日中居るのかい?」

「ええ、そうですよ」

「あんま無理しないで頑張んなよ」

「ありがとうございます」

 利用者と挨拶を交わしながら「ちょっと通してくださいねー」と声掛けをしながら人込みの間を縫って脱衣所へたどり着く。

「ほいいらっしゃい」

 椎名さんが出迎えてくれた。

 脱衣所内には既に四、五人の利用者が集まっており、洋服や、人によっては生体スキンを一度脱いでいる人も居る。

 全部を脱ぎ素体、とでもいえばいいのだろうか。

 彼らが機械であり、有機生命体である人間ヒューマンとはどこか根本的に違うんだな、なんてことを実感してしまった。

「桐須さんそんな驚いた顔しないでよ」

 利用者の一人がこちらを見透かしたように声を掛ける。

「え、あ、そんな顔してました?」

 素体姿のままだと今まで認識していた特徴がほぼなくなってしまい、誰だかが分からなくなってしまう。

「まあ仕方ないけどね。ほんじゃ私は先に一っ風呂浴びてくるわー」

 あはは、と笑いながら中に入って行く利用者の一人を見送り、自分も中へ入って行こうとする。

「あんま気落ちしないの。そういうの、利用者さんはよく見てるよ?」

 椎名さんが俺の肩をぽん、と叩きながら言う。

「……すいません」

「謝るこっちゃないよ。大丈夫。今出来なくてもいずれ出来るようになるから」

「……はい」

「ほれ!胸張ってとにかく中行け!」

 背中を思いっきり叩かれる。

 外骨格スーツ越しに衝撃が伝わってくる。

「痛っっ!!」

 それが椎名さんなりに励ましてくれていると伝わって来たので

「ありがとうございます」

 とお礼を言い浴室内へ入って行く。

「うむ。悩め若人。迷ったらおばちゃんが今みたいに背中叩いてやっからな!」

「相談に乗って解決まで付き合ってくださいよ」

「それは気分とそいつを気に入ってるかどうかだねえ」

 なんというか……らしい答えだった。


 浴室内での職員の仕事というのは実は余りなく、どちらかというと見守りがメインになる。

 後は自分で手が届かないとこを洗って欲しいとか、そういった人の手伝いをすることくらいか。

 一部介助が必要な人が数名、全介助が必要なのは辻井さんくらいなので彼女が来るまでは話しかけてくれる利用者と雑談をしながら過ごすこととなった。


「辻井さん入れるよー」

 そういって脱衣所と浴室の間のドアが開き、入浴用車椅子に乗った辻井さんが運ばれてくる。

「はーい」

と返事をし車椅子を浴室内へと入れた俺は、一番手前の洗浄所へ車椅子を移動させる。

「辻井さん、ここ掴まれますか?」

 手すりのところを指差す。

「うん」

 と辻井さんは返事をすると、ゆっくり腰を持ち上げる。

 手すりに捕まり立ち上がったところで

「少しそのままで待っててくださいね」

 スポンジを手に持ち、洗浄用の泡を手に付けごしごしと洗っていく。

 それをシャワーで手早く流して再び車椅子の上に座ってもらう。

「じゃあお風呂の方、行きましょうか」

 声掛けを行い、車椅子ごと入浴が可能な機械浴槽へ車椅子を固定する。

 車椅子は機械操作によって専用の浴槽へ運ばれて行き、数分間除染を行う。

 時間が経ち、車椅子が元の位置に戻ってくると、辻井さんに声を掛ける。

「気持ち良かったですか?」

「うん」

 と楽しそうに辻井さんが答えてくれたので俺もなんだか嬉しくなって

「良かったですね」

 と言った。

「それじゃあ上がりましょうか」

「はいよ」

 というやり取りの後、脱衣所へ居る椎名さんへ声掛けをする。

「辻井さん上がるのでお願いしていいですかー?」

「いいよー」

 すぐ椎名さんが入口までやってきて、車椅子を預ける。

「それじゃ辻井さん。あっちで着替えましょうねー」

「うん、ありがとねえ」

「いえいえ」

 というやり取りを聞きながら、俺はまた浴室へ入ってくる利用者の一部介助を行い、送り出した。

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