その三十 七夕会 昼食

 笹の枝が垂れ下がるほど短冊が枝に結ばれる。

 切実な願いも、有体な願いも。利己的なものも。他者の為のものも。

 それが叶うかは分からないが、『願う』という行為に意味があるのだろう。

 辻井さんの笑顔を見ているとそんな気がした。

「皆大体書き終わりましたかー?」

 椎名さんがデイルーム中に響く。

「あっ、居室の人たちにも声掛けてきます」

「では私も」

 俺と川上さんはそう言うと慌てて館内を奔走する。

 何人かは既に居室で書いてデイルームまで持ってきてくれたので、回る件数としてはそう多くない。

 居室を回り「短冊集めてるんですけどどうですか?」と声を掛けると回収待ちだったのか「来るのが遅い」なんてご立腹な方もいたのだがまぁまぁ、比較的スムーズに回収することが出来た。

「おかえり」

 デイルームに戻ると椎名さんが今日何度目かの言葉を掛けてくれた。

「遅いって怒られちゃいました」

 苦笑して集めた短冊を枝に結ぶ。

「何ぃ?文句があるなら自分で出しに来いっての」

 自分が言われたわけではないのに椎名さんは自分のことのように怒っている。

「まぁまぁ。別に気にしてませんし大丈夫ですよ」

 俺が宥めるように言うと椎名さんはじっと俺の顔を見つめる。

「な、なんですか?」

 椎名さんはそれに答えずじぃっと、食い入るように俺の顔を覗き続ける。

「なんかあった?」

「え?」

「いや、少し気落ちしているように見えたからさ。

「そう……ですね」

 俺は辻井さんの短冊のことを話す。

「なるほどねえ……」

 椎名さんは納得したように首を縦に振る。

「共感したり、利用者に寄り添ってあげること。それは職員としてとても大事なことだと思うよあたしは」

 その上で、と言葉を区切り椎名さんは言う。

「でもそこで感情に引っ張られないようにしないとね。仕事に影響出ちゃうよ。今みらいに」

「えっ」

 言われて自分の頬を手で触る。

「……出てましたか?」

「うむ」

 得意そうに腕を組み、椎名さんは言う。その瞳はどこか優しい。

「暗い顔しちゃうと利用者も心配しちゃうからね。気を付けろ、なんていうのはおこがましい気もするけどね。そうやって感情を素直に表現出来るのは桐須君の良いところだとあたしは思うな」

 言った後で椎名さんは恥ずかしそうに頬を掻く。

「ってなんかあたし偉そうだねー!あははごめんごめん!何かキミ見てると弟みたいで放っておけなくてさー!」

 早口でそう捲し立てると椎名さんは背を向ける。

「さてと!結んだら次はお昼の準備だよ!こっから結構忙しくなるから覚悟しとけよー?」

 肩越しに首だけをこちらへ向けて椎名さんは脅かすような口調で言う。

「ところで」

「うわあっ!?」

 川上さんが間を縫って会話に入る。

「びっくりしました……」

「失礼。私も居室の方から短冊頂いてきたので」

 俺と椎名さんの間をすたすたと横切り、川上さんは枝に短冊を結んでいく。

「私は良いと思いますよ?」

「え?」

 何のことだか分からなかった。

「利用者と一緒に一喜一憂するのも、職員の在り方としてあっていいと思います。何より」

 短冊を結び終えた川上さんはこちらを振り返る。

「そう言う方が桐須さんあなたらしいと思います」

 結んだ紙が振り返った勢いで一拍置いて揺れる。そして彼女はにこかやかに笑った。

 その言葉と彼女の笑顔に何と返して良いか分からなくて、俺は頬を掻いて。

「あざす」

 と言うのが精一杯だった。


 デイルームの見守りを横山さんに頼んで、係である俺と椎名さん、川上さんの3人は食堂へとやってきた。もうすぐ昼食の時間なので、テーブルの配置換えや食堂の飾り付けをしなければならない。

「細かい作業、苦手そうですよね」と川上さんにばっさり言われた俺は―――実際その通りなのだが。力仕事ということでテーブルの配置変えを行っている。

「椎名さーん!この辺で良いですかー!?」

「あー、もうちょい手前……そうそう!その辺でいいよー!」

 テーブルを言われた地点へと置く。

「とりあえずこっち終わりましたけど……次何すればいいですか?」

「お、じゃあ食事細かくするからそれ手伝って」

 そう言って渡されたのはキッチンばさみ―――の機械食用だった。要するに硬い金属でも切断出来るようなハサミだ。

「とりあえず主菜一口大を……五人分作って」

「分かりました」

 厨房のカウンターに置かれた―――人間おれには金属の塊にしか見えない楕円状の主菜に挟みを入れる。軽い抵抗の後にちょきん、という些か間抜けにも聞こえる音がし、切断面が出来る。それを何度か繰り返すと楕円状の金属塊は、隅っこの部分を除いて賽の目状のブロックになった。

「こんな感じで良いですかね?」

 出来上がった一つを椎名さんに確認してもらう。

「ん?おー上等上等」

 出来上がったブロックを見て椎名さんは頷く。

「にしても凝ってますねこれ」

 そう言って俺はトレイに盛られた金属の中の一つを指差す。

「あー。ま、やっぱ七夕だしね?お願いしたの」

「なるほど」

 それは、星型の形に成形された他の金属よりも幾分弾力性を持った、半固形のものだった。恐らく人間ヒューマンの食べ物で言えばグミのようなものだろう。

 それから黙々と金属塊をブロック状になるまで切っていくと、あっという間に人数分が出来上がった。

「おーし。ありがとありがと。川上さんもどう?」

 椎名さんは飾り付けをしている川上さんへ声を掛ける。

「こちらももう終わります」

「おっけ。じゃあちょっと待って。あ、あー。横山君?聞こえるー?」

 椎名さんは耳に手を当ててデイルームにいる横山さんに通信を掛ける。

「うん。こっちの準備出来たから。……そうだねー。テーブル単位で順に行こっか。……。うん。タイミングはこっちで出すからチャンネルこのまま開いといて」

 そう言って椎名さんは俺と川上さんを見る。

 ここからの俺達の役割はテーブル毎に入ってくる利用者をネームプレートの置かれた席へと誘導することである。一つのテーブルにつき四~五人掛けになっているので十回程やることになりそうだ。

 そんなことを思っている内に足音が近付いてくる。最初のグループのようだ。

「じゃあ俺入口に立ってるので川上さん誘導いいですか?」

 こくん、と川上さんが頷く。

「はいじゃあAテーブルの方ー!川上さんの誘導に従ってくださーい!」

「Aテーブルの方、こちらでーす!お席に名前書いてありますのでお間違えのないように気を付けてくださいねー!」

 Aと書かれたテーブルの手前で川上さんが手を挙げている。利用者はそれに従って席に座っていく。

 椎名さんを見ると無線で横山さんとやり取りをしているようだ。

「あ、Bテーブルの皆さん。少しお待ちくださいね」

 Aテーブルが座り終え、川上さんの準備が出来るまで少しの間が出来る。

「Bいけまーす」

「はい、じゃあBテーブルの方、川上さんのところまでどうぞー」

 このようなやり取りを何度か繰り返し、全員が席に着く。

「おーし向こうもう誰も居ねーぞー」

 最後に、辻井さんの車椅子を押して横山さんがやって来る。

 俺はAR眼鏡に企画書のデータを映し座席表をチェックする。

「えーと……こっちも辻井さん以外は全員いますね」

「おっし。そしたら俺らも座ろうぜ」

 再び座席表に目をやり、自分の座るテーブルがどこなのかを確認する。

 俺は一番出入口側のJテーブルに配置されていた。

「お邪魔します」

 と声を掛け椅子の一つに腰掛ける。

「おー桐須さんいらっしゃい」

「ご飯、美味しそうですね」

 と言うとその利用者は笑った。

人間ヒューマンのあんたが機械生命体アンドロイドの飯を美味そうに見えたらマズいでしょ」

「確かに。お世辞だったのがバレましたか」

「わはは。面白いねえ」 

 その利用者はまた笑った。

『あ、あー。あー。後ろの方、聞こえますかー?』

 拡声器を通して椎名さんが呼びかけてきたので、確認の意味で手を挙げる。

『OK?ありがとありがと。えー。それでは只今より七夕会の食事会を始めたいと思いまーす!』

 ぱちぱちぱち、といういくつかの音とかしゃんかしゃんかしゃん、という音が重なる。

『えーお食事を始める前に、施設長よりご挨拶のお言葉を頂きたいと思います。では施設長、お願いします』

 椎名さんの言葉の後に、スラックスにジャージを羽織った施設長が一礼をする。

『えー。皆さん。お腹も空いているでしょうから手短にね。行こうと思います』

 食堂内にくすくすと笑い声が聞こえる 

『今年も元気に七夕会を迎えられて嬉しく思います。これからまた色んな行事が残っています。それらもここに居る皆さんと迎えたいと思います。それでは皆さん、グラスをお持ちください』

 着席している利用者が飲み物の入ったグラスを手に取り、掲げる。

『それでは、乾杯!』

 かんぱーい!と声が重なり、食事の時間となっていく。

 こうなってくると職員は基本的にあまりすることがないのだが―――。

「辻井さん」

 俺は自分のいるテーブルに辻井さんが居たことに気付いて声を掛ける。

「なあに?」

「ご飯ですよ?今日は七夕だから特別メニューなんですよ」

 そう言ってトレイを見せる。

 辻井さんはやはり、というべきか。そこで初めてその存在に気付いたようで「まあ!」と大袈裟に見えるくらい驚いた声を上げた。

「とても美味しそうね」

「ええ。そうですね」

「じゃあ、頂いちゃおうかしら」

 そう言って手を合わせたものの、辻井さんはそこで手を止めてしまう。

「どうされました?」

「…………」

 沈黙が返ってきた。本人も困惑して言葉が出てこないようだ。

「ええと……」

「大丈夫ですよ」

 安心してもらおうと俺は言葉を口にする。

 辻井さんは沈黙の末ーーー漸く言葉を発する。

「どうやって食べるんだったかしら……?」

 また、胸が痛むのを感じた。なるべく表情に出ないように努めた、と思う。

「お手伝い、しましょうか?」

「良いの?」

「ええ」

「悪いわねえ」

「お気になさらないでください」

 トレイの上に置かれた介助用のスプーンを手に取り、主菜を一欠片掬う。それを口元まで運ぶとマスク部分がシャコン、と音を立てて開く。

 ゆっくりとその中に金属塊を乗せると、スプーンを取り出す。

 マスク部分が閉じ金属塊が飲み込まれていく。

「美味しいですか?」

「ええ。とっても」

 本当に美味しそうな声だった。

 そこに、ぱしゃりと音が聞こえる。

 コンパクトカメラを抱えた川上さんだった。

「急に撮ってしまい、すいません」

 ぺこり、と川上さんは身体を曲げる。

「とても、幸せそうだったので」 

 幸せなのだろうかと思ってしまった。

 今回はたまたまだったのかもしれないが、今まで出来ていたことが出来なくなっているのに。

 言葉を詰まらせる俺とは対照的に、辻井さんはくすぐったそうな声で言う。

「やだ。恥ずかしいじゃない」

「ええ、ですからすいません。どうしても嫌でしたら……」

「そこまでじゃないわよ。でもこの方、優しいでしょう?」

 辻井さんがそう言って俺の手を握る。

 金属で出来た指先マニュピレーターは俺の手の熱が写ったのか、ほんのりと暖かい。

「そんなことは、ないですよ」

 そう言うのが精一杯だった。

「さあ、ご飯まだありますよ?食べられそうですか?」

 無理やり話を逸らす為に、スプーンまた金属塊を乗せる。

 結局辻井さんは、介助ではあるが全量することが出来た。




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