その十六 午後

 買い物から戻った俺は、施設の駐車場へ車を停めると事務所へ報告をする。

「戻りました」

「おかえりー」

 上田さんが柿の種を食べながら迎えてくれる。

「これお釣りです」

 領収証のデータを上田さんに送る。

「はいはい。では確かに受け取りました。後はこっちで処理するから大丈夫だよ」

「すいませんありがとうございます」

 礼をし「失礼しました」と事務所を後にする。

「おっどっか行ってたの?」

 事務所から支援員室まで歩いていく途中で金本さんが声を掛けてくる。

「ちょっと行事関連で買い物に行ってました」

「そっかーご苦労さんだねえ」

「いえいえ。お仕事ですから」

「それもそっか」

 そう言って大笑いをする金本さんに「それじゃあまた」と言い今度こそ支援室へ戻る。

「戻りましたー」

「おかえりー。いやほんと助かったわ」

「とりあえず衣装データこんな感じので大丈夫ですかね?」

 俺は先ほど購入した衣装データ―――織姫と彦星用、あとオマケに着いてきた牛のデータを展開し椎名さんに見せる。

 七夕でいう織姫と彦星の言い伝えは簡単に言ってしまうとこうだ。

『機織りの上手な織姫と牛飼いの彦星は共に働き者であり、結婚したが幸せ過ぎて仕事をしなくなってしまう。神様は怒って天の川を挟んで二人を引き裂くが二人とも余りにも気落ちしてしまった為一年に一度、七月七日にだけ会うことを許した』

「織姫の恰好はなんとなく浴衣っぽいデザインで良いのかなと思ったんですけど彦星は甚兵衛とかで良いですかね?」

「んー良いんじゃないかな。要は雰囲気よ雰囲気。あ、あとこれ新しくなった企画書ね」

 書類データが送られて来たのでファイルを展開する。当日のタイムスケジュールや準備物の一覧がそこには記されており―――。

「あの、椎名さん」

「どしたい?」

「気のせいでしょうか?タイムスケジュール見ると午後から『演劇:織姫と彦星伝説』って書いてあるんですけど」

「残念ながら気のせいじゃないねぇ」

「マジすか……」

「マジですよ」

 そう、そこだけならまだ良いのだ。更に気になったところが一つ。

「彦星役に俺の名前が入ってるのは……」

「それも気のせいじゃないねえ」

 自分でも分かるくらいがっくりと肩を落とす。

「俺、劇に出るのなんて小学生以来なんですけど……しかも……」

「あ、もしかして木の役とか?」

「なんで分かったんですか」

「いやあ似合いそうだなあって」

 それ、どう頑張っても誉め言葉にならないと思います。

「まぁまぁ。そんな堅苦しく考えなくてもいいよ。ぶっちゃけた話真面目に演劇を楽しみにしている人の方が少数だと思うし」

「はぁ……」

 ため息を付きながら再度企画書に目を走らせるとまたも気になるところが。

「織姫役……川上さんなんですか?」

「そだよー。ほら、若い方がやっぱり受けが良いからさ。桂木さんにシフト調整頼んだから、今頃ぶつくさ言いながら再調整してるんじゃない?」

 あぁ……それはなんか見える……。

「ていうか行事一週間前でこれって……」

 最後まで言い切る前に椎名さんが俺の肩に手を置く。

「現場はいつだって動いているんだよ。行事の予定だって然り。つねに流動しているのだ」

 妙に重みのある言葉だった。

「色々後回しにしていたが回って来ただけでしょう」

 椎名さんの後ろを背筋を伸ばした姿勢で通りがかった川上さんが一言呟いていく。

「ぐはぁっ!?川上さんごめんてーーー!!」

「いえ、怒ってませんし?ただ私もそういう役回りになるのならもう少し早めに報告が欲しかったなと思っただけですよ?」

 にこりと笑顔で言う川上さんだが目の奥が笑っていない気がして俺は七月にも関わらずぶるりと寒気を感じた。

「と、とりあえず当日はお願いしますね……」

「当日?何を言ってるの?」

 川上さんはキリっと目を細めて言う。

「利用者の皆さんを楽しませる為には『全力で』やりますよ!!」

 拳を握り締めて言う川上さんを見ながら俺は椎名さんに耳打ちする。

(川上さんてもしかしてこういう行事好きなんですか?)

(正確には違うかなー。彼女、利用者の喜ぶところが好きなのよ)

 なるほど、と頷くと同時に川上さんに抱いていたイメージが大きく変わる。

「と、いうわけで」

 ひとしきり情熱を吐き出し落ち着いたのか、川上さんが俺と椎名さんの方を向く。

「お二人とも今日は早番ですよね?」

「「は、はい」」

 思わず同時に言葉を発する。

「椎名さんはその劇の台本を明日までに考えてくるように」

「ひぇっ!?」

 椎名さんが悲鳴を上げる。

「ここまでギリギリになったんですからそれくらいの無茶はしてくださいよ。何もアカデミー賞ものの脚本を作れ、なんて言うつもりはありませんし。大道具小道具はホログラムやAR機能を使えばなんとかなるでしょう?」

「まー……そうですね。がんばります……」

 椎名さんの返事に満足したのか川上さんは今度は俺を見る。

「桐須さんは体調管理をしっかり行ってください。当日休まないでくださいよ」

「は、はい……」

 あまりの圧にそう答えるしか出来なかった。

「あ、そろそろおやつの準備の時間ですね」

 時計を確認すると14:30を指していた。

「私飲み物の準備するのでお二人は誘導と清拭の方をお願いしていいですか?」

「はーい」

「分かりました」

 ぱたぱたと小走りで食堂へ向かう川上さんを見送る俺と椎名さん。

「……一番厄介な人に火を付けてしまったかもしれない」

「いやぁ……意外でした」

「意外?」

 椎名さんが俺の方を向く。

「川上さんてもっとクールというかドライなイメージがあったので……」

 そういうと椎名さんは笑い声を上げる。

「え?え?」

「そっかー桐須君にはそう見えてたのかー」

「あ、いや。あまりシフトが一緒になったこともないので……」

「まぁそう見えるかもしれないけどね。あの子、利用者のこと好きだからさ」

「はぁ……」

 俺のあまり意味の分かっていないような返事に椎名さんは顎に手を当てて唸る。

「んー……。ほら、ここに来る人って色々とワケ有りの人が多いじゃない?」

「そうですね」

 事情は人それぞれだが、ここに入所している人の多くが『何らかの事情で行く宛てがない』という共通項目を持っていることは確かだ。

「だからここに居る間くらいは楽しい思いをして欲しいんだって」

「……なるほど。じゃあ、七夕、頑張らないとですね」

「七夕に限った話じゃないけどね。あと、桐須君」

 これまでで一番真剣な表情で椎名さんが俺を見る。

「な、なんでしょう」

 思わず身構えてしまう俺に、椎名さんはたっぷりと情感を込めて言う。

「…………………行事の計画書は、早めに終わらせようね」

「………………覚えておきます」

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