第24話

 小走りで屋上へ戻った俺は重たい石扉を開けて中へ入る。家の中にはアリス、雫、青木、千葉、松田、六道、それになぜか大浴場ではなくうちの風呂へ入りに来ていた伊集院先輩の姿があった。


「ご苦労様ですわ……って、何かありましたの? 顔が怖いですわよ?」

「文吉……?」


 俺は六道が差し出してくれたコップ一杯の水を一気に飲み干し、それをテーブルに叩きつけた。

 俺の態度から何かを察した雫たちが怪訝に顔を見合わせている。


「みんなに……伝えなきゃいけないことがある。大至急だ!」

「先ほど文吉が魔術師同盟の者と話をしていたのを屋上から確認していが……。何かあったのだな?」


 アリスの問いかけに俺は「ああ」と小さく頷き、皆に椅子へ座るよう促した。

 落ち着いたところで雫と六道がポップルティーをそれぞれの前へ差し出してくれて、全員が着席したのを確認し、俺は先ほど須藤から聞いた話を皆に伝えた。


 どんよりとした重々しい空気が漂う。

 松田は雫と六道の顔を交互に見やり、「ウチら……死んでたんか……」と空笑いを浮かべていた。アリスも本当は自身が死んでいたという話を聞かされて、テーブルの下で握りしめた拳が真っ白に染まってしまうほど、強く握り過ぎた拳が震えている。


「私はあの日……死んでいたのだな」


 振り絞るように吐き出された声音が鼓膜を揺らすけれど、俺はその問いに何と答えていいものか分からず、ただ項垂れるように俯くことしか出来なかった。


「ちょっと待ってくれよ。確かに須藤の未来予知は当たると評判だけどさ、ならなぜ文吉が関わると外れるんだよ!」

「確かに青木君の言う通り……不思議だよね」


 青木のもっともな意見に答えることのできる者など、この場にはいない。俺自身、なぜ自分が須藤の未来予知に引っ掛からないのかが分からずにいたのだ。


「ステータス……文吉の黒く染まったステータスと何か関係があるんじゃないかな?」


 静かに声を震わせたのは雫だった。

 誰もがそれしか考えられないと無言で頷くが、確証がない。仮にそれが分かったところで、須藤の言っていたゴブリンキングの襲撃を回避できるとは思えない。


「夢……文吉が子供の頃からずっと見ている夢と何か関係してないかな?」


 唐突にそんなことを言い出したのは、当然雫だ。俺は彼女以外に夢の出来事を話したことなどないのだから。


「夢って……何ですの?」

「文吉はね、昔から繰り返し同じ夢を見てるの。……あたしずっと気になっていたんだ、どうして文吉だけステータスが見えないのか」

「それと何か関係があるって言いたいのか? だけどあれはただの夢だぞ!」

「でも文吉教えてくれたじゃない! アリスを助ける時にも奇妙な映像が頭の中で流れたって」


 コボルトたちから雫たちを助ける際、俺はすべてを話すと彼女に約束した。その時にあの謎の現象についても話していたのだが、こんなことを話せるのは雫だからだ。当然……他の者には伝えていなかった。伝えられる訳もない。頭がおかしくなったと思われるのが関の山だ。


 しかし、夢のことや、あの奇妙な現象について一切話していなかったアリスは、面白くなさそうな視線を俺へ向け、頬を膨らませながら薄い唇を尖らせる。


「夢とは何だ! あの現象とは何だ! 私は聞いていないぞっ!」

「ただの夢だよ。それにあれは俺のただの妄想かも知れないんだ」

「お、同じですぅ」

「え……同じ?」


 黙って話を聞いていた六道が自分も同じだと奇妙なことを口にする。


「六道さんも……昔から同じ夢を見るの?」

「い、いいえ。こっ、ここへやって来てから……き、きき聞こえるんです」

「聞こえるって何がや?」

「へっ、へへ変な……声が、そ、その……頭の中に聞こえるんです」


 変な声が聞こえる……?

 俺と同じ幻聴を六道も聞いていたのか。そう思ったのだが、詳しく話を聞いてみると少し違う。


 六道は時々頭の中にもう一人の自分が見えるという。もう一人の自分は真っ暗な部屋で意匠が施された椅子に深々と腰かけており、ずっと自分に悪態をついているのだと……訳のわからないことを言い始めた。


「わ、わわわたし自分の頭がおかしくなったんだと思って……こ、怖かったんです。だ、だから……今まで誰にも言えませんでした」

「その声はそんなに頻繁に聞こえるのか?」

「はっ、はい。ひ、ひひどいい時には一日中聞こえています!」


 俺より酷いな。

 さすがに俺のは一日中聞こえるなんてことはない。ごく稀に聞こえるだけだ。


「今も聞こえているんですの?」

「はっ、はい。クク、クロノスと話をさせろと……よ、よくわからないことを叫んでいます」

「誰だよそれっ!」


 青木の的確なツッコミが冴え渡る。ハーフ美少女のアリスならいるが……ここに外国人はいない。


 すると、伊集院先輩が六道に尋ねる。


「深雪さんでしたわね。あなたの【職業】はなんですの?」


 伊集院先輩の質問に、六道は顔を真っ赤にして俯いてしまう。当然と言えば当然だ。

 彼女の【職業】は中二病。そんなおかしな【職業】……というか、それが【職業】なのかどうかも甚だ疑問である。


 それを内気で人見知りの六道が堂々と言える訳もない。なので代わりに松田が説明している。


「なんですの……それ? それは……その、【職業】ですの?」


 当然のリアクションと返答が伊集院先輩より返ってくる。

 その度に益々リンゴのように真っ赤に染まる六道。余程恥ずかしいのだろう。


「そないなこと言うたって【職業】って記載されてるんやから【職業】なんやろ? 六道さんも恥ずかしいがってたらあかんよ。立派な【職業】なんやから自信持ちや! ここには相撲取りも居るんやから」

「関取だよ! 勝手に俺の【職業】を相撲取りに変えるなよ!」

「似たようなもんやろ! それに……横綱やないのが妙にリアルやな」


 陰湿な空気が漂う部屋の中に、クスクスと笑う松田の存在が電球のように光をさす。

 彼女の存在に少しだけ救われた気分になる。

 松田はこの場を和ませようと、人一倍気遣ってくれているのかも知れない。


「中二病のスキルは何だ?」


 そんな中、最も大切なことを冷静に確認するアリス。


「じ、人格変異……ですぅ」


「なるほど」と一人納得したように頷くアリスに、伊集院先輩が「何がなるほどですの?」と人差し指を下唇に押し当てて小首を傾げる。


「声の主はその能力で生まれた、もう一人の自分なのではないのか?」

「確かに! それなら六道さんの頭の中に聞こえる声ってのも説明がつくね。早い話が六道さんのスキルは、この困難な状況を生き抜くために多重人格を作り出すというもの何じゃないのかな?」


 千葉の導き出した意見に、否定的な意見をぶつけるのは青木だ。


「なら……クロノスって何だよ」


 至極真っ当な青木の一言により、すべてが論破されてしまう。


「ここで話していても埒が明かんっ! 本人に直接聞くのが手っ取り早いな」

「えっ!?」

「六道、能力を発動するのだ!」

「で、でも……」


 痺れを切らしたアリスが六道にスキルを発動するように促している。最早……みんな俺のことなど二の次になっており、六道の謎のスキルに興味津々のご様子。


「六道さん……いざとなった時、また桂が助けてくれる訳やないんよ? ウチらはやれることをせなあかんねん。分かるよね?」

「怖いかも知れないけど……頑張ろうよ、六道さん!」


 松田と雫の後押しもあり、六道はスキル人格変異を発動する気になったようだ。


「やや、やってみますっ!」


 席を立った六道が瞼を閉ざし、小さな胸の前で祈りを捧げるように手を組む。前髪が邪魔でその表情は確認できないが、緊張感がひしひしと伝わってきた。


 息を飲んで皆が六道に注視すること数秒――部屋の中に風など吹いていないにも関わらず、六道の前髪がふわりと浮き上がり、カッと瞳を開いた。


 眉間に皺を寄せた厳めしい相貌は、俺たちの知っている弱々しい六道ではない。その面構えからはまったくの別人だということが伺えた。


 鬱陶しそうに髪を掻き上げた六道が部屋の中を睥睨し、キリッと鋭い視線を俺へ向けて、目が合う。


 あれ……? なぜか凄く怒っている。

 ガリッと奥歯を噛みしめたかと思うと、突然六道が飛びかかってきた。


「クロノスゥゥウウウウウウウッ――!!」

「うわぁっ!? ちょっ、ちょっと六道さん、やめてよ!?」


 蛙のようにピョンッとテーブルを飛び越えて覆い被さってきた六道さんを、みんなが力強くで引き剥がしてくれる。


「離せやこらァッ! ここで会ったが前世の恨み、てめぇをぶち殺してやらぁっ!?」

「ちょっ、ちょっと六道さんっ!?」

「人格変わり過ぎだろっ!?」

「落ち着いてや、六道さん!」

「誰が六道だァッ! 俺は魔王軍が一人――ユセル・マイアーズ様だァッ! こらァッ!」

「な、なにを訳のわからないことを言っていますの!」

「縄だ、千葉! すぐに縄を持って来い!」


 アリスが機転を利かせ、暴れ狂う六道を縄で縛り上げた。それでもまだ狂ったように喚き散らす六道。


「六道さん狂暴過ぎるやろ!」

「これがあの大人しい深雪さんですの!?」

「まったくの別人だよ……こんなの」


 手が付けられないほど狂暴化した六道は小一時間……散々喚き散らした結果、疲れ果てて意気消沈してしまった。


 いじけたように唇を噛みしめる六道にそっと話しかけると、やはり俺にだけ敵愾心を剥き出しにしてくる。


「クロノスッ! なんでてめぇだけまともに転生してやがんのじゃ! 俺を見ろぉっ! こんなみっともない人間に封じ込められて……可哀想だろうがァッ!!」


 なに言ってんだよ……六道は。


「あのな六道さん。もうちょっと分かるように説明してくれへんか?」

「だ・か・らァッ、六道じゃねぇって言ってんだろ! 俺はユセル・マイアーズ……魔王軍所属の魔族だ!」

「あかん……こりゃ文字通り完全に中二病やわ」

「六道さんが頑なに能力を使うことを拒んでいたのも……納得だね」


 手が付けられないほどの中二病振りに一同困惑していると、目だけで俺を殺そうとしてくる六道から突然殺気が消えた。荒々しい息遣いも収まり、今度はまじまじと俺を見つめてくる。


「お前……何でそんなに弱々しい?」

「え?」


 俺の全身を下から上へ舐め回すように見やる六道が、再びよく分からないことを述べている。


「……クロノス。お前の名前は?」

「へ? ……桂……文吉だけど」

「っ!? ぷっ、ぎゃはははっ――こいつは傑作だァッ! お前転生に失敗したな!」

「転生……?」

「気にしたらあかんよ桂。六道さんは完璧に中二病に侵されてるわ」


 しかし、そんな松田の言葉に一切耳を傾けない六道が話を続ける。


「あーあぁ、せっかくぶち殺せると思ったら……記憶も何もかも失ってるなら意味ねぇなぁ。これじゃあ魂だけ同じ……ただの別人じゃねぇか」

「六……ユセルさんは俺を知ってるんですか?」


 先ほどから俺をクロノスと呼ぶ六道……改めユセル・マイアーズに名を呼ばれる度、胸の奥底で何かが反応するようにチクチクと痛みを覚える。


「知ってるなんてもんじゃねぇよ。てめぇは覚えてねぇかも知れねぇけどなぁ……俺は一度てめぇに殺されてんだ」

「俺が……ユセルさんを殺す?」

「文吉……それは六道が生み出した妄想のような人格に過ぎん。つまりただの妄言だ。気にするな」


 呆れたように嘆息するアリスに、ユセルがケラケラと笑って吹き抜けの窓へ顔を向けた。


「やはりダンジョンか、それにこの臭い……臭せぇ魔力ミストラルが近づいていやがる。さしずめ小鬼の王ってところか」


 ミストラル……だと!?

 なぜ六道が生み出した人格がミストラルという言葉を知っている?

 俺はここまでの経緯を六道たちに語ったが、ミストラルという呼び名を教えた覚えはない。


「臭いで……敵がわかるの?」

「当然だろ。ま、てめぇらみてぇな異界人にはできねぇ芸当だろうよ」


 雫の疑問に情けねぇと肺に溜まった空気を吐き出したユセルは、「俺はこんなのに殺されたのかよ。あぁ、ついてねぇぜ」と半笑いを浮かべている。


「で、てめぇらはいつまでこんなしけたダンジョンに居るつもりだぁ? この体の主が死んじまったら……今度は俺の魂が消滅する恐れがあるだろ。そうなる前にさっさとこいつを連れ出せ! それくらいはてめぇが責任取れよ、クロノス」

「ちょっと深雪さん! あなたここから出る方法を知っていますの?」

「だからそれは六道さんの妄想やって言ってるやろ?」


 少し黙ってくれと松田に掌を突き出す伊集院先輩は、ユセルの前で膝を折って問いかけた。

 その伊集院先輩に呆れたと椅子に腰かけて欠伸をする松田も、まったく興味がないわけではなさそうだ。


「もう一度だけ言ってやる。俺の名はユセル・マイアーズ。つぎ、間違えたらぶち殺すぞ!」

「わ、わかりましたわ。それで……その、ユセルさんはここから出る方法を?」

「その前に……あと一時間もしねぇうちに小便臭せぇ小鬼共が押し寄せて来るぜぇ。まずはそいつを何とかしやがれぇ! じゃねぇとこの体の主が死んじまうだろうがァッ!」


 俺たちは訝しげに顔を見合せた。

 ユセルに聞きたいことは山のようにあったけど、須藤の言っていたゴブリンキングが気になるのも事実だ。


「わたくしは生徒会メンバーに伝令を伝えるように指示を出して来ますわ!」

「私も部員たちに危機を知らせてくる。皆で一丸となればきっと対処できるはずだ」



 飛び出して行った二人の背中から、俺は再びユセルに視線を落とす。


「安心しろ……記憶のねぇお前を殺るのは今はやめだ。それよりこの縄を解きやがれ」




 暴れないと約束してくれたユセルの身体に巻かれた縄を、俺は解くことにした。

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