第23話

 瀬世蛍の死から一週間が過ぎ、ダンジョン生活21日目――省エネからは程遠い生活が俺を待ち受けていた。


 庭先の手摺に寄りかかり見渡した景色は様変わりしており、校舎の裏手には大浴場が建設されている。勿論建てたのは俺だ。


 伊集院先輩にどうしてもと頼まれれば、無下に断る訳にもいかなかった。


 と言っても……実際には錬金術であっという間に建ってしまうので、それほど手間が掛かるわけでもない。


 ただ、面倒臭いことも多々ある。


 これまで須藤茜率いる魔術師同盟は大量の水を有していたにも関わらず、他の生徒に水を分け与えてこなかった。その不満がここへ来て一気に、噴火した火山の如く爆発してしまったのだ。


 俺はこれまでの柵や因縁を捨て去り、大浴場は皆で使うべきだと忠告したのだが……世の中そんなに甘くはない。多くの生徒が魔術師同盟に嫌悪感を抱き、敵意を剥き出しにしていた。


 完全に孤立してしまうこととなった魔術師同盟の、彼らの怒りの矛先は自ずと俺へ向けられる。


 いつものように庭先からプールサイドを見渡していると、遥か前方に須藤茜の姿が見えた。こちらを睨みつけるように見据えている。


 少し怯えているようにも見えるのは気のせいだろうか。


 元々須藤茜にはなぜか嫌われていた俺だが、ここへ来てその嫌われっぷりにも拍車が掛かっていた。


「文吉、茜ちゃんとそんなに仲悪かったけ?」


 そっと俺の横へやって来て、同じように手摺にもたれ掛かった雫が不思議そうに尋ねてくる。


「いや……元々全然話したこともなかったから」

「だよね……。茜ちゃんが文吉にギィッて凄い目を向けるようになったのって……ここへ来て3日目くらいからだよね?」

「ああ、皆がステータスやスキルに夢中になり始めた時くらいからかな?」

「あの時さ……茜ちゃんがぼそっと言ってたんだよね」

「何を?」

「異物が混入してるって」


 異物……はて、何のことだろう。


「そういやウチも聞いたことあるよ」


 と、話に加わって来たのは松田彩加だ。洗い物をしてくれていたのだろうか、腕捲りした手が濡れていた。


「彩加ちゃん何か知ってるの?」

「いや……知ってるって程でもないけど、須藤さんに言われたことがあるんよ。お前はもう直死ぬって」

「えぇ!? それって彩加ちゃんの予言?」

「やと思うよ。ま、実際死にかけたし……強ち間違ってなかったんかもな」

「それと異物が何か関係してるのか?」


 松田に問いかけると、彼女は赤毛をサッと手で払いのけ、俺の目を覗き込んでくる。


「須藤さんが言ってたんやけど……桂の顔が見えへんって」

「俺の顔が見えない……どういうことだ?」

「さぁ……? ただ、あの日からやと思うよ。須藤さんが桂に対してあんなに恐ろしい眼を向けるようになったんわ」


 言いながら、俺たちは再びプールサイドへと視線を移した。そこにはやはり、犬歯を剥き出しにした須藤茜の姿があった。


「ま、あんまり気にせんことやな。須藤さんは元々情緒不安定なところあったし」

「そうなのか?」

「うん。みんなでカラオケに行ったことがあるんだけど、その時……茜ちゃんが塾だったから気を遣って誘わなかったんだよね。そしたら後で取り乱して泣いてたりしたから」


 たかがカラオケに誘われなかったくらいで泣くか? ま、女子は群れる生き物だっていうからな。


「何の話をしてるの?」


 そこへやって来たのは千葉だ。

 雫と松田はどうして俺が須藤に嫌われているのかという話をしていたのだと、嫌な説明の仕方を千葉にしている。


 それを聞いた千葉が思い出したように言う。


「生徒会副会長……太公望秀吉だっけ? あの人を実質ここから追放したのって文吉君だよね?」

「追放したのは鮫島君だけど……まぁそうかな。それが何か関係してるのか?」

「うん。須藤さんは太公望先輩のことが好きだったんじゃないかな?」

「えっ!?」


 まさかの千葉の発言に俺が間の抜けた声音を発すると、それはないと雫がすぐに否定の言葉を口にした。


「どうしてないと言い切れるんや?」


 松田のささやかな疑問に、雫は茜ちゃんの好きな人は常田だとカミングアウトする。

 それを聞いた俺たちに疑問符は浮かばない。寧ろしっくり来た。


 なぜなら、須藤がいつも常田の近くにいる一堂を羨ましそうに見ていたのを、同学年の者なら皆知っていたからだ。

 それに、太公望秀吉を追放する以前から……俺は彼女に嫌われていた。


 仮に太公望が追放される手引きを俺がした、というのなら……話が前後していると思う。


 それにしても……千葉はどうして須藤茜が太公望秀吉を好きだと思ったのだろうか。

 さして興味がある訳でもないので……別にいいか。


「にしても……あのリントウの山は何だ?」


 俺は嫌な話を変えるべく、校庭に積み上げられたリントウの山を見下ろした。


「ああ、鮫島君たちがリントウを片っ端から刈ってきたらしいよ」

「今さら善人ぶって食料を分け与えるとか……完璧に桂への対抗処置やと思うな。ウチは」

「えぇ!? 俺の?」

「校内で覇権を握るための緊急処置ってところだろうね。鮫島君はそういうのうるさそうだから」


 一番目を付けられたくないところから目を付けられてしまったのかも知れないな。これだから知られたくなかったんだ。




 その日の夜――生徒会に給湯器代わりに呼び出された俺が男風呂と女風呂の湯を沸かして外に出ると、須藤茜が腕を組んで待ち受けていた。そこにいつもの取り巻きの姿はなく、一人で俺を待っていたようだった。


「全部あんたのせいだっ!」


 目が合うと開口一番、須藤茜に意味不明な言いがかりを付けられてしまう。


「……須藤さん、一体何のことかな? いきなり俺のせいだと言われてもわからないよ」

「あっしが未来予知で視たこととまるで違うことが起きてるって言ってんのよ! 全部あんたのせいじゃない、顔無しっ!」


 地面を蹴りつけた須藤が、「ちょっとこっちに来いっ!」と俺の腕を引っ張る。

 引っ張られて連れてこられた先には山のように積み上げられたリントウ。ここに何かあるのだろうか。


「これを見なさいよ!」

「はて……これが何か?」

「あんたわかんないわけっ!」

「へ?」

「聞いたけど……あんた鑑定スキルも使えるのよね?」

「ええ……まぁ」

「なら鑑定してみなさいよ!」


 また唐突に何を言い出すのだろうかと、俺は怪訝に眉をひそめる。松田の言う通り須藤は情緒不安定なのだろうか。


 しかし、念のため鑑定してみることとする。


 リントウ――栄養価が非常に高く煮たりすると食べられる。またゴブリンの好物としても広く一般的に知られている。


 以前鑑定した時と何も変わらないが……これが何かあるのか?


「あっしが視て来た未来と何もかもが違う。そして……その中心にはいつもあんたがいるのよ!」

「未来と……違う?」

「そうよ。あっしが視て来た未来では有栖川アリスはここへ来て7日後に、東の通路で一人帰らぬ人となるはずだった」


 アリスが……死んでた!?

 7日目と言えば……確かに俺がアリスを助けた日だ。


「……どういうこと?」


 一切事情がわからない俺が問いかけると、お前のせいだと苛立ちを見せる須藤が激昂する。


「有栖川アリスだけじゃない! 雫も彩加も六道も……みんな死んでいるはずだったのよ。けど彼女たちは生きている。あんたが助けたせいで……死ぬはずだった人間がみんな生きてるのよ! これは矛盾……あんたと言う異物があっしの未来予知を妨害して、パラドックスを生み出してるのよ!」

「ちょっと待ってよ! 意味がわからない。なら雫たちが死ねば良かったとでも言うのか?」

「そうよ! 太公望秀吉がここを追放されたこで、あっしの視てきた未来と何もかも違う未来になりつつある。それは同時に破滅を連れてくるのよ!」

「破滅?」


 聞き返した俺に、須藤茜は苦々しい表情で続けた。それは彼女が視てきたという本来起こるべきはずたった未来の話。


 須藤茜曰く、太公望秀吉は本来なら魔術師同盟と手を組み。一般の生徒に言霊を使用してダンジョン内を強制的に調べさせ、ここから脱出する鍵を握る人物だったと言う。

 当然、かなりの犠牲が出る予定だったらしい。


 生き残ってここから外へ出ることのできる者は、たったの数十人。その中に須藤茜も含まれていた。


「だけどっ! あんたが死ぬはずの人間を助け……太公望秀吉を追放させた。そのせいで未来が大きく変わったのよ。……あっしはずっとあんたが大っ嫌いだった。どうしてかわかる?」


 そのことについては何度か考えてみたが……結局のところなぜ、俺が彼女から嫌われているのか……その理由についてはわからなかった。だから素直にわからないと首を振って応える以外にない。


「桂……あんたは本来ここに居てはいけない異物だからよ!」

「異物?」

「そうよ。あんたにはそもそも未来なんてないの!」

「俺に……未来がない?」


 何かの比喩的な表現なのだろうか……いまいちよくわからない。


「あんただけ何も視えないっ! スキルを使って10分後の未来を視ようとしても……あんたはあんたのステータス同様……モザイクなのよ! 存在そのものがないのよっ! つまり顔無しよ!」

「存在そのものが……ない? 須藤さん……詳しく話してはもらえないだろうか?」

「もう終わりよっ! あっしたちはあいつに殺されるのよ」


 あいつらとは誰のことだ?

 須藤は頭を抱えてその場に蹲ってしまった。

 俺はそんな彼女の前で膝を突き、そっと肩に手を置いて問いかける。


「須藤さんが視たという未来について、詳しく教えてもらえないだろうか?」

「……あんたが教えたんでしょ?」

「教えた……何を?」

「このリントウとかいう植物のことよっ!」


 リントウ……確かに南のダンジョン内で採取可能な食料だと伝えたのは俺だ。アリスに地図を書いて渡したのも俺だった。

 だけどそれが何だって言うんだよ。


「このリントウが何か関係してるのか?」

「ええ、もう手遅れよ」

「須藤さん、それじゃあ何のことを言ってるのかさっぱりわからないんだ。もしも俺がみんなにリントウのことを教えたことで何かが起ころうとしてるなら、俺はそれを全力で食い止めたい。教えてくれないか?」



 須藤茜は震える声で静かに語り出した。

 この先ここで何が起こるのかを……その悲劇を。


 リントウとは元々ゴブリンたちの餌だったと言う須藤。

 しかし、その餌が刈り尽くされたゴブリンたちの王が怒り狂い……ここ、中央へと攻め込んで来るのだと。


「未来が変わることはこれまでにも何度もあった。だけど……その未来の中で自分が死ぬ光景を視たのはこれが初めてよ! あんたのせいだ! あんたのせいで……あっしはゴブリンに生きたまま食われるんだ!」


 本来の未来線ではゴブリン王――ゴブリンキングなど現れなかったと言う。だが俺が少しずつ未来の歯車を変えていったことで、未知の怪物がここへ攻め込んで来るのだと須藤は言った。すべては異物と呼ぶべき存在の俺が未来を書き換えているのだと。


 須藤茜が初めて俺を得体の知れない異物だと感じたのは、ここへ来て3日目のことだったと言う。


 丁度、皆がステータスのことに気がつき、夢中になっていた時期だ。

 その頃、須藤も自身の力に取り憑かれたように、クラスメイトの未来を一人ずつ視ていた。


 その時――俺の未来だけが視れなかったらしい。まるで初めから存在しないかのように、俺の顔だけ視えないのだとか。

 夢を見るように脳裏に浮かんだ未来の光景にも、やはり俺の姿はどこにもなく……次第に須藤は俺の存在を恐れるようになった。


 これが……俺が彼女に嫌われている理由だったのだ。


「須藤さん……そのことをみんなの前で話してもらえないだろうか?」


 俺は予めゴブリンの群れがここを襲撃することを知っていれば、対応策を練ることも可能だと思った。


 だけど……。


「そんなことして何の意味があるのよっ!」

「ゴブリンキングが襲って来ることを事前に知っていれば対応もできるはずだよ」

「……無理よ。あっしはゴブリンキングに殺される未来を視たのよ! 本来なら太公望と一緒にここから出られるはずだったのにっ!」

「……ちょっ!?」



 俺を突き飛ばすと同時に立ち上がった須藤が、「あんた何かいなければ良かったのに」と吐き捨てるように言い残し、走り去って行ってしまった。


 その後ろ姿に呆然と目を向け、俺はぎゅっと拳を握りしめた。

 須藤茜の未来予知が正しいとするなら……すぐにでも手を打たないと手遅れになってしまう。



 俺は須藤から聞いたことを仲間に伝えるため、足早に屋上の自宅へと向かった。

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