第22話

 瀬世さんとは碌に会話をしたことがなかったが、それでも彼女は大切なクラスメイトである。彼女を救えなかったやり場のない思いが流れて、頬を伝い零れ落ちる。


 一頻り泣いたあと、俺は立ち上がって悲しみに打ちひしがれる雫たちに声をかけた。


「こんな時に……言いたくないけど、いつまでも悲しんでもいられない。外にはまだコボルトの群れがいるんだ」

「文吉の言う通りだ。あたしたちは絶対に生きないといけない。瀬世さんがくれた命を無駄にするわけにはいかないんだ!」

「二人の言う通りやで。ウチは何があっても生き抜いて、必ず家族の元へ帰るんや! ……でもその前に……あの常田優矢くそったれをぶち殺さなウチの気がすまへんわっ!」

「わわ、わたしも……せ、瀬世さんの分まで生きます!」


 外へ続く階段へ体を向けた俺たちは、互いに生きるという意思を確認し合い、力強く頷いた。


「せめて瀬世さんを学校へ連れて帰ろう」

「そうだね。ここじゃあ……瀬世さんがかわいそ過ぎるよ」

「瀬世さんは責任持ってウチらが運ぶから、桂は化物を頼まれてくれるか? 情けない話やけど、ウチらにはどうすることもできへんのや」

「ご、ごめんね……」

「わかってる。初めからそのつもりだよ」


 そのために俺はここへ来たのだと伝えると、三人は瞳を潤ませていた。


「ウチはアホや! 何であんな糞男に付いてたんや。ウチらが頼るべきは桂やったんや。桂、雫ちゃん……あの時は堪忍な。ウチは見る目がないみたいやわ」

「ああっ、彩加ちゃんだけじゃないよ。わ、わたしも」

「二人とも、そんなことはどうでもいいんだよ。俺も雫も気にしないから。それより早くここを出よう」


 雫は涙を溜め込みながら、「うん」と小さく微笑んだ。


 それを横目に俺が回復魔法で全身の火傷を治療すると、その姿に驚いた三人が何か言いたそうにこちらを見ていた。


「俺自身わからないことだらけだけど……詳しいことは帰ったら全部話すよ」

「うん、わかった。今は悠長に話している場合じゃないもんね」

「せやな。さっさとここから出て、瀬世さんを安全な場所でゆっくり寝かしたらな」

「そ、そうですね」



 それから俺は階段を上がり、雫たちを庇いながらコボルトを斬り伏せ、通路へと駆け込んだ。


 通路へ入るとすぐに身を翻し、錬金術で岩壁を創って道を塞ぐ。念のため三重に壁を築き、コボルトが中央へやって来ないようにしてから、学校へ向かって歩き出す。



 西側の体育館を横切る俺たちに、誰もが口元を覆って顔をしかめる。


「ひでぇ……」

「血まみれじゃねぇかよ」

「あれ……死んでるんじゃねぇのか?」


 心ない言葉が飛び交う度、三人は悔しそうに唇を噛みしめている。

 そんな中……。


「雫っ! 良かった、無事だったんだね」


 俺たちを発見した一堂寧々が笑顔でこちらへ駆けてくる。


「寧々……ちゃん」


 雫は力無げに彼女の名を口にすると目を逸らし、松田はガリッと奥歯を噛みしめて強烈な張り手を一堂の頬へ叩き込んだ。


「なっ、何するのよ!?」

「何するやてぇ? それはこっちの台詞やぁっ! この人殺し集団がァッ――!」


 帰路へ着くまでの道のり、何があったのか彼女たちから聞いていた俺は……松田の怒りは最もなものだと、止めることはしなかった。

 寧ろ……彼らを一発ずつぶん殴ってやりたい気持ちの方が強い。


 松田の落雷のような怒りが学校中に響き渡ると、何事かと生徒たちが集まってくる。

 そこへ常田たちが姿を現し、一瞬幽霊でも見たかのように目を見開き、すぐに平然を装う。


「良かった、生きていたんだね。本当に心配したんだよ!」


 唖然絶句とはこのことだ。こいつは一体どんなメンタルをしているのだろう。確かにスポーツ選手としては一流の精神力……図太い神経の持ち主だと言えよう。


 しかし、松田によって全校生徒の前でその化けの皮が剥がされる。


「嘘だっ! 全部でっち上げだぁ! 僕がそんなことをするわけないじゃないかっ! あっ、そうだ! 桂……お前以前の生徒会副会長のようにみんなを操って僕を陥れるつもりなんだろ。そうに違いない! お前は僕から2年2組を追放されたことを根に持っていたからな。みんな、彼をあの時のように追放した方がいいっ!」


 瞬刻、その場が静まり返りざわつくと、豪弓から放たれた矢の如く、気品溢れる声音が突き抜ける。


「残念だけどそれはないですわ!」


 伊集院先輩を先頭に、生徒会メンバーが続々と校庭に姿を現した。


「生徒会長!? な、なぜないと言い切れる!」

「太公望秀吉……彼の悪事を暴いたのはそこにいる桂文吉……彼ですわっ!」

「!? う、嘘だ! そうか、わかったぞ! お前は既に生徒会メンバーにもっ!」


 この期に及んでまだそのような妄言を並べ立てる常田に、今度は柄の悪い声音が叩きつけられる。


「それはねぇYO! モザイクはただの情報屋だ!」

「鮫島さんの言う通りっすよ! モザイクはまるで無害だぜ、常田!」

「寧ろ危険を顧みず、情報を俺様たちに提供していた……情報屋としては優秀だ。この俺様が保証してやるYO!」

「さ、鮫島君……君たちの言葉を一体誰が信じるんだい? 食料を独り占めしていた君たちは悪党じゃないかっ! その仲間となれば尚更怪しいっ。そうみんなも思うだろ?」


 口上に身振り手振りを交えて必死に弁論する常田。そこへ凛とした声音が南側から聞こえてくる。


「一体これは何の騒ぎだ!」

「部長!」


 大量のゴブリンを引きずる青木と千葉を従えたアリスが帰還したようだ。

 アリスは剣道部の部員から詳しい事情を聞くと、一つ頷いて俺の元へ歩み寄ってくる。


「文吉……すまぬが約束を破らせてもらう」

「えっ!?」


 囁いたアリスが大きく息を吸い込み、高らかに言い張った。


「みんな聞いてくれ! 最近食料不足が解消され、皆一様にゴブリンの肉を食していると思う。しかし、知っての通りゴブリンは普通に焼いても決して食べられるようなものではない」


 確かにと頷く彼らに、アリスはじっと俺の顔を見つめながら、言った。


「みんなに陰で食料を提供していたのは私ではない。すべてここにいる桂文吉だ!」

「う、嘘だろ!?」

「部長じゃないのかっ!?」

「だって……あいつはモザイクだろ?」

「職業無職だって聞いたけど……」


 アリスは俺に疑いの目が向けられつつあったことを懸念し、すべてを話してしまった。


 あの日、アリスを助けたこと……彼女にゴブリンを倒す術を教えたこと。ゴブリンを錬金術で骨付き肉へ変換していたことなど、洗いざらいぶち撒けてしまったのだ。


「彼が今までそのことを黙っていたのは、決して皆を騙すためじゃない。文吉自身……その力が何なのかわからないのだ。説明できないことで不用意に混乱を招くことを恐れた結果だ。私の知る限り……彼は正しい行いをする生徒であり、決して誰かを傷つけるような愚か者ではない!」

「有栖川先輩の言う通りです! あたしたちを助けてくれたのも文吉です。彼がいなければ……あたしたちは死んでいました」


 雫が俺を庇うように声を張り上げている。人前で話すことが余り得意じゃないのに、一生懸命俺に向けられた疑惑の目を晴らそうとしてくれていた。

 俺はその姿に、もう隠すのはやめようと決意する。


 それがこの先膨大なカロリー消費に繋がる行為だとしても、二度と瀬世さんのような生徒を出さないためにも……俺が変わらなければいけないと思ったんだ。


「青木、千葉……ゴブリンをこちらに」

「ああ、全校生徒の度肝を抜いてやれ、親友!」

「文吉君……ファイトだよ!」


 俺は積み上げられたゴブリンの山に錬成陣を発動させ、瞬く間に骨付き肉へと変換してみせた。


「う、嘘だろっ!?」

「ゴブリンが骨付き肉に変わった!?」


 どめよく全校生徒の前で、常田が項垂れるように膝を折る。


「優……本当に……石を、投げたの?」


 常田は真っ白な相貌で俯いたまま、一堂の問いかけに答えることはない。


「嘘だよな、優っ! 何かの間違いだって俺っちに言ってくれよ!」

「仕方ないじゃないか……あの状況で全滅するよりはマシだろ? 僕は日本代表になる選手だぞ! その僕に何かあったら日本の損失だろ! 何れは天皇陛下から国民栄誉賞だって授与される大スターなんだ! その僕が死ぬより彼女たちが死んだ方がいいに決まって――うっ……」


 俺は常田を殴り飛ばしていた。


「人の命を何だと思ってるんだァッ――! 瀬世さんはみんなを最後まで守ったんだ。その彼女を侮辱する言葉を吐き出すことは俺が許さないっ!」

「文吉……」



 泣き崩れる常田優矢――彼は追放こそ免れたものの、体育館にいる運動部の監視の下での生活を余儀なくされた。罪人のように……。


 校庭の中央では火が焚かれ、瀬世蛍の亡骸が火葬されていく。それは別段珍しい光景ではない。ここへ来て14日間の間に、多くの犠牲者が弔われてきたのだ。



 その光景を屋上の手摺にしなだれかかるように見つめる俺は……静かに黙祷を捧げていた。

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