第21話

 東城が有するスキル隠密を発動させ、俺は気配を消しながら素早く巣穴へと侵入を果たす。


 物陰に隠れながら屋根の上へ移動し、上体を低く保ちながら周囲を見渡した。


 コボルトの数は200……いや、それ以上かも知れない。洞察眼を発動させて吹き抜けの窓から建物内部を観察すると、たたらを踏むコボルトたちの姿が確認できた。


「鉄を作っているのか」


 これまでモンスターには知性らしい知性がないと思い込んでいたが、その考えが間違いだと思い知らされた。


 製鉄所……これほど複雑な建築物を建て、鉄を作り出す技術を有している。その知能の高さは最早人類と変わらないのではないだろうか。

 あるいは何者かがコボルトに鉄の作り方を教え込み……躾ているのかも知れない。


 何れにせよ中央で生活している俺たちに取っては脅威である。仮にここにいるコボルトが一斉に中央へ雪崩れ込んで来たら……考えただけで背筋が冷たくなる。


 しかし、今は先のことよりも雫だ。クグネタケが入口付近に散乱していたことを考慮しても、まず間違いなくこのエリアの何処かに雫はいる。


 問題は雫の他に何人居るかだ。

 2年2組のメンバーは常田たちの5名を除けば6名……狭山先生を含め全員女子となる。


 雫だけなら背負って逃げることも可能だが、他にもいるとなると……逃げ切れるだろうか? もしも逃げ切れなかった場合……雫たちを庇いながらこの数を相手にできるのか? ……一抹の不安は残る。


 しかし、仮に複数人いたとしても……雫だけではなく、皆を助けなければならない。見捨てるなんて俺には出来そうにもないし、そんなことはしたくもない。


「ん!?」


 エリア内を見渡していると井戸を発見したのだが、その周囲に真っ赤な血溜まりができている。


「戦闘が行われたのか?」


 だがしかし、常田たちは無傷だった。

 となると……雫たちが戦って負傷したのか!?


 けれど……彼女たちに戦闘可能なスキル保持者がいただろうか? ……いや、一人だけいる。狭山先生だ。

 狭山先生の水魔法なら戦闘は可能かも知れない。それに万が一、雫たちの中に負傷者がいたとしても、回復魔法を扱える橘香織がいるはず。


 焦ることはない。

 焦らず確実に雫たちを見つけ出し、救出する。この時の判断は決して間違っていなかった……そう思いたい。


 俺は速やかに屋根伝いに移動し、洞察眼を駆使して雫の捜索を開始した。隈無くエリア内を捜索したのだが、何処にも雫の姿が見当たらない。


 さらに奥へ逃げたのかと嫌な汗が流れたその時――くぐもった悲鳴が音の礫となって耳に蝟集する。


「何処だ!? ……声は何処から響いてきた!」


 もう一度周囲を見渡すと、コボルトたちが角砂糖に群がる蟻のように一ヶ所に集まっていく。地下へ続く階段へ一斉に下っていた。


「あそこかっ!」


 俺はもう隠れている場合ではないと立ち上がり、屋根から屋根へと飛び移り、階段真上まで大きく跳躍すると、鳴る雷サンダーボルトを群がるコボルトへ放つ。


 痙攣しながらバッタバッタと倒れていくコボルトたちを踏みつけ、剣を振り抜きながら尚駆け抜けた。


「雫っ!?」


 雫たちは山のように積み上げられた骨を登り、その頂上からコボルトたちに頭蓋を投げつけている。


「こっち来んなやぁ!」

「六道さんも投げてっ!」

「はっ、はい!」


 三人だけ!? ……と思ったが、三人の足下には血まみれの瀬世が横たわっていた。


 助けないとっ!


「強化魔法――アクセル!」


 俺は速度を上げて突っ込んだ。


「うらぁぁああああああああああっ――!!」


 力一杯地面を蹴りつけ、コボルトへ飛び込む形で剣を振り抜く。

 肉を斬り裂き骨を断ち、飛び散る鮮血が弧を描く度、錆びた薫りが鼻腔の奥に広がる。同時に焼けるような痛みが全身を包み込んでいく。


 コボルトの血液が豪雨のように降り注いで来るのだ。


「ぶっ、文吉っ!?」

「なっ、なんで桂が来ないなところにおるんや!?」

「そそ、それに……すすっ、凄く強いです!」


 雫たちの驚いた声が激情に似た渦の中で微かに聞こえる。俺の怒号とコボルトたちの雄叫び、それに躍るような雨……血の音だ。


 だけど今はその声に答えている暇はない。

 雫たちに迫るコボルトを遠ざけなければっ!


 俺は我武者羅に剣を振るう。

 視界は赤一色。だが焦ることはない。俺には月読があるのだから。


 一太刀、二太刀……振り抜く度に柄を握りしめる手が血で滑り、上手く力が込められない。

 それでも俺は止まることなく無我夢中で剣を振るい、斬り続けた。




 ◆




 あたしは夢を見ているのだろうか。


 コボルトに気づかれたあたしたちに戦う術はなく、絶体絶命のピンチ。逃げ場を失ったあたしたちは瀬世さんを抱えて骨の山を登り、闇雲に骨を投げつけることしかできない。


 そんなあたしたちの足下まで差し迫って来ていたコボルトが突如、真っ赤な血飛沫を噴き上げて転がり落ちていく。


 えっ!? ……どういうこと?

 理解が追いつくよりも先に、あたしの耳に嵐のような声が突き刺さる。


「うらぁぁああああああああああっ――!!」


 あたしの視界が捉えたのは一人の男の子。普段はぼんやりとしており、幼い頃から何を言っても相槌を打って頷くだけの彼。決して感情を表に出すことのない彼が唐突に現れ、一度も見たことのない顔で嵐の如く吠えていたのだ。


「ぶっ、文吉っ!?」

「なっ、なんで桂が来ないなところにおるんや!?」

「そそ、それに……すすっ、凄く強いです!」


 耳元で大砲を打ったれたように驚くのはあたしだけではない。彩加ちゃんも六道さんも息もつけぬほど、驚愕に瞳を見開いていた。


 誰も助けになど来るはずがない。誰も口には出さなかったけれど、あたしたちは心の何処かで死を悟っていた。

 ここで……自分たちは死ぬのだと。


 だけど違う!

 助けは来た!


 決して恐れることなく果敢に化物の群れに飛び込み、あたしたちに怪物の魔の手が届かぬようにと剣を振り抜く――正義の味方ヒーローのような彼が。


 驚きで心臓が激しく動悸する。

 だって、だって……そこにあたしの知っている文吉の姿はなかったのだから。


 まるで幼い頃、眠りにつく前に母から読み聞かされていた、絵本の中に登場する騎士の、一等星の精悍な顔がそこにあるのだ。


 打ち震える胸――高鳴る鼓動。


 彼の姿に釘付けになったあたしの視界がぼやけていく。必死に堪えていた感情が涙腺をノックし、大粒の涙となって零れ落ちる。


 止められない……一度溢れ出た感情を誰に止めることができようか。

 呆然と立ち尽くす彩加ちゃんと六道さん……その横であたしは崩れ落ちた。


「ぶんぎぢぃ……ぶんぎぢぃぃいいいいっ――」


 涙と鼻水まみれの顔でみっともなく、あたしは何度も、何度も彼の名を叫び続けた。


「本物の……男や……」

「かか、桂君……なっ、なな、なんであんなに強いんですかっ!? そ、それに……なんでここにいるんですかっ!?」

「そんなん知らんわ……そんなんどうだってええわ! 頑張れ桂っ――! ほら、六道さんも応援しぃや! ウチらにできることは桂を応援することくらいやろ!」


 あたしたちはただ叫んだ。目の前で起きている事実よりも、目の前であたしたちを助けに来てくれた彼の力に少しでもなれたらと……声を枯らして叫び続ける。



 どれくらいの時間、彼は無心で剣を振り続けたのだろう。真っ白な骨の山は気がつくとペンキで真っ赤に塗られたように染まっており、其処彼処から噴気が上がっていた。


「ハァ……ハァ……」


 無数の怪物たちの屍の中、彼は肩を揺らしながら立っている。

 そしてゆっくりとこちらへ振り向いた。


「雫っ!」

「ぶんぎぢぃ!」


 夢じゃない。幻でもない。

 幼い頃から聞き慣れた物腰柔らかな声音が、優しく耳朶を打つ。


 その瞬間、あたしは駆け出していた。躓きながら、よろめきながら骨の山を下り、文吉へと抱きついたのだ。


「良かった……本当に無事で良かった」

「ぶんぎぢぃぃいいいいっ!」


 もう何も怖くない。もう何も心配することはないと、文吉の掌が優しく髪を撫でてくれる。

 いつの間に彼はこんなにも立派になっていたのだろうか。


 大きな手も、華奢な体躯も長い睫毛も、何も変わらないのに……いや、違う。


 あたしは忘れていたのだ、彼が元々とても勇敢な男の子だったことを。



 あれは幼稚園の頃だったと思う。

 その頃のあたしと言えば引っ込み思案で、いつも同年代の男の子からからかわれていた。


 ある日、公園の砂場で遊んでいたあたしは土を固めて団子を作っていたのだが、それを男の子に踏みつけられてしまう。


 泣くことしかできないそんなあたしに代わって、駆けつけた文吉が怒ってくれたのだ。

 あの時も、決して感情を表に出さない文吉を見ていた。


 彼は自分のことでは怒らない。文吉が怒る時、それはいつも誰かのためだったことを、あたしは長い間忘れていたのだ。

 本当の彼は誰よりも正義感の強い男の子だったということを……あたしは思い出していた。


「松田さんも六道さんも無事で良かったよ」

「お前ほんまに桂なんか? ウチびっくりやわ」

「すす、凄かったです。かか、桂君」

「それよりも瀬世さんはっ!」


 あたしたちは『ハッ』と息を呑み込み、瀬世さんの元へ駆けつけた。文吉は骨山の頂上で膝を突き……肩を震わせて泣いていた。


「どないしたんや、桂。どっか痛いんか?」

「やや、火傷が酷いですぅ」

「文吉……?」


 啜り泣く彼の行動で、あたしたちは悟ってしまう。瀬世蛍さんが亡くなっていたことに……。


「嘘やろ……そんなんうそやぁぁあああっ!」

「せせ、瀬世さんは……わわ、わたじだじを……がが、がばっでぇ」

「いやだよ……ごんなのいやだよっ!」


 どれだけ泣いても悔やんでも、瀬世蛍さんが目を開けることも、返事をしてくれることもなかった。


 ここへやって来て14日目……2年2組の大切な仲間が……あたしたちを助けてくれた大切な友人がこの世を去った。




 4月21日――瀬世蛍死亡。享年16(歳)。

 最後まで友人のことを想う……心優しき少女だった。


 彼女のことを……あたしたちは生涯忘れることはないだろう。

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