第19話

「しっかりして瀬世さん!」

「雫、あんまり大きな声を出したらあかん。やつらに気付かれてまう」


 どうしてこんなことになったのだろう。

 あたしの眼下には青白い顔で口元から血を滲ませる、瀬世さんが横たわっていた。


 思い出すのは数時間前……早朝ならばモンスターも寝ている可能性があるという優君の提案を受け、あたしたちは食料のキノコを求めて西の洞窟へ足を向けた。


 優君の推測は正しかった。普段は活発に動き回っているゴブリンもコボルトも就寝しており、いつもは100m進むのも一苦労な道のりを、あたしたちは難なく進むことができた。


 しかし、それが優君の判断を狂わせることに繋がる。十分なキノコを収穫できたあたしたちはすぐに先生たちが待つ学校へ戻るべきだと言ったが、優君の答えは違った。


「この際だからもう少し奥まで行ってみようと思う」

「何言ってんねん! そんなことしてたら化物かて起きてまうやろ」

「松田さんは少し慎重過ぎるな」

「は? 慎重になるのは当然やろ!」

「2組のリーダーは僕だよ、松田さん。……それにここまで来れる機会はそうそうないと思うんだよね。ひょっとしたらここから外へ出られる道があるのかも知れない。けど、それは進んでみないとわらからないよね?」


 いつものように優君は自分が正しいと、他の人の意見に耳を貸すことはない。

 寧々ちゃんもつねちゃんも相変わらず優君の意見に同調するだけで、自分で判断しようとしなかった。


 いや、判断しないのではなく。意見を口にすれば優君の機嫌が悪くなることを恐れていたのだと思う。


 優君は小学生の頃から有名なサッカークラブのチームに所属しており、とにかく我が強いと聞いたことがある。

 FWと呼ばれるポジションで常にゴールへ向かって走る選手にとって、それは長所になり得るのだと……前に彼が話していたのを思い出す。


 確かに、スポーツ選手ならば多少我が強くないとやっていけないだろう。

 けど、これはスポーツではない。人の生死に関わる重大なことなんだと……言いかけた言葉は喉の奥で詰まってしまう。


 あたしは彩加ちゃんのように自分の意見をはっきり言える人間ではない。文吉のためなら言える言葉も、そうでないなら周りの意見に流されて相槌を打つ……八方美人……嫌な女だと自分自身に嫌悪感を覚えてしまう。


 そしてそれが後に……最悪の事態を招く結果へ繋がることになるなんて……思いもせずに……。



 あたしたちは少しでも外へ出られる手掛かりを求めて、ダンジョン奥へと慎重に進んでいく。幸い複雑なダンジョン内部でも帰り道に迷うことはない。仲間の一人、山本君の【職業】は地図職人――その能力はマッピングだった。


 一度でも通った道は山本君のマップに表示される。この能力が優君にさらなる過信を与えることとなる。


 どれだけ深く潜ったとしても必ず帰れる。そう確信すればするほど、彼は躊躇うことなくゴールへ突き進む。まるでこれはサッカーの試合なのだと言うように……。


「優! 地形が変化してるぜ」


 つねちゃんが勾配になっている道を発見すると、「出口かもしれない」と優君は足早で駆け出した。


「待ってよ優っ!」


 そのあとを寧々ちゃんが追いかけ、その姿に「呆れるわ」と嘆息した彩加ちゃんたちが一斉に続いた。


 それが地獄の始まりだった。


 あたしたちは傾斜がかった道の先、開かれた場所に飛び出したのだが……。


「なんだ……これは!?」


 誰もが息を飲んでいた。視界の先には製鉄所のような錆びた工場が無数に建ち並んでおり、そこにはコボルトと呼ばれる二足歩行の魔物が数えきれないほどいたのだ。


「隠れるんだ!」


 優君の咄嗟の指示ですぐに物陰に身を潜めたあたしたちは混乱していた。モンスターが人間のように工場を築きあげ、鉄を溶かしていたのだから、驚くなと言う方が無理だった。


「どないなっとんねん。つーかなんでモンスターが人間みたいに生活しとるんや!」

「おお、落ち着いて……さ、騒いだら……気づかれる、よ」

「深雪っちの言う通りだぜ、彩加っち」

「にしても……暑いわね」


 寧々ちゃんの言う通り、ここはひんやりとした通路とは違い、肌にまとわりつくような熱風が絡みついてくる。じっと身を潜めているだけで汗が流れ落ちてきた。


「すぐにここから離れるべきです。危険過ぎます」


 熱気で曇った眼鏡を拭きながら瀬世さんが早く引き返そうというが……入ってきた入り口には既に、巡回中のコボルトの姿があった。


「今動けば見つかる可能性があるわね」

「そうなれば……一貫の終わりかもしれない」


 寧々ちゃんの言ってることは正しいし、優君の意見も正しいと思う。だけど、今突破しないと手遅れになってしまうかもしれないと思ったあたしは、意を決して言った。


「田中君の槍で突撃して、走って逃げるしかないんじゃない?」

「うちもその方がええと思うわ」

「私も同感ですね」


 洞窟内の構造は複雑なため、たとえ追われたとしても通路にさえ逃げ込めれば、追っ手を撒くことは可能だと考えたのだ。


 しかし、ここへ来て優君が今さら慎重になり始めた。


「それは少し危険過ぎないかい? 仮に失敗したら怪我をしてしまう。僕は将来を期待されるサッカー選手だから、怪我をするわけにはいかないのは知ってるよね?」

「そ、そうよね。優は未来の日本代表なんだもんね」

「安全第一じゃないとダメだよな」


 あたしと彩加ちゃんに瀬世さん、それに六道さんは絶句していた。こんな非常時にこの人は何を言っているんだと、開いた口が塞がらない。


「あんた何をアホなこと言うとんねん!」

「落ち着いてよ、松田さん。もちろん僕だってみんなの意見には賛成だよ」

「ほな早いところ逃げようや!」

「とりあえず僕の意見を聞いてくれるかい?」


 あたしたちが身を隠す物陰から通路までは約10m。そこには一匹のコボルトが警備に当たっていた。


 仮にそのコボルトを倒したとしてもすぐに追っ手はやって来てしまう。そうなったとしても足の速い自分は問題ないがと、優君は話を続ける。


「それに、僕は身体能力向上でさらに速度が上がっているからね」

「今そんな自慢はいらんねんっ」

「でも、瀬世さんや六道さんの100mのタイムはどの程度かな? 本当に逃げ切れるのかな?」

「それは……」

「う、うぅ……」

「だから二重尾行のような形を取ろうと思う」


 優君の作戦はこうだ。


 先ず第一陣で優君、寧々ちゃん、つねちゃん、田中君、山本君、足の速い五名がコボルトを倒して通路へ逃げ込む。

 すると当然、騒ぎに気付いたコボルトたちが一斉に彼らの後を追いかけるはず。


 しかし、洞窟内部は道が入り組んでおり、コボルトの大半はバラけることになる。その後から追われることのなくなったあたしたちが通路へ入り、スキル隠密で気配を消したつねちゃんと合流するというもの。


「そんなん……ほんまに上手くいくんか?」

「なら、瀬世さんと六道さんは走ってコボルトを振り切れる自信があるのかい?」


 二人の答えはNOだった。正直あたしにも自信はなかった。だからその一か八かの提案を受け入れてしまったのだ。


 彼を……常田優矢を信じたことが、最大の過ちだったと後悔することになるとも知らずに……。



「じゃあ、必ず後で合流するわよ、雫!」

「うん、寧々ちゃんも気をつけて」


 これが最後に寧々ちゃんと交わした言葉になる。


 優君たちは田中君を先頭に縦一列となり突撃をかけた。なぜか最後尾は優君だった。


 田中君が怒声を上げてコボルトへ突っ込み、一撃必中で止めを刺すと、断末魔の悲鳴が鳴り響き、次々にコボルトたちが押し寄せてくる。


 必死に駆け抜ける寧々ちゃんたちを尻目に、優君が一瞬こちらへ振り返る。その顔は悪戯っぽく笑っていた。


 そして次の瞬間――彼はあたしたちに向かって石を投げたのだ。


 投げられた小石が剥き出しのパイプに当たり――カンッと甲高い音が鳴り響く。

 コボルトは優君たちを追いかけるチームと、立ち止まってこちらを見据えるチームの二手に分かれてしまう。


 あたしたちは絶句し立ち上がった。


「あっ、あいつ何やっとんねん!?」

「こっ、こっちに……く、来るっ!」

「どっ、どうしよっ!?」

「私の後ろにっ!」


 瀬世さんがすぐに防御結界を張り巡らせてくれたお陰で一一命は取り留めた……しかし、このままでは直に瀬世さんのMPが底を尽きてしまう。そうなれば全滅は免れない。


 瀬世さんの防御結界は1MPで約10秒間の結界を作り出す。瀬世さんのMPは28……つまり280秒――4:40秒後には……『死』。


 刻一刻と迫るタイムリミット。このままでは殺されてしまう。


「瀬世さん! 防御結界を張りながら移動は可能なんやんな?」

「か、可能ですっ!」

「せやったら一か八かあそこへ逃げ込むで!」


 彩加ちゃんが指差したのは井戸だ。

 あたしたちは瀬世さんの結界が切れる前に結界でコボルトたちを押し退け、井戸の前まで移動した。


「先に降りてください! 私が先に降りればみんな結界外に出てしまいます!」

「う、うん。わかった!」

「ほな、行くで」

「ははっ、はい!」


 あたしたちは順番に縄にしがみつき、ゆっくりと井戸の底へ降りていく。


「大丈夫や、そこまで深くないよ!」


 幾重にも反響する彩加ちゃんの声が井戸の底から響き渡ってくると、突如頭上から何かが降ってきた。


「きゃぁっ――!?」


 あたしは薄暗い井戸の底で尻餅をついた。足下は氷水のように冷たく、顔に飛び散った水は生暖かくて……錆びた鉄の臭いが鼻腔の奥に広がった。


 あたしはゾッとした。頭上から降って来たのは上半身を切り裂かれた……血まみれの瀬世さんだったのだ。


「瀬世さんっ!?」

「いい、いやぁぁああああああああっ――!!」

「落ち着いて六道さん! 雫ちゃんも手ぇ貸して!」

「う、うん!」



 瀬世さんはあたしたちを守るために最後まで結界を張り続け……MPが切れてしまったのだろう。そこへコボルトの鋭い爪が……。


「今は余計なこと考えたらあかんよ。安全なところまで移動して、瀬世さんの傷口を止血するんや!」


 彩加ちゃんは本当に逞しかった。六道さんもすすり泣きながら懸命に瀬世さんに呼び掛けているが、意識があるようには思えなかった。


 井戸の底は横に広がっており、下水道に似た構造になっている。あたしたちは瀬世さんを抱きかかえながら移動を繰り返し、開けた空間へと出た。


「なに……ここ!?」


 そこには無数の骸が積み重ねられており、おそらくコボルトたちのゴミ捨て場だと思われる。


「ちょっ、これ!?」


 一先ず瀬世さんをその場に寝かせた彩加ちゃんが、骨の中から何かを発見した。ポロシャツだ。


「それ……いいっ、飯塚先生の……ふ、服だよね」


 すべてを悟ったあたしたちは号泣し、誰かが助けに来てくれるのを待つしかなかった。



 そして、現在。


「このままここに居ても……直に見つかってアウトかも知れん」

「だ、誰か助けに……来て、くく、くれないかな?」

「六道さん、それは無理だよ。あの時の……優君の笑った顔みたよね?」

「あの糞男っ! あいつはウチらを囮に使ったんや! もし次会ったらウチがぶち殺したる!」




 移動をしたくても……瀬世さんを背負いながらの移動は不可能だった。

 あたしたちはここで死を待つ運命なのだろうか。


「文吉……助けて……」



 あたしは無意識のうちに彼の名前を繰り返し口にしていた。

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