第17話
夜になるとアリスが帰宅し、俺は庭先に山のように積み重ねられたゴブリンを、まとめて骨付き肉へと変換する。
それをアリスが皮袋に詰めて運んで行く。
暫くするとダンジョン内からは至福の轟音が鳴り響き、空腹に飢えていた彼らの喜びの声音が俺の耳朶を打つ。
「ところで……この者たちは誰なのだ?」
人を堕落させるスライムソファに腰掛け、寛いでいた二人に訝しげな表情を浮かべるアリス。その相貌から何かを悟った千葉が慌てて立ち上がり、アリスへ礼儀正しくお辞儀をしている。
「初めまして、僕は2年2組の千葉真司と言います。行く宛がなかったところを文吉君に誘ってもらいまして……」
「うむ、そうか。それは大変だったな。私は有栖川アリスだ。……で、そっちの礼儀を弁えぬ子豚はなんだ」
「だだ、誰が子豚だぁ! 文吉っ、この人失礼過ぎるぞ!」
ズコッとコントのようにソファからずり落ちた青木が、顔を真っ赤に染めながらお冠だ。
けれど、今のはどう考えても青木が悪い。アリスは3年生であり、先輩なのだからしっかり挨拶するのは当然だと思う。
それを相撲取りのように食っちゃ寝食っちゃ寝し、怠ったのは青木本人だ。いや、それはお相撲さんに失礼か……。彼らは常日頃過酷な訓練を積んでいるのだから。
しかし当然、剣道部主将で礼儀に厳しいアリスは不快感を露にする。
「ああ、すまぬ。子豚ではなくただの豚さんだったか」
「なっ、なんだとっ!?」
「礼儀を弁えぬ者は人ではない。風邪で寝込んでいるなら未だしも、怠けて礼儀を欠く者は等しく豚だっ!」
「うっ……」
「人に戻りたくば礼儀を身に付けるのだな」
「……青木慎吾だよ。千葉と同じ理由で親友の文吉に誘われたんだよ!」
青木は憎たらしさ全開でひょっとこのように唇を尖らせ、俺と親友だと適当なことを言っている。友人には違いないが、青木と親友になった覚えなど俺にはない。
それを見抜いたアリスが鋭い突きのような指摘を入れる。
「嘘をつく者は豚以下の虫だっ! 豚に戻りたくば嘘をつくな!」
「どこの世界に豚に戻りたがるやつがいるんだよっ!」
「貴様は根性が腐っている!」
「初対面の癖に失礼なのはどっちだよ!」
「私は目を見ればわかるのだ。泥沼のように淀んだ瞳、だらしなく怠け者の証である駄肉っ! 貴様が紳士的な文吉の親友などと言う妄言を誰が信じるかっ!」
ドーンッと突きつけられた正論に青木が怯んだ。ギシギシと歯軋りを立てて悔しさを滲ませている。
「ま、その辺にしてやってもらえるか、アリス。青木もこれに懲りたら反省するんだな」
「うむ、文吉の頼みとあれば致し方ないな」
「悪かったよ……」
若干険悪なムードになってしまったことを懸念して、俺は三人をテーブルに座らせ、ポップルティーをカップに注いでいく。リラックスすれば気分も晴れるだろうと気を利かせてみた。
「相変わらず文吉の淹れてくれるお茶は絶品だな」
「本当だ! 凄く美味しいよ、文吉君!」
「少し苦くないか? 砂糖はないのかよ」
「ふんっ、所詮家畜には品のある味わいなど到底わかるまい」
「誰が家畜だ! 砂糖を入れて甘くした方が美味しいに決まってるだろ」
「だから駄肉が付くのだ!」
ダメだ……。アリスと青木は性格からして正反対過ぎる。そんな彼らとこれから一緒にここで暮らすとなると……カロリー消費が心配だ。
なんとか二人に仲良くなってもらわないと俺の身が持たない。
そこで……俺は提案することにした。
「アリス、二人を鍛えてやってくれないか?」
「文吉っ!?」「文吉君?」
二人同時に素っ頓狂な声音を吐き出し、何を言い出すのだと困り眉で俺を見やる。
「どういうことだ、文吉?」
アリスは事情が飲み込めないと、可愛らしく小首を傾げた。
「千葉は召喚士という職業なんだけど、上手く扱えていないようなんだ。これから先生きていくためには、いざという時に自分の身を守れるようにならなきゃいけないと俺は思うんだよ」
「最もな意見だな」
「ちょっと待ってくれよ文吉! 千葉は確かにそうかも知れないけど……俺はゴブリンの一匹くらいなら倒せるぞ」
「ああ、でもアリスもさっき言ってただろ? 青木は礼儀がなっていないと……この機会に少し自分を見つめ直してみるといい」
苦虫を噛み潰したような表情の青木に、アリスはにやりと口角を引き上げた。
「良き友人を持ったな青木。文吉と友人である、それは貴様の唯一の長所だ。この私がお前の生活指導を任されたからには……ビシバシ腐った性根を叩き直してやる!」
こうしてアリスによる青木と千葉の特訓が開始された。
「起きろっ!」
1日目の朝……まだ眠っていた二人の元へ、二階の自室から下りてきたアリスが床に木刀を叩きつけている。
「貴様ら一体いつまで寝ているつもりだっ! 居候の分際で弁えろ!」
飛び起きた千葉とは違い、青木は「朝っぱらから何考えてんだよ!」と憤怒する。そんな彼の反論を許さないと、アリスが「面っ!」青木の頭部に一喝入れた。
「いってぇな! 何すんだよ!」
「反論は許さんっ! 罰としてスクワット30回だ!」
「誰がやるかっ!」
「面っ――!!」
「わかった、わかったからそれやめろっ! ゴブリンに殺される前にお前に殺されるよっ」
青木は最悪だと文句を言いながらも、余程アリスの木刀が痛かったのだろう。スクワットをしている。
後に足腰を鍛えるという行為が、【職業】関取の能力を格段に引き上げることになることを、青木は知らなかった。
「終わったら朝食の前に部屋の掃除だ! 居候なのだから私たちがするのは当然だ!」
部屋の掃除を終えると朝食を摂り、自分の食い扶持くらい自分で狩れというアリスに連れられて、千葉と嫌がる青木はダンジョン奥へと消えていく。
帰って来るや否や、青木と千葉は泥まみれで床に倒れた。
「助けてくれ……文吉。あいつは鬼だ。このままだと俺は本当に殺されるよ!」
「確かに過酷だね。だけど……ここで逃げ出したら生きることも困難になってしまう。僕は頑張るつもりだよ、青木君」
「……だそうだぞ、青木」
「あっ、悪魔めぇぇええええええっ!!」
みっともなく床に転がって喚き散らす青木に、「スクワット30回……」アリスが悪魔のように耳元で囁いている。
絶望に歪む青木の横で、アリスがにたーっと微笑んでいた。
2日目の朝には前日の教訓を活かした千葉が、アリスが下りてくる前に部屋の掃除を開始する。
しかし、青木は爆睡していた。
当然……。
「いっっったぁっ!?」
アリスの畏怖が振り下ろされた。
「青木……スクワット50」
「ふ、増えてるじゃないかよ!? 昨日は30回だったろ!」
「当然だ。人は慣れるものだからな」
「……くっ」
「早くしないか。しないのなら倍々方式で増えるぞ……青木」
「いい、いまからやろうと思ってたところだっ」
そんなこんなで2日が過ぎた逢魔時だったと思う。
俺もこの4日間ダンジョン探索に出ており、学校屋上の自宅へ帰ってくると、家の前に見慣れた女子生徒が一人立っていた。――空野雫だ。
「雫!?」
「文吉!」
声をかけると笑顔で歩み寄って来る。
「凄いね、あたし驚いたよ。まさか屋上がこんな風に変わってるんだもん!」
「……だよね」
苦笑いを浮かべる俺に、雫は嬉しそうに微笑みながら言った。
「あたしね、洞窟の奥でキノコを見つけたんだよ。明日みんなでキノコ狩りに行くの。沢山採れたら文吉にもお裾分けを持ってくるから、期待して待っててね!」
「キノコ……? あっ、雫!」
雫はそれだけ言うと嬉しそうに去って行ってしまった。
「ま、いいか」
さらに1日が過ぎ――特訓開始から5日目の朝に変化が訪れた。
アリスがやって来る前に青木が起き、自らの意思でベッドメイキングを開始し、部屋の掃除を始めたのだ。
「おはようございます!」
「……おはよう、ございます」
下りてきたアリスに千葉が元気よく朝の挨拶をすると、右に習えと青木も嫌々ながら挨拶をしている。
「青木……やればできるじゃないか。以前お前を豚と呼んだ非礼を詫びよう。申し訳なかった」
「…………」
頭を下げたアリスに身を仰け反り驚愕する青木は、「いや……あれは俺が悪かったから」と自らの非を認めた。
「そ、それより……早く飯食って修行を開始しよう!」
青木は照れ臭かったのか、僅かに頬を紅色に染めてそそくさと席に着く。
「そうだね、青木君」
「ああ、ゴブリンを狩れぬ者たちに食料を分け与えるのも立派な務めだ。自分さえ良ければいい、そのような愚かな考えが人を虫に変えるのだ」
「……2組を追い出されたのは……良かったのかもな」
青木がボソッと小さく呟いたその横で、千葉が同意するように頷いていた。
人は誰かに認められたり、誰かから必要とされていると肌で実感したときにこそ、成長するのかもしれない。
少なくともアリスの厳しさには愛情があったと俺は思う。
疲れて帰って来ているのは彼女も同じだった。けれど、アリスは青木と千葉にいつも一番に風呂に入るように促していた。
それは疲れきった彼らが風呂に入る前に寝てしまわぬようにと気遣った、アリスなりの優しさだったのだろう。
ダンジョン生活14日目にして、俺は人が人であるべき素晴らしさを……彼らから教わった。
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