第16話

 アリスが出掛けて特にすることもなく、散歩がてら校内を闊歩していると、一匹の犬が駆けてくる。


「アンアンッ!」

「犬? なんで犬がこんなのところに?」


 元気に走り回る小さな犬。チワワほどの大きさの小型犬だ。


 足下にまとわりついてきた仔犬に視線を落とし、手を差し出してみると舐められた。くすぐったい。


「ん……角?」


 校内に犬がいることにも驚きなのだが、よくよく犬を見てみると……額から小さな一角が生えている。


「……モンスターか?」


 そう思ったのだが、「太郎!」廊下の先から可愛らしい女子生徒……ではなく、男の娘――千葉真司が謎の犬型生物を追いかけて走ってくる。


「勝手に離れたらダメじゃないか」


 肩で息をする千葉が苦しそうに背中を丸めながら、膝に手を突いて乱れる呼吸を整えている。


「文吉君……捕まえてくれてありがとう」


 いや……捕まえた訳じゃない。犬の方から勝手にすり寄って来ただけだ。


「これ、千葉のペットか?」

「ペット……違う違う。聖獣麒麟だよ! ほら、僕の【職業】は召喚士だから」

「聖獣……麒麟」


 確か中国神話に現れる伝説上の霊獣のことだよな。それにしては見た目が……女子が好みそうなチワワにしか見えない。


 それに俺の知っている麒麟は一角ではなく二角だ。これのどこが麒麟だというのだろう。

 とは思ったが余計なことは言わない。召喚士の本人が麒麟だと言っているのだから麒麟なのだろうと思うことにした。


「あっ……消えたぞ」


 足下にしがみついていたもふもふの綿飴みたいな麒麟が、青白いエフェクトを放ちながら忽然と消えたのだ。


「あぁ、10分経っちゃったか」

「10分?」

「うん。僕のスキル召喚は、召喚獣を10分間しか喚び出して置くことができないんだ」

「制限時間付きなのか」

「うん。それにMPもかなり使っちゃうんだよね。一度召喚したらMPが回復するまでは召喚できないし……」


 そう言った千葉は憂鬱そうに肩を竦め、けぶるような睫毛から覆われた黒目がちな瞳を俺に向けてくる。


「その、あの時は庇ってあげられなくてごめんね……文吉君」


 申し訳なさそうにペコリと頭を下げる千葉に、俺は「どうして千葉が謝るんだ。別に誰も悪くない」と言葉をかけた。


 実際、あの時の俺は2年2組内でもっとも足手まといだったと思う。常田が言ったように、いざとなったら助ける仲間の優先順位を決めなければならないのも……悲しいが必要なことだ。


 生き残るためにはそれぞれが役割をしっかり認識しなければならない。それこそが適材適所。仮に俺と狭山先生が同時に生死に関わる大怪我を負ったなら、迷うことなく先生を助けなければならないと思う。


 そこで一悶着となれば、手遅れになる可能性があるのだ。そうなれば残されたすべての者の命に関わってくる。


 つまり、あの時の俺は2年2組に取ってお荷物以外の何者でもなかったというわけだ。


「怒って……ないの?」

「別に怒ってない」


 そもそも怒るという行為自体、無駄なカロリー消費に繋がり好きじゃない。急がば回れということわざがあるように、怒る前に身を引くのが俺だ。如何に無意味な労力を使わずに済むか、その道を模索することこそに省エネの鍵がある。


「僕は……ダメだったよ」

「ダメだった? 何かあったのか?」

「実は……」


 立ち話も何だからと校舎外の石垣に腰を下ろし、千葉の話を詳しく聞くことにした。


「僕は役立たずだから出て行ってくれないかと……常田君に言われちゃったんだ」

「……役立たずって、立派な召喚士じゃないか」

「……文吉君も見たでしょ? さっきの麒麟。あれじゃ洞窟の中を探索することは不可能だよ」

「試してみたのか?」

「試さなくたってわかるよ!」

「……それで常田君に反論したと?」

「ううん。泣いちゃったや。あんなに酷いことを言われるとは思ってなかったから」


 泣いて教室を飛び出してしまったというところか。千葉は見た目通り気弱な性格なのだろう。


「それで麒麟を鍛えようと召喚していたのか?」

「まぁ、そうなんだけど……上手くいかなくて」


 さらに声のトーンが落ちていき、嘆息する千葉。そこへ情けない声が聞こえてくる。


「ぶんきちぃ~」

「青木……お前少し見ない間に随分頬が痩けたな」


 やって来たのは千鳥足の青木慎吾。

 青木は今にも死んでしまいそうな声音を発しながら、俺の眼前でもう限界だと両手を突いた。


「大丈夫かお前? かなり顔色が悪いぞ」

「聞いてくれよ文吉。常田のやつが涼しい顔して言うんだよ!」

「出て行ってくれってか?」

「……よくわかったな」


 絶望的な表情から言いたいことを読み取った俺が問いかけると、青木はびっくりだと言うように睫毛をぱちくり鳴らす。


「千葉も追い出されたらしいからな」

「あの野郎っ! 千葉まで追い出していたのかよ! 信じられないサディストじゃないか!……でも一人じゃなくて安心したよ」

「相変わらず現金なやつというか……最低だな」

「一人だと心細いじゃないか!」

「……だから俺を探していたと?」

「ああ、よくわかったな」


 青木も千葉同様教室を追い出されたらしいのだが、追い出された理由が千葉とは異なる。

 小太りな青木はその体格から見てわかる通り、とにかくよく食べる。


 しかし、2年2組は相変わらず食料問題を改善できていない。普段の食事は南の洞窟入口付近に生えている草、ヨウモギ草を茹でて食べているという。それも雫が鑑定して食べられることを知ったのだとか……。


 けれど当然ながら収穫すればなくなってしまい、さらに収穫するためには奥へ進むしかなかった。

 だが奥へ進めばゴブリンやスライムが待ち受けている。従って大切にヨウモギ草を少しずつ食べていたのだが、空腹に耐えかねた青木がこっそり食べてしまったらしい。


「勝手に全部食ったのか!?」

「言い訳させてくれ、文吉っ!」


 バカなんじゃないかと軽蔑の眼差しを向けてやると、青木は自身の【職業】について語り出した。


 青木の【職業】は関取――その能力はどすこいっと言って100万馬力の剛力を使用者に与える。

 が、欠点があるという。


「欠点?」

「力を使うと尋常じゃなく腹が減るんだよ。その結果……気がついたら全部食べちゃってたんだ」

「無意識のうちに?」

「ああ、無意識うちに」


 最悪な能力だな。所謂外れスキルというやつか。


「でもさ、これまでに洞窟内でゴブリンに襲われたとき、俺がみんなを守って張り手で退治してたんだ」

「本当かぁ?」


 嘘をついているんじゃないだろうなと青木に目を細めると、千葉が庇うように話に加わってきた。


「それは事実だよ。僕も青木君に助けてもらったし。2年2組のメンバーで一番強かったのは間違いなく青木君だよ!」

「……常田君は戦士だよな? スキルは確か身体能力向上、彼の方が強いんじゃないのか?」


 当然の疑問を投げ掛けてみると、青木も千葉も渋面を作った。


「あいつは口だけで何もしないさ」

「う~ん、僕も追い出されたから言う訳じゃないけど……青木君の言い分も一理あるかな」


 二人の話を聞いてみると、常田ははっきり言って何もしないらしい。いつも爽やかスマイルで指示を出すだけ出して、自身は高見の見物。あとのことは他のメンバーに任せっきりだとか……。


「なんで何もしないんだよ。戦士なら一番戦えるはずだろ?」

「常田の野郎はU-18に選ばれるほどのスター選手だから……怪我をしてサッカーができなくなったら将来が台無しなんだとさ」

「この状況で誰がそんなバカなことを言ってんだよ!」

「常田君本人と……あとは一堂さんに東城君かな?」

「基本的に戦闘は俺と田中の二人の担当だって……押しつけられていたんだよ」

「東城は盗賊だから……奇襲攻撃とかできるんじゃないのか?」

「東城君はそんなことしないよ。自分は偵察が役割だから、戦闘は青木君と槍士の田中君の仕事だって……」


 いいやつだと思っていたが……どうやら常田は腹黒王子だったってわけか。

 それに普段から常田と一緒にいる一堂と東城の二人が常田側に付いているなら……他のメンバーが意見することは難しい。


 彼らは1年の頃から学年ヒエラルキートップの生徒だから、その彼らに意見できる生徒なんて……あの中だったら松田彩加くらいだろう。


「文吉……俺はもう直空腹で死んでしまうよ。最後にお前を見捨てたことを謝りたかったんだ。悪かったな」

「青木……」


 別に見捨てられたなんてこれっぽっちも思っていないが、【職業】上の関係で人一倍空腹に悩まされるのは可哀想だと思う。

 それにここまでしおらしくされると……な。


「仕方ない。とりあえず飯を食わせてやるから屋上に来いよ」

「………」

「…………」


 なんで二人とも黙るんだよ。目を逸らすんだよ。下を向くんだよ!


「聞いたぞ文吉……お前腹が減り過ぎてゴブリンを食ってるんだってな。校内で変人奇人だって有名になってるぞ」

「さすがに……僕もあれを食べるのはどうかと思うよ?」

「そっか。アリスも旨い旨いと食っていたが、二人が飢え死にコースを選ぶなら止めはしないさ。生きることを放棄するやつに手を差し伸べるほど、俺はお人好しじゃないからな」


 立ち上がった俺は後ろ手に手を振り、「まぁ頑張れよ」と言いながらその場を離れる。


 すると、


「待ってくれよ文吉っ!」

「アリスって……3年の有栖川先輩のことかい?」

「ああ、そうだけど」


 二人は互いに顔を見合せ、一興に目を丸くしていた。

 それから半信半疑と言った様子で、屋上へ帰る俺の後ろからちょこちょこと付いてくる。


「なんだいこれは!?」

「屋上になんで家が建ってんだよ!?」


 もう聞き飽きた言動……リアクションは割合する。


「座って待ってろよ。今支度するから」

「う、うん」

「本当に食えると思うか、千葉?」

「さぁ……どうだろう?」

「俺が聞いた話によると、試しに食ったやつは吐いたらしいからな」

「……食べる前にそういうこと言わないでよ、青木君」


 ゴブリンを持って部屋へ戻って来ると、『うわぁ』ってな具合で顔をしかめる二人。


「ほら、食べていいぞ」

「………」

「…………見た目は……緑色のケン○ッキーだな」


 食卓の前に並べられた骨付き肉を掴み取った青木が、「食えるならこの際なんだっていい!」と自棄っぱちになりながら齧り付いた。


「!? 千葉っ! 糞不味いから絶対に食わない方がいい!」


 と言いながら、青木は肉を両手に持って貪りついている。


「青木君……言ってることと行動が伴ってないよ……ね?」


 千葉も肉を手に取り、食べる。


「っ!? 文吉君! めちゃくちゃ美味しいよ!」

「だろ? ゴブリンは大量に冷凍してあるから、好きなだけ食うといい。あと、食ったら二人とも風呂に入ること。少し臭うからな」


 二人仲良く風呂に入っている間に、俺は手際よく洗い物を済ませることにする。


「まるで世話好きな主婦になった気分だな……」



 ガクッと首を折り、俺は盛大な溜息を吐き出した。

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