第15話

 一先ず学校の屋上に建てられた自宅へ帰ってきた俺たちは、とりあえず腹が減ったので晩飯にすることにした。


「しかし……食料はあるのか?」

「食料なら家畜小屋に備蓄があから問題ない」

「家畜……まさか!?」


 アリスは『げっ!?』、ってな感じで額に青筋を立て、二歩、三歩と俺から距離を取る。壁に張りついて疑惑に満ちた眼差しを向けてくる。


 一体どうしたのだろうか?


「どうかしたか?」

「いや、その……あっ、そうだ! 私は腹が減っていないのだ!」


 苦笑いを浮かべるアリスは遠慮してるのだろ。今となっては食料は貴重だからな。


「遠慮することはない。ゴブリンは狩ればいくらでも手に入るのだから」

「やはりゴブリンかっ!? 私は食わんぞ! あんなもの二度と食うかっ!」

「ん……? まぁ~、見た目が緑で確かに不味そうだからな。だけど味は悪くない」

「味は悪くないだと!? しょっ、正気かぁっっ!!」

「へ?」

「文吉は外に出られたら一度医者に行くべきだ! 味覚障害の疑いがある!」


 犯人はお前だっ! みたいな言い方でバシッと指を突きつけられた。


「まっ、とにかくアリスはずっと寝てて何も食べてないんだから、しっかり栄養のあるものを摂取すべきだ」

「けっ、結構だ! 心配ご無用。私は数日程度なら飲まず食わずでも問題ないっ!」

「何をバカなことを言ってるんだ。食べれる時に食べるのが剣士の資本だろ? 強くなりたいのなら尚更だ」

「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だァッ!! 私は絶対に食べないぞ!」


 何なんだ……? 頑なに食事を摂りたがらない。

 まっ、どうせ目の前で人が食べてたら釣られて食べるだろ。


 庭先に設置した家畜小屋から冷凍ゴブリンを一匹運んで来ると、アリスはギョッと目を丸くして、何度も俺とゴブリンを交互に見やる。


「本気か……ゲテモノ好きとかいう次元を超越しているとしか思えんっ!」

「う~ん、豚や牛だって普段食べ慣れているから何とも思わないだけで、生まれて初めて目にした人は驚くさ。えっ!? そんなの食べるのってね」

「それは……そうかも知れんが。だからと言ってゴブリンだぞ! それ糞不味いぞ!」

「まぁ……多少パサパサしてるけど、ほら、質の悪いジンギスカンとかもそんな感じたろ?」

「……そんな次元じゃないだろ。食べた者は皆等しく嘔吐していたぞ」


 ぶつぶつとぼやいているアリスは無視して、俺は錬成陣を発動させ、ゴブリンを骨付き肉へと変換する。


「なっ、なんだそのチート能力はっ!? なぜゴブリンがケン○ッキーに変わるのだ!」

「ん? 錬金術だよ。さっき説明しただろ?」

「……は、反則ではないかっ」


 今更驚くアリスを無視して、俺は肉をお皿に盛りつける。次いでにリントウをおひたしにして小鉢に入れ、今晩のご馳走が完成だ。



「ほら、アリスも座れば?」

「いらんっ! ケン○ッキーな見た目に惑わされるものかっ! 私は絶っっっ対に食べないぞ!」


 頑固なやつだな。

 ま、もう知らん。


「うん、何度も食べてるが中々だ」

「………本当に……食べてる」


 警戒する猫のようにこちらを窺い、アリスが徐々に近づいて来た。テーブルに両手を突いて顔を覗き込んでくる。


「……」

「……」


 こう見られていると食べ辛いなぁ。


「……見てないで食ったらいいだろ?」

「……私は腹が減っていないのだ!」


 ……グゥ~。


「ハッ!?」


 腹の音が鳴りアリスが赭面する。


「腹減ってるんじゃないか」

「減ってない!」

「いや……めっちゃ鳴ってただろ、腹」

「私のではないっ! 文吉の腹の音だ!」


 いや……それはさすがに無理があるだろ。


「とりあえず……リントウのおひたしだけでも食ったらどうだ?」

「う、うむ。ま……これなら大丈夫か? しかし……文吉はバカ舌だからな」

「食わないなら片付けるぞ!」

「くっ、食えばいいのだろ!」


 アリスは捨て鉢な声で言うと、石製の箸でおひたしを摘まみ上げ、瞼をぎゅっと閉ざして恐る恐る口へ運ぶ。1秒、2秒と咀嚼して、パッと目を見開ける。


「うううう、うまいっ!? なんだこれは!?」

「リントウっていう植物だよ。南の通路の奥で取れるから、収穫して家畜小屋で冷凍して保存してる。ちなみに栄養価が高いらしいから沢山食べるといい」

「これなら……みんな食べられるな」

「だけど結構奥にあるから……取りに行くのは大変かもな」

「そ、そうか……」


 リントウのおひたしを見つめるアリスは、何を考えていたのだろう。ひょっとしたら体育館にいる友人たちのことを考えていたのかも知れない。


「明日にでもノートに地図を描いてやるから……渡してやるといい。彼らだけで行けないようならアリスが付いていってやれば問題ないだろ? もうゴブリン程度に負けるアリスじゃないんだから。但し、ポイズンスライムには十分気をつけること!」

「うむ……文吉。お前は本当にいいやつだな」


 アリスが笑うと俺は少し嬉しい。雫が笑った時みたいだ。


「ほら、肉も食べるといい」

「うっ……それは……」

「うまいぞ?」

「……本当か?」

「ああ、本当だ。嘘をつく意味がないからな」

「わかった! 私はお前を信じるぞ、文吉!」


 ……肉を食うだけなのに、少し大袈裟じゃないか?


 アリスは食卓の中央に置かれた骨付き肉へと手を伸ばし、ゴクリと喉を鳴らして忌々しげに肉を睨みつけている。


「くっ、食うぞ!」

「ああ」

「本当に食うぞ!」

「ああ」

「本当の本当に食うぞ!」

「わかったから早く食べろよ!」


 アリスは決死の覚悟と言わんばかりに小さな口で肉に食らいつく。

 したらば、ただでさえ大きな瞳を倍ほどまでに見開き、歓喜の雄叫びを響かせる。


「うっ、うまぁぁあああああああああああああああああああいっ――!?」


 余程口に合ったのだろう。勢い余って席を立ってしまった。無理もない。ここ数日、碌なものを食べていなかったと思われる。


「なんだこれはっ!? これが本当にあの糞不味いゴブリンの肉かっっ!!」


 あっ、そうか。

 アリスは初めの俺と同じようにゴブリンをただ焼いて食べたのか! そう考えると彼女の言動にも納得だ。


「うまい、うますぎるぞ、文吉っ!」

「そりゃ良かったよ。お代わりもあるから腹一杯食うといい」

「お前は……最高だぁ、文吉っっ!!」


 一心不乱に肉を頬張るアリスは、結局巨大な骨付き肉を6本も間食した。


「満腹だ……」

「そりゃそんだけ食べればそうだろうよ。ゴブリン一匹半だからな」

「初めて文吉が丸々一匹食べたと聞いたときは驚いたが……納得だ」

「だろ?」

「しかし……みんなにも食べさせてやりたいな」


 そこで俺は考える。

 確かにゴブリンを普通に食べたらとても食えた物ではない。あの壊滅的不味さは衝撃だ。


 しかし、だからと言って錬金術を全校生徒に知られたら面倒なことになるかも知れない。


 人間は欲深い上に嫉妬深い。


 目立つ行動はなるべく避けるべきたと思う。

 だが、それと同時に自分だけがまともな物を食べている、その事実が若干の後ろめたさにも似た感情を生み出す。


 そこで俺は、この俺の説明不可能な能力を誰にも口外しないということを条件に、ゴブリンを持ってくれば錬金術で骨付き肉に変換することを提案した。


「いいのか!?」

「うん、このままだと何れ皆、餓死してしまうからな」


 省エネ主義の俺としては不本意ではあるが、人の生死に関わる事態だ。さすがに嫌だとは言えない。


「私は……文吉、お前に会えて良かった」

「……俺も、かな?」


 少し照れ臭かったが、素直な気持ちを伝えることは大切なことだと思う。

 アリスは桜が開花したように頬を染め、満開の笑顔を見せてくれる。


「さて、それじゃそろそろ順番に風呂にでも入って寝るか」

「そうだな。明日は許してもらえるかわからないが……許してもらえるまで皆に誠心誠意謝罪するつもりだ」


 伊集院先輩も言っていたが、それは決してアリスが背負うべき十字架ではない。

 だがしかし、それは言わないでおこう。彼女の性格からして、言ったところで慰めにもならないだろうと考えた。それどころか、却って傷つけてしまうかもしれないと……。


 アリスが風呂に入っている間に、俺は部屋を増築することにした。

 さすがに女性と同じ部屋で寝ることに抵抗があったためだ。


 錬金術を用いれば、階段を創り二階を創ることは容易い。風呂から上がったアリスはかなり驚いていたが、「文吉は紳士なのだな」と喜んでくれた。



 9日目の朝――俺は庭先から体育館の方へと目を向ける。そこには土下座するアリスの姿があった。


「不器用なやつだな」


 見ていて少しだけ心が軋むような感覚がしたけれど、彼女が自ら選んだ道だ……見守ろうと決めた。


 暫くすると大勢の生徒が集まり、数十分の話し合いの後、和解が成立したようだ。

 すべての者がアリスに好意的ではなかったが、一部の生徒が仕方ないことだったと声をかけてくれたのだと……後にアリス本人から聞いた。


 早速仲間を引き連れリントウとゴブリンを狩に行くアリスが、南の通路前で立ち止まり、スカートを翻して屋上を見上げる。


 俺に向けてピースサインを掲げていた。俺も『良かったな』という意味を込め、彼女へ向けてグッと親指を突き立てる。


 誰にも気付かれることのない。俺と彼女の秘密のやり取り。


「アリス、何やってんだよ。早く食料調達に行こうぜ!」

「ああ、今度こそ腹一杯食わせてやるぞ!」



 屋上の手摺に腕を置き、俺は彼女が走り去るその後ろ姿を、ぼんやりと眺めていた。




「頑張れ、アリス」


 届くことのないエールを彼女へと送りながら……。

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