第14話

 俺は落ち着いた有栖川先輩に短剣を持ってみるように勧めるが、きっぱり持てないと言われてしまう。


「私は……その、恥ずかしい話だが……包丁さえ握れないのだ。この歳で料理の一つもできないなど、笑えるだろ? いや、いっそ清々しく笑ってくれ!」


 先程の話を聞いて笑えるやつがいたなら……そいつは間違いなくサイコパスだ。


 それに……。


「今時女性が料理をしなければならないなんて古臭いですよ。今は女性の社会進出も活発になっていますし。昭和ならともかく……今は令和ですよ。先輩!」

「君は……優しいのだな」

「……ん~、それはどうですかね? 意外と腹の中は真っ黒かもしれませんよ」


 クスクスと笑った先輩は可憐だった。

 俺がもっと感情豊かな人間だったなら、あるいは先輩に好意を抱いていたかもしれないが、生憎俺にはそのような感情の起伏が欠如していた。


「アリスだ」

「ん……?」

「有栖川先輩ではなく、アリスと呼んでくれ。親しい者からはそう呼ばれていた」

「なら、俺のことも文吉と呼んでください」

「うむ、そうさせてもらおう。ちなみに敬語も無しだ! 私は文吉の弟子なのだからな」


 にかっと笑った顔は普段の大人びたアリスとは違い、どこかあどけなさを感じる。そっちの方がアリスらしいと思ってしまう。


 にしても……刃物に対するトラウマを克服する方法がさっぱり思いつかない。

 俺は専門医……カウンセラーじゃないからな。


 しかし、だからと言ってやめるわけにもいかない。

 先程は『やめましょうか?』など無責任な発言をしてしまったが、よくよく考えたらここはダンジョンなのだ。ありふれた日常生活の中で生活しているなら未だしも、ここには怪物……魔物がいる。


 もしもアリスが何かのきっかけでゴブリンに襲われたら、生命の危険に晒されてしまう。対抗手段がなければいざという時に己の身さえ守れない。


「そういえば……アリスの【職業】は剣士なんだよな?」

「ああ、そうだ。よく知っているな」

「うん、噂になってたから」


 剣道部最強の有栖川アリスの【職業】が剣士となれば、誰だって噂してしまう。


「ちなみに【スキル】は? もし差し支えなければ教えてもらっても?」

「ああ、別に構わない。ただ、私自身いまいちよくわからないのだ」

「と、言うと?」

「見てもらった方が早いな」


 そう言うとアリスはステータス画面を表示する。



 ――有栖川アリス 【職業】剣士 Lv4

 HP  56/56

 MP  28/28

 筋力  42

 防御  39

 魔防  24

 敏捷  36

 器用  19

 知力  22

 幸運  23


【固有スキル】

 換装


【職業スキル】

 月読


 Lvが4もある! 巨大蜂とひたすら戦っていた成果か!


 職業スキルは月読……ん? この固有スキルってのはなんだ?

 確か俺のステータスにも同様の項目があったな。……詳細不明だったが。


「この固有スキル換装ってのは?」

「ああ、いまいちわからないんだ」

「わからない?」

「試しに換装と口にしてみても何も起きないのだ。ちなみにこの月読というのも同じだ。他の者にスキルの使い方を聞いたことがあるのだが、彼らは念じれば発動可能だと口にしていたが……私のは念じても意味がなかった」


 発動しないスキル……? 果たしてそんなものがあるのか……。

 俺はアリスのスキル詳細を知るべく、鑑定してみることにした。


【職業スキル】月読――使用者の周囲5m以内の魔力ミストラルを感知する。


【固有スキル】換装――あらかじめ換装空間に所有する『衣服』『鎧』『武器』などを自在に入れ換えることが可能。着衣着脱。


「何なのだこれは?」


 表示した鑑定結果を覗き見てきたアリスが怪訝に眉根を寄せている。


「ずっと気になっていたのだが……文吉は【職業】無職なのではないのか? 皆からはモザイクと呼ばれていたようだが……」


 なんでこんなことができるのだと、疑問符を瞳に宿したアリスが尋ねてくる。俺は少しばかり躊躇ったものの、致し方ないと説明できる範囲で説明することにした。


「では……試したら何でもできたということか」

「ま、そうなるかな」

「しかしそのお陰で私のスキルの正体が判明したな。感謝するぞ、文吉!」


 しかし【固有スキル】に関しては使い道がなさそうだな。

 一方、【職業】スキル月読に関してはPTSD――トラウマの克服に繋がるかもしれないと俺は考えていた。


 その審議を確かめるために、俺はアリスに重要なことを尋ねことにした。


「アリスが過去にスキル月読を使用した時、その周囲に誰か人は居たか?」

「いや、私は人に自分の力を見せつけるような無粋な真似はしたくない。だから体育館の裏でこっそり使用したのだ」

「なるほど。その時なにか変わったことは?」

「変わったことと言われてもな……」

「例えば……そう。普段感じないエネルギーみたいなモノの存在を認知したとか」

「ああ……そう言えば」


 アリスは何かを思い出すように、言う。


「瞳を閉ざした時、カーテン……いや、オーロラのようなものを闇の中で見たな。濃い緑がかった部分があったり、薄い箇所があったと思う」


 やはりそうか!

 あの時……【風覇空波斬】を放った時に俺が見たものと同じだ。


 そこから導き出せる答えは……月読は魔力ミストラルを感じ取ることができるスキルだということ。


 しかし、魔力なんてものの存在を知らない者からすれば、それが何なのかわからない。だからアリスは見落とし……いや、気にしなかったのだ。


 それに、もし俺の考えが正しければ……。


「アリス、もう一度月読を使ってみてくれないか?」

「ああ、構わないぞ」


 俺はアリスから距離を取った。5mは離れていた。


「うむ、やはりオーロラが見えるだけだな」


 瞼を閉ざしたアリスが答えると、俺はそのまま意識を集中するように伝え、ゆっくりアリスへ近づいた。


「ん!? なんだこれはっ!」

「どうかしたか?」

「とてつもなく濃い……はっきりとした人影のようなものが私へ近づいてくる。……ん、目の前で止まったぞ」

「目を開けてみてくれないか?」

「……ハッ!? 文吉!?」

「ああ、アリスが感じ取っていたのは俺の存在だよ」

「どういうことだ!?」


 答えは簡単だ。

 アリスのスキル月読の効果は、自身の周囲5m以内の魔力ミストラルを鮮明に感じ取るというもの。

 魔力ミストラルとはつまりMP。


 アリスは血液、あるいはオーラのように流れる俺のMPを感じ取っていたのだ。


「つまり……私は瞼を閉ざしていても5m以内ならば、魔力ミストラルを有する者を感知することが可能ということか!」


 その通りだと俺は頷く。

 そして彼女の碧眼と数瞬目を合わせた俺は、「アリス……修行再開だ!」と伝える。


「……しかし」


 アリスのお人形さんのような相好には不安の色が刻まれていく。

 過酷かもしれないが、ここで臆していてはアリスの望み『強くなる』ことは叶わない。


「大丈夫。いざとなれば俺も居るよ」

「文吉……うむ。私はお前を信じよう!」



 再びゴブリンを発見したアリスは、やはり緑の小鬼が携える短剣に腰が引けている。


「アリス! 瞼を閉ざして月読を発動させるんだ!」

「わ、わかった」


 震え声で返事を返したアリスが瞼を閉ざすと、先程まで戦慄いていた体が嘘のように止まった。

 止まることを知らぬ秒針が時を止めてしまったかのように、天から垂れ下がる一本の糸の如く、凛と美しく木刀を構えのアリスが居た。


 一切隙を感じさせることのない、剣に愛されたアリスの元へ、ゴブリンが短剣片手に突っ込んで来る。


「ゴブゴブッ!!」


 けれど、そこには先程までの臆病風に吹かれた彼女はいない。つんざく雄叫びが木霊しようとも、動かざるは山の如く、心を静めた有栖川アリスがいる!


 そう、誰もが天才と評し、憧れた最強の剣士がそこにはいるのだ。


 動じることなくゴブリンを引き付けた彼女が、力強く一歩を踏み出し、叫ぶ。


「面っ――!!」


 過激な打撃音が響き渡り、頭蓋を砕かれた怪物が地に沈む。脳天必中の強烈な一撃だった。


「すげぇ……」


 その余りの美しさに、俺は彼女の背中に見惚れていた。


「わ、私が……倒したのか?」

「頭部が変形してしまう程の……そんな強烈な一撃、アリス意外には放てないよ」

「文吉っ!」


 振り返ったアリスの目尻には涙が目一杯溜め込まれ、初めて破顔を見せた。


 瞬間……ドキッ!


 落雷に打たれたように全身にぶるっと鳥肌が立ち、鼓動が鳴る。感情の薄い俺の心が高鳴った。


「ぶんきちぃぃいいいっ!!」

「ちょっ、アリス!?」


 喜びを爆発させたアリスが駆け寄ってきて、ぎゅっと抱きしめられる。


「ア、アリスッ! 苦しい、苦しいから!」


 俺はアリスの背中をタップしてやめるように促した。


「す、すまない! つい、興奮してしまったのだ。面目無い!」


 謝るアリスに「良かった」と微笑みかければ、彼女もとびきりの笑顔を見せてくれる。


「うむ! 文吉のお陰なのだ!」


 俺とアリスは笑い合った。

 そして風が止むように互いの笑い声が止み、見つめ合って……また笑う。


 この先俺たちがどうなるかなんてわからない。




 ただ……叶うことならもう二度と、彼女が涙に濡れずに笑顔でいれるように……そんな事を思ったんだ。

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