第13話

 伊集院先輩が生徒会室へ戻り暫くすると、ベッドで眠っていた有栖川先輩の瞼がうっすら開いた。


「う~ん……ここは?」

「やっと目が覚めたみたいですね。長いこと目を覚まさないから心配しましたよ」


 有栖川先輩は寝惚けまなこでぼんやりと俺を見やり、何かに驚いたようにカッと瞳を見開いた。矢継ぎ早に上半身を起こし、次いで全身の傷を確めるように擦っている。


「生きている……? それに……傷もない」


 驚くのも無理はない。有栖川先輩は傷だらけだったのだ。回復魔法を使用しなければ命に関わっていたかもしれないほどの重症だった。


 しかし、そのことを上手く説明できそうにもない。自分の職業や能力についてわかっていれば説明も可能なのだが……。


 試しに回復魔法を使ってみたらできちゃました……なんて言えるわけがなかった。


「とりあえず……何か飲みましょうか」

「……」


 なので、俺は別のもので有栖川先輩の気を引こうと、ダンジョン内で採取したポップルと呼ばれるハーブに似た草を乾燥させたお茶を淹れることにした。


 錬金術で創った土器製のティーポットにポップルを入れて蒸らし、カップに注いでいく。

 鑑定で調べたところによると、ポップルティーにはリラクゼーション効果があるらしい。


 少し強張った面持ちで緊張している様子の先輩には、最適な飲み物だろう。


「起き上がれますか? ポップルティーを淹れたので良かったらこっちで飲みませんか?」

「剣の……神」

「は……?」


 有栖川先輩は俺のことをガン見して、意味不明なことを呟いた。

 まだ寝惚けてるのかな? 有栖川先輩はしっかりしてそうで意外と抜けてるところがあるのかも知れない。


 ベッドから出た有栖川先輩がテーブルに腰かけ、ゆっくりポップルティーを傾ける。


「うまいな……」

「ですよね。俺も初めて飲んだ時は同じようなことを言ってましたよ」


 なんとか会話で場を繋げようと試みたのだが、有栖川先輩は重々しい表情でカップの中の琥珀色に視線を落とす。黙り込んだ彼女に何て声をかければいいのかがわからなかった。


 やはり友人を死なせてしまったことを気に病んでいるのだろう。無理もないか。


「あの……すみませんでした」

「なぜ……君が私に謝るのだ。君に感謝することはあれど、謝られる覚えはない」


 頭を下げた俺に、有栖川先輩は顔を上げてくれと気遣ってくれる。


「俺が先輩にゴブリンのことを伝えたのがいけなかったんです」


 俺が伝えなければ有栖川先輩が仲間を引き連れ、ゴブリン狩りに出向くことはなかっただろう。間接的ではあるが、俺も無関係というわけではない。


 なにより、この胸には多少なりと罪悪感に似た感情が芽生えているのだ。謝って済む問題ではないことは重々承知しているが、それでもやはり謝らなければ俺の気が済まない。


 しかし、有栖川先輩は「それは違う」ときっぱり否定する。


「たとえ君にゴブリンのことを聞いておらずとも、私たちは何れ洞窟の奥へ足を運んでいた。そうしなければ生きられないことを知っていたのだ。君が気に病むことではない。すべては私の傲りが招いた結果だ」

「先輩の……傲り?」

「ああ……恥ずかしいことに、その……私は剣さえあれば自分は最強などと思い込んでいた。君が倒したゴブリン……君に倒せるのなら、私なら1000匹は余裕だと考えていた」


 まぁ……有栖川先輩を知っている人なら誰だってそう思うだろう……と口に出しかけて飲み込んだ。そんなことを言える雰囲気じゃない。


「しかし……実際は違った。私は怖かったのだ。人と同じ二足歩行の生き物を殺めることも……初めて明確な殺意と共に刃物を向けられたことも……怖くて……怖くて仕方なかったのだ」

「無理もありませんよ」

「やめてくれ……同情も慰めも必要ない」


 今にも消えてしまいそうなほど弱々しい声音が僅かに室温をあげると、若干の息苦しさを感じる。


「私は……弱い。弱かったのだ。……だけど君は違う!」

「えっ!? 俺ですか?」

「そうだ! ……君に頼みがある!」


 テーブルに両手をつき、ガッと立ち上がった有栖川先輩が曇り無き眼で俺を見据える。宝石のような碧眼だ。


「私を……私を君の弟子にしてほしいのだ! 私に剣を教えてくれないだろうか!」

「は……はぁぁああああああっ!?」


 なに言ってんのこの人!?


 1年の頃から剣道インターハイ個人の部で優勝を飾ってきた――天才と名高い有栖川アリス先輩が俺の弟子!?

 無理に決まってるだろと、全力で首を振る。


「頼む……この通りだ!」

「……俺が先輩に教えられることなんて何もありませんよ」

「嘘だっ! 私は確かに……この目で神の一閃とも呼ぶべき煌めきを見たのだ!」

「……参ったな」


 多分、有栖川先輩は【風覇空波斬】のことを言ってるのだろう。

 けど、自分でいうのも何だが……あんなのはデタラメみたいな技だ。

 第一どうやって教えるっていうんだよ。教えたくても教え方がわからないじゃないか。


 俺は困ったことになったなとカップを傾けながら、頭を下げ続ける有栖川先輩をチラ見する。彼女の誠意に答えてあげたい気持ちは……まったくない訳じゃないけど……。


 それから30分……有栖川先輩が俺の眼下で蹲っていた。所謂土下座というやつだ。


「ハァ……」


 こりゃ随分無駄なカロリー消費になること間違いなしだと、俺は盛大に溜息を吐き出す。

 ……このままだと有栖川先輩は永遠に頭を下げ続けそうな勢いだった。


「わかりましたよ……俺に何が教えられるのか皆目見当もつきませんが、有栖川先輩がそれで納得するなら」

「本当かっ! では早速洞窟の奥へ修行に行くぞ!」


 爛々と丸い瞳を輝かせ、立ち上がった有栖川先輩が休日、何処か遊びに連れていけと親に詰め寄る子供の如く、俺の腕を無造作に引っ張ってくる。


「ちょっと!?」

「善は急げだっ!」


 結局、有栖川先輩に強制連行される形で南の洞窟へやって来てしまった。


「で、先ずは何をすればいいのだ!」


 木刀をブンブン振り回す野生児のような先輩に、俺は引き攣った笑みを浮かべて頭を掻いた。


 と言われてもな……実際俺も自分がどうやって戦っているのか説明のしようがない。気がついたら体が勝手に動いているのだから。


「先ずは……慣れることが大切なんじゃないかな?」

「慣れ……か」

「先輩は元々めちゃくちゃ強いので、本来の力を発揮できれば大抵はどうにかなると思いますよ」


 納得したと頷いた有栖川先輩は、ならば実戦あるのみとゴブリンの捜索を開始する。

 捜索開始から僅か5分足らずで見つけてしまった。


 しかしゴブリンを発見した途端、有栖川先輩の足がピタリと止まり、メデューサに睨まれ、石化してしまったかの如く動かない。

 その表情は青ざめており、脂汗が額から流れ落ちている。木刀を構える腕も微かに震えていた。


「ゴブゴブッ!」


 まずいっ!

 こちらに気がついたゴブリンが有栖川先輩目掛けて突進してきた。俺は咄嗟に有栖川先輩とゴブリンの間へ割り込み、抜刀と同時に駆逐する。


「ひぃっ!?」

「先輩っ!?」


 腰を抜かしてしまった先輩がその場で尻餅をついている。俺はゆったりとした動作で歩み寄り、腰を屈め、有栖川先輩の頬へ飛び散ってしまった返り血を、ポケットから取り出したハンカチでそっと拭う。


「大丈夫ですか?」

「……あぁ、すまない……」


 情けない……そう自分自身を罵倒するように、有栖川先輩は歯噛みする。


 やはりゴブリンに目の前で仲間を殺されたことがトラウマになっているのだろうか。だとしたらゴブリンに慣れる方法などあるのだろうかと、俺は考えながらゴブリンの短剣を拾い上げた。


 その時だった。


「ひぃっっ――!?」


 拾い上げた短剣を有栖川先輩が目にした瞬間……幽霊を目の当たりにした子供のように怯えている。


「まさか……!?」


 俺は試しに短剣を有栖川先輩へ差し出してみる……と、絶望に顔を歪める。

 有栖川先輩の視線は地に沈んだゴブリンではなく、明らかに俺の手に握られている短剣に向けられていた。


 俺は短剣を有栖川先輩に見えないように後ろ手に隠してみる。すると過呼吸寸前だった先輩の呼気が安定した。


 間違いない……有栖川先輩はゴブリンが恐ろしいのではなく、刃物に恐れを抱いているのだ。


「有栖川先輩……ひょっとしてゴブリンじゃなくて、刃物が苦手とか?」

「……」


 先輩の視線が左上に向けられた。

 ……聞いたことがある。人は過去の出来事を思い出そうとする時、視線が左上に向かうことを……。有栖川先輩は過去に何かがあり、刃物に対して強いトラウマを抱えてしまった可能性が高いと思われる。


「……やめましょか?」

「嫌だっ!」

「……でも」

「私は強くなりたいのだ。強くならねばならないのだっ――!」


 それは有栖川先輩の心の叫びだった。

 ダンジョン内に幾重にも重なり反響する声音が遠ざかると、先輩は静かに自分の過去を教えてくれた。


 有栖川アリスが如何にして天才と呼ばれる剣士になったのか。

 なぜ……最強を志したのか……その悲劇とも呼べる悲惨な過去を……。



 有栖川アリスは日本人の父とイギリス人の母との間に生まれた。

 父は貿易会社を営んでおり、幼い頃は裕福な家庭で育ったという。


 しかし、事件が起きたのは約10年程前、彼女がまだ8歳の頃だった。


 その日、小学校から帰った彼女はいつものように、友人と遊ぶためにランドセルを自宅に置き、すぐに家を飛び出した。

 家には両親の他に家政婦が一人居たという。


 時間を忘れて友人宅でテレビゲームに夢中になっていた有栖川先輩は、時刻が18時を回っていることを知り、慌てて帰路に着く。


「ただいま!」


 いつもなら両親と家政婦が出迎えてくれるはずだったのだが、その日は違った。

 いくら声を張り上げても一向に誰も出迎えてくれない。少し疑問に思ったというが、然程気にすることはなく、靴を脱いでリビングの扉を開けた。


 すると……そこには血まみれで横たわる両親の姿があったのだ。


「パパ……? ママ……?」


 二人は既に死亡しており、母親の体には凶器に使われた包丁が突き刺さっていたという。


 後に祖母から聞かされた話によると、怨恨だったらしい。

 家政婦は有栖川家にかなりお金を借りていたらしく、その返済の話し合いをしている時に、カッとなって殺害に及んだのだ。


 以降、彼女は父方の祖母に育てられた。


 両親がいないとバカにした友人たちを見返すため、有栖川アリスは誰よりも強くなることを胸に誓い。剣を執る。


 それが天才剣道少女有栖川アリスの誕生秘話。悲しすぎる物語である。



 天井から漏れた青白い光をぼんやりと見上げる彼女に、俺はかける言葉を見つけることができなかった。


「強く……なりたい」


 振り絞るように喉の奥から漏れた声音。それが何度も鼓膜を揺らし、脳の奥で繰り返し響いた。


 誰に言えるだろうか……もうやめましょうなど。

 俺は……言えなかった。



「強くなりましょう、先輩」

「私は……強くなれるか?」

「なれます。剣は時間を裏切りません。努力は報われものだと……俺は信じています」


 努力嫌いな俺が……なぜこのような言葉を口にしたのだろうか。単なる同情だったのかは定かではない。


 省エネ……低カロリー……呪詛のように何度も繰り返してきた俺自身に、向けられた言葉だったのかもしれない。



 胸のずっと奥深くで、何かが一瞬ざわめく気がしたのを……確かに感じていた。

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