第9話 俺の目標

 次の日の昼休み。


 俺は必至にあくびを噛み殺しながら、購買へ向かおうと立ち上がる。


 昨日譲葉と別れた後、空き教室に戻った俺と周防は、へとへとだったこともあり、直ぐにそれぞれの家へ帰った。


 ただ、俺の方はというと、身体は疲れているというのに、譲葉の励ましにより何かしなきゃならないという気になって、結局寝る前に少しだけと勉強へ手を出したのだ。


 で、結局徹夜。


「しまった……」


 周防には本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。朝、時間ギリギリに登校してきた時も彼女はいつにも増してフラフラだった。多分ひどい筋肉痛に見舞われているのだろう。

 俺も筋肉痛が酷いしなぁ。


「あ、けーちゃん!」


 廊下に出るとすぐ、遠くに見知った顔があった。


「おー、彩華」


 彩華が大きく手を振ってくるので、こっちも小さめに振り返してやろうとする。しかし、筋肉痛で腕が上手く上がらない。その上、体に激痛が走った。


「うぐっ」


 苦しみだした俺を見て、彩華が慌てる。


「どうしたのけーちゃん!? また倒れる? 救急車呼ぶ?」


「いや、ただの筋肉痛だから、大丈夫……」


「筋肉痛?」


 彩華が不思議そうな顔を見せる。俺と運動が彼女の中で結びつかなかったのだろう。確かに俺は運動が苦手だからな。小学校の頃から俺は運動においては彩華に逆立ちしても勝てなかった。(事実、逆立ち耐久対決も俺が負けた)


「まぁ、ちょっと健康のために、運動をと思って」


「へー、そうなんだ。運動は良いよー。ところでけーちゃん、お弁当?」


「いや、今から購買に行こうと思ってたところだ」


「そっか、じゃあ、待ってるね」


 天真爛漫な笑み。彩華はおばあさんに作ってもらったであろう古風な包みを持っていた。


「了解」


 要件は大方察している。別に幼馴染同士て仲良くランチというわけではなく、俺と彩華の間にはとある恒例行事があるのだ。俺がぶっ倒れたことによって延期していたが、今日やることにしたのだろう。


 急いで購買に適当なパンを買いに行く。ホイップあんパン168円に、牛コロッケコッペ210円。ついでにコーヒー牛乳110円。


「お、来た来た! じゃあ、始めよっか」


 既に彩華は俺の席に裏返しのプリントを置いていた。弁当は膝の上。見れば、おかずのうち一つに、筑前煮がある。


「そういや、おばあさんに筑前煮美味しかったって言っといてくれ」


「良かったーおばあちゃん喜ぶよ。って、げ。その筑前煮が入ってるじゃん……食べる?」


 彩華が箸で器用に里芋を摘んで俺に渡そうとしてきた。所謂あーんの体勢である。そういえばこいつ、里芋が苦手だったな。


「好き嫌いするな」


 もしかして、筑前煮がお裾分けされたのって、彩華が食べないからなのか? あんなに美味しいのに、おばあさんが不憫だ。


「はいはい食べますよ。……うん、微妙」


 睨んでいると、彩華は渋々といった風に煮物を口に運ぶ。そして、なんとも言えない表情になった。

 その仕草がどうにも子供っぽく、微笑ましくて、思わず笑ってしまった。


「笑わない。ほら、模試の結果。お姉さんに見せてみ?」


 子供っぽいと思われたのを感じ取ったのだろうか、妙に背伸びした口調で、彩華は本題を切り出した。


「よし」


 俺は、予め用意しておいた模試の点数記入表を取り出した。書店に売っている問題集の中には、独自の模試が添付されていたりする。そして、俺が持っているのは、それを自己採点したものだ。


 これは、俺と彩華との間では、中学生の時からの恒例行事だった。お揃いの問題集や模試を購入し、月に一度解いて点数を競い合う。

 俺が勝ったことは、一回のみ。


「いくぞ」


 俺は、裏返しのままプリントを机へ出す。

 実は俺がこの前倒れたのは、この模試で彩華に勝つために少し無理をしていたのが一因なのだが、結果はどうだろうか。


「いっせーの!」


 彩華の掛け声で、俺達はそれぞれプリントをひっくり返し、表にした。

 俺は800点満点中、722点。彩華は、786点。難し目の問題で、全国平均は380点ほどだった。

 良い点ではあったものの、彩華に対しては完全敗北である。


「いえーい!」


 彩華が俺に向かって勝利のVサインを見せつけてくる。


「くそ……次は負けないからな」


「ふふーん! 前もそれ言ってなかったっけ?」


 分かりやすくギャグっぽい口調で、彩華が煽ってくる。


 昔から、彩華はこういうキャットファイトを楽しんでいるようだった。それは小さい頃にやった「戦いごっこ」の延長のようなもので。競い合うことに繋がりを見出す行為なのである。


 中学校の時、たった一回だけ。彩華がバスケ部で中総体に出場する一週間前。その時だけ、俺が勝った模試があった。でも、負けても、彩華は悔しがりながらも楽

しそうで。


 俺は負けて、楽しそうになんて出来ない。

 負けは努力不足の証明だから。

 自らに更に激しい努力を課さなければならないという、命令だから。


「前も言ってたけど、次は負けない」


 俺と彩華には、明らかに温度差があった。


 勉強に対する姿勢も、彩華は俺ほどストイックではない。空き時間を上手く利用して、無理なくやっている。勉強時間は大したことはないのだ。でも、俺が夜通しやっても、彩華の数十分には勝てない。

 そもそも彩華は部活をガッツリやるし、友達と遊ぶし、流行りのアイドルのライブに行くこともある。夜は友達とSNSで話しながらお気に入りのドラマをリアルタイムで見るのが習慣だ。あれだけ勉強が出来るにも関わらず、彼女は勉強を人生において重視していない。


 逆に俺は、勉強ばっかりだ。

 敗北感。


「……負けないからな」


 自分に言い聞かせるように、繰り返した。


「私も、負けないよ!」


 彩華は、ほうれん草のごま和えを頬張る。

 今更、この勝負を止める訳にはいかない。勉強のために、彩華に勝つために、俺は多くのものを犠牲にしすぎた。


 やり方を変えようと、眠ろうと眠らまいと。

 俺は、彩華勝つのが目標だ。

 それだけは、きっと変わらない。


 彩華は俺の幼馴染で、子供っぽい女子で、ライバルで。

 俺の、目標だった。


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