第10話 お前が居ないと眠れないのかもしれない

 彩華と点数を見せあった日の放課後。


 空き教室3で、俺は周防に頭を踏まれていた。

 俺は土下座の体勢。周防はというと、スカートの下にジャージの長ズボンというスタイルで俺の頭をぐりぐり足で押しつぶしている。


「周防……」


「なに」


「滅茶苦茶痛い」


 別に俺は特殊性癖の持ち主ではないので、女子に、というか人に頭を踏まれる状況自体、あまりに情けなく、苦しかった。しかも結構痛い。額が固く冷たい床とぶつかって、とにかく痛い。


「痛いのは踏んでる私も一緒だから。どんだけ筋肉痛だと思ってんの」


 そんなことを言いながら、俺を踏む足の力は強くなる。

 周防は怒っていた。


 理由は簡単。

 俺が寝なかったことだ。

 現在二徹状態。それどころか、夜に寝るのを正しい睡眠とするなら、結局病院を出てからまともな睡眠をとっていないことになる。


「私の筋肉痛による苦しみの責任を取ってよ」


 そして、そんな筋肉痛と二徹で苦しむ俺の姿に周防が気付かないはずもなく……。


「いや、本当に申し訳ない……」


「せめて寝ようとはした?」


 踏んでいる足を外して、周防が問いかける。


「……」


 結局、俺は昨日あった事を洗いざらい周防に話した。

 ……夜に全く眠るそぶりすら見せなかったことも含め。


「あっそ。幼馴染の次は女友達ねぇ。女子に弱すぎない?」


「返す言葉もない」


 女子だからというよりかは、アイツらの激励に弱いという表現が正しいが、反論

したら説教が長くなりそうなので止めた。


「ほら、もっと土下座しなよ」


「すいません……」


 周防は再び俺の頭を踏む。


 ガラリ。


 すると、背後で扉の開く音がした。鍵はしっかり閉めたはずなので、こうやって空き教室へ入れる人物は一人。

 冴島先生だ。


「……お前ら、何やってんの?」


 声音だけでドン引きしているのがわかった。


「謝罪です」


「反省を促してる」


 取り敢えず質問に答える。周防も流石に先生の前でこれは不味いと思ったのか、足をどかしてくれた。


 ようやく顔を上げて、振り返る。

 冴島先生は、震えていた。


「不純異性交遊はバレないようにって言っただろうが……」


「いや、そういうんじゃ……」


「お前に分かるか!」


 冴島先生がカッと目を見開く。


「赤ん坊の頃から知ってる女の子が変態プレイをしているのを目の当たりにした男の気持ちが、分かるか!」


「健二」


 後ろから周防の声がした。いつもの間延びした調子とは違う、力のある声。


「きもい」


 冴島先生がしょんぼりした。いや、急に俺の頭を踏み出した周防サイドにも責任はあると思うんだが……。


「まぁ、別に俺には関係ないから良いんだけどよ。そもそもクソ真面目な夜船が何でこんなところに居るのか疑問なんだよなぁ」


 冴島先生は冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、当然のようにちゃぶ台に座った。


「先生はどうしてここに?」


「いや、ちょっと疲れたから、休憩」


 ネクタイを緩めて脱力。どうやらこの部屋は先生の休憩場所としても使われているらしい。


「お、ちゃんと冷えてるな。中古で安く買ったからちゃんと動くか怪しかったけど」


 というか、弱みを握られて仕方なくだと思ってたけど、この人案外ノリノリじゃないか?


 ここにある家電や布団が妙に豪華だと思ったら、冴島先生が自分のためにある程度揃えていたようである。この人転勤を言い渡されたらどうするつもりなんだろう。


「それで、夜船は何でここに居るんだ?」


「まぁ、何というか……寝に来てます」


 なんと言ったら良いのか分からなかったので、なるべく端的に表す。


「寝に来てる!? やっぱり不純異性交遊じゃねぇか!」


「いや、本当に寝てます。睡眠をとってます」


 何か誤解があったようなので、表現を変えて伝えてみた。


「睡眠? あぁ、何かお前、ずっと寝不足そうだもんなぁ」


 冴島先生が腕組みして俺の顔をじろじろ観察してくる。


「分かりますか」


「……まぁ、ちょっと知識があるしな。でも、何でここなんだ? 別に家で寝れば

いいだろ」


 当たり前の疑問だった。


「……家は、ちょっと、落ち着かなくて」


 困った。あまり冴島先生に知られて、大事にされるのは良くない。これが問題になったら、親に報告が行くかもしれない。

 それだけは防がなければ。


「一人暮らしなのに?」


「だからかもしれないです」


「ホームシック的な?」


「……多分、そういうんじゃないです」


 問い詰められて、何だか、自分がこの部屋で一度眠れた理由が、少し分かったような気がした。

 多分、こういうことなのだろう。


「一人だと、色々、考えすぎちゃって」


 口に出してから、思った以上に自分の声音が真剣味を帯びていることに気づく。色々誤魔化そうとしていたのにも関わらず、俺は本心を話していた。


 一人の夜は、怖い。

 闇が怖いのでも、幽霊が怖いのでもない。

 一人になって、手持ち無沙汰になって、その時ふと考える、自分に不都合な事。

 それが俺は最も怖いのだ。


 だから、眠れない。

 眠ることが出来ない。


「ま、何か悩みがあったら相談しろよ。一応担任だからな」


 冴島先生が缶コーヒーを飲み終える。どうやらこれ以上追求する気は無いらしかった。ただ、分厚い眼鏡のレンズ越しに、優しい目で俺を見る。


「はい。その時は、お願いします」


「おう。さーって、会議に行くかなぁ」


 冴島先生はあぐらをかいていた太ももをパンと叩き、勢いをつけて立ち上がる。


「いってらっしゃーい」


「へいへい」


 いつの間にやら寝転んでいた周防に見送られ、冴島先生は部屋を後にした。何だかんだ、大人って頼りがいがあるんだなぁ、とぼんやり思う。


「あの、それで、今日は何かするのでしょうか」


 冷蔵庫からオレンジジュースを取り出しながら、周防に尋ねる。さっきまで怒られていたので、一応敬語だ。


「あ、それ私にも頂戴」


「了解」


 俺はコップにオレンジジュースを注ぐ。

 すると、周防はむっくりと起き上がりその様子をじっと見ていた。


「どうぞ」


 ジュースを渡すと、コップを両手で大切そうに抱えて、ちびちび飲みだした。


「……だってさ」


 それはもう、完全に拗ねた表情だった。


「本人に眠る気がなかったらさぁ、もう無理じゃん」


「……それは、確かに」


 まぁ、それは俺も考えていることだった。いや、確かに俺は夜にきちんと寝たいと思っているし、その気持ちに嘘はないのだが、客観的に見れば俺が本気で眠る気があるようには思えないだろう。


 この二日、俺は周防の厚意を無下にしてばかりだし。


「ていうか、もう今日は筋肉痛で何も出来ないので、ただ眠るだけです。眠る気の無い人は帰ってください」


 周防はジュースを飲み干すと、布団にうつ伏せになって倒れ込んだ。


「……ごめん。本当に眠る気はあるんだけど、どうしても、実際に家で夜になるとそういう気にならないと言うか」


 俺はその背中に言い訳をぶつけた。でも、事実なんだから仕方がない。


「……夜船は、緊張感が足りない」


 枕に向かって話すから、周防の声はくぐもっていた。


「寝ないとね、最悪、人は死ぬんだよ。倒れたんだから、分かるでしょ?」


 周防は、どんな表情をしているのだろうか。


 彼女は俺が思っているよりずっと、俺の睡眠不足を深刻に捉えているようだった。

 実際俺は倒れているのだから、そう考えるのも無理はない。というか、医者に言われるということは、それだけ俺は危険な状態なのだろう。


 応援されたからとか、俺は結局、人のせいにしてばっかりだ。俺がこのまま勉強し続けて、例えば死んだとしたら、悲しむのはきっと他ならない応援してくれた人達なのに。


「……周防」


 反射的に、名前を呼ぶ。しかし、続けられる言葉が見つからなかった。

 多分、今俺は言葉より、行動を求められている。


「おやすみ」 


 たっぷり間を開けて、一言。

 俺は自分の布団に入った。






 目が覚めた。やっぱり、俺は眠ることが出来た。


「夜船、おはよう」


 癖毛の跳ねた部分を左手で触りながら、周防が俺の方を見る。彼女はちょっと前に起きていたようで、ちゃぶ台でせんべいを齧っていた。


「なぁ、周防」


「何?」


「もしかしたら、俺はお前が居ないと眠れないのかもしれない」


「げほっ、ごほっ」


 周防がむせた。

 せんべいの欠片が気道に入ったらしい。しばらく咳き込んで、深呼吸。やっと落ち着いた周防は、俺の目をちらと見た。


「それって、どういう……?」


「自分なりに考えてみたんだよ。この部屋で眠れた原因は何かって」


 前眠れたときは、寝具とかお茶とかの話をした気がするが、そもそも俺は家に居る時、そもそも勉強の止め時を失って布団にすら入らない。じゃあ、何でこの部屋で俺は布団に入れるのか。


 冴島先生と話していて、俺は、自分が家を落ち着かない場所だと思っていることを自覚した。家とこの部屋の一番大きな違いは、恐らく、周防の存在だ。


「多分、止めてくれる人が必要だったんだ」


 それは、とても単純な話。

 俺が勉強をしないよう見張ってくれる周防が居たから、俺は眠ることが出来た。直接、ずっと隣に居てくれたから。


 そもそもこの部屋は周防や冴島先生が休む場所。休むためのスペースだ。勉強をするべきでないスペースとも言える。

 休む場と、休ませてくれる人。それを手にして初めて、俺の精神は休むことへの大義名分を得たのだ。


「俺、毎日ここで寝ていいか? 夜に寝るのは今はまだ無理だから、せめて放課後に数時間寝ておきたい」


 俺は起き上がり、ちゃぶ台に座る。丁度周防の向かい。目を合わせられる位置。


「別に良いけど、ずっとそうやって生活は出来ないからね。私が居ない時とか、土日とか、卒業した後とか、どうするつもり?」


「分かってる。だから、これは応急処置だ。色々家で眠れるよう試してみる。本気で、眠れるように頑張る」


「……なら、私は協力する。もとよりそのつもりだったしね」


 周防が、せんべいの最後の一欠片を口に放り込んだ。


「……周防」


「何?」


「お前、滅茶苦茶良いやつだな」


 それは、純粋な感想だった。

 周防には助けてもらってばかりだ。


「いやいや、先生の弱みを握って学校の一室を支配する女を捕まえて、良いやつってのはちょっとおかしくない?」


「そうかもしれないけど、個人的に感謝してるからな。これからも、お世話になりそうだし」


「……まぁ、でも助けてるのは個人的な理由もあるから」


 周防は何かぶつくさ言っていたが、どう見てもそれは照れ隠しだった。


「何笑ってんの?」


 周防がこちらを睨んでくる。どうやら俺はいつの間にか笑っていたらしい。


「ほら、もうさっさと帰ろ」


 見れば、外はもう薄暗くなっている。かなり眠ったから当然なのだが。


「そうだな、帰るか」


 それから俺達は、大した会話もなく、ただ並んで歩いて帰宅した。

 こうして俺は、夕方に寝て夜は勉強するという、なんとも不思議な生活を始めたのだった。

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