第8話 好きこそものの上手なれ

 何だか乙女の恥じらいを盾に良いようにされている感が否めないが、俺は別のベンチを探すことにした。一番近いのはテニスコートの辺りのベンチだろうか。


「あれ、圭くん」


 ベンチを求めゾンビのように歩いていると、後ろから声がかけられた。


「おぉ、譲葉」


 振り返ると、そこには譲葉が居た。


「どうしたの? 放課後にジャージって……部活にでも入った?」


「えっと……まぁ、色々あったんだけど。最終的には勉強の為だな」


「出た、勉強バカ」


 譲葉がクスクス笑う。正直的を射た表現なので、何も言えない。


「譲葉は撮影か?」


「そうだよ」


 パシャリ。

 大きな一眼レフのカメラで、俺は撮影された。


「頼むから止めてくれ……」


「写真部アルバムに入れちゃおっかな」


 どうやら譲葉は写真部で使う写真の撮影に来たらしかった。そういえば写真の大会に今年初出場するとか聞いたような……。


「俺よりテニス部でも撮ればいいじゃないか? というかそういうつもりで来たんだろ?」


「あー、まぁそうだね」


 テニスコートの方を見ると、女子テニス部が激しい練習を行っていた。いかにも青春という感じで、いい写真が取れそうである。


「ほら、もう一本いくぞ!」


 大会でも近いのか、顧問の冴島先生の指導も心なしか熱が入っているように思える。高校時代テニス部でインターハイに出たとか自慢してたっけ、あの人。

 昨日の周防に完全敗北する情けない姿とは大違いだ。


「はー……」


 ようやくベンチに座って、写真を取る譲葉の姿を見る。

 撮って、確認して、その繰り返し。

 しばらく経つと、ようやく満足したのか、こっちへ歩いてきた。


「結構良い写真撮れたよ」


 そう言って、譲葉は撮った写真を画面に写していく。部員たちの真剣な表情。成功した時の笑顔。ついでに冴島先生の一瞬の間抜け面なんてのもあった。


「いい写真だな……どうやったらこんな写真が撮れるのやら」


「そりゃあまぁ、勉強したしね。夜船のよく言う台詞を借りるなら、努力は裏切らないってやつだよ」


 譲葉は自慢げな笑顔を浮かべた。


「まぁ、でも、それだけじゃ大会は勝てないんだけど」


 譲葉が俺の隣に腰掛ける。


「それは、努力が足りないことの言い訳なんじゃないのか?」


 まるで自分に言い聞かせるように、勝手に口が動いた。人によっては怒られそうな返事だったが、譲葉は依然笑顔のままだ。


「それがさ。あるんだよ。何気なく撮った写真が入賞したりすることって」


「何気なく、かぁ……」


 やっぱり、めぐり合わせとか、偶然とか、才能とか、そういうものがあるんだろうか。

 努力は、目に見える。やっている本人だけは、分かる。

 もし見えない何かが勝敗を決しているなら、それは凄く恐ろしいことだ。だって、自分にはどうしようも出来ないから。何かが足りないことを、自覚すら出来ないし、教えてもらえもしないから。


 パシャリ。


 撮られた俺の顔は、きっと暗い表情をしていただろう。


「何で撮るんだよ」


「撮りたくなったから」


 譲葉は今撮った写真を画面で確認している。急いで撮りすぎたのか、ちょっとピントがズレた、ぼやけた俺が映っている。


「……写真ってさ。一瞬を切り取るものなんだよ。だから、何気なく撮った写真が

良いものだったっていうのは、普通逃してしまうような一瞬を、その人は逃さなかったってことなんだよ。ずっと写真のことを考えて、傍らにカメラを持っていたから、手が勝手に動いて、良い写真が撮れたんだ」


 譲葉が空を見上げる。日が落ちかけた空に、一番星が輝いていた。


「それって、きっと努力なしじゃ無理だよ。写真が好きじゃなきゃ、無理だよ」


 パシャリ。


 一瞬の空模様を写して、譲葉は微笑んだ。


「だから、努力よりも、『好き』は裏切らないってのが私の持論かな。夜船だってさ、勉強が好きだから頑張れてるんでしょ?」


「……勉強が好き、か。あんまり考えたことなかったな」


 自分にとって勉強は、自らの価値を測るものさしだったから。当たり前にある物過ぎて、好きとか嫌いとか考えたことが無かった。


「そうなんだ」


 譲葉が意外そうな顔をする。どうやら彼女的には俺が勉強好きであると決めてかかっていたようである。


「そんなに意外か?」


「いや、だってさ。部活でもなんでも、好きじゃなきゃ、気持ちが続かないでしょ」


「……そういうもんかな」


 ふと前を見ると、テニスコートでは、未だテニス部の練習が続いている。俺と周防を追い越した男子バスケ部も、まだ練習してるんじゃないだろうか。きっと彩華だって、体育館で練習しているだろう。


「あ、こんな時間だ。じゃあね」


 譲葉はすっと立ち上がって、学校へ戻っていった。忙しそうにカメラを抱える姿は、誇らしげで美しかった。


 もしかしたら、いや、きっと。

 譲葉は俺のことを励ましてくれたのだろう。彼女は俺と彩華の関係を知っているから、俺が努力の話に突っかかった意味も、暗い顔をした理由も、全部気づいていたのだろう。


 あぁ、まただ。

 また、空が、雲が紫がかっている。

 もしかしたら、あの男子高校生は、努力すること自体が好きだったのかもしれない。

 好きなものを語る姿だったから、格好良くて、憧れたのかもしれない。


「格好いいなぁ……アイツ」


 俺は、譲葉みたいになれるだろうか。

 何だか居ても立っても居られなくなって、俺は走った。

 夜に近づいたせいか、風が冷たい。でも、頭の中が、身体の芯が熱かった。

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