第7話 運動すれば眠くなる

「夜船ってさぁ。馬鹿なの?」


 開口一番、あんまりな言い草だった。


 空き教室の秘密を知った次の日の放課後。俺はもう一度周防の元を訪ねたのだ。一応、周りにバレぬようこっそりと。


 部屋に入った時こそ歓迎してくれた(寝転がったままではあるが)周防だったが、俺の顔を見るなり眉をひそめ、急に罵倒してきた。


「もう顔見れば分かるよ。昨日寝てないでしょー?」


 間延びした喋り方が、逆にじっくりと俺にプレッシャーをかけている感じだ。というか、実際そうなのかもしれない。


「いや、えっと……寝てないです。はい」


 それどころか、昨日は夕食さえ取らなかった。


「なんで寝なかったの?」


 周防が拗ねたように寝返りを打つ。


 昨日は起きた後バタバタしていたからあまり考えられていなかったが、冷静に状況を把握すると、周防は寝不足で倒れた俺を気にかけて場所を提供し、寝かせてくれたのだ。

 寝るという感覚を思い出させてくれた。

 というのに徹夜で勉強とは、恩を仇で返す行為。

 申し訳ない。


「えーっと……」


 申し訳なかったので、せめて理由は正直に話そうと思った。端的に表すと、そうだな……。


「幼馴染に鼓舞されて……?」


 別に彩華のせいにするわけではないが。原因というとこれ以外に思いつかない。そもそも俺は夕飯を食べて寝るつもりだったのだ。むしろガッツリ寝て、明日良質な勉強で取り返そうと思っていたくらいである。


「ふーん。好きなの?」


 何だかつまらなさそうに周防が聞く。


「いや、多分、好きとかじゃないと思う。小学校の頃とか、好きなのかと思ってたけど、もっとこう、憧れと言うか尊敬というか……」


 今の俺からすれば、正直彩華は恋愛対象としてどうかと言われると微妙だった。それは別に彩華が悪いとかではなく、そういう対象として見るには俺と彼女は距離が近すぎるし、才能は遠すぎる。


「憧れ……? あぁ、朝倉 彩華。滅茶苦茶頭良いんだっけ」


「ずっと寝てるのにそういう噂話はどこから仕入れるんだ?」


「健二」


 冴島先生からか……。あの人の弱みっていうのが何なのかは知らないが、そういう雑談をするっていうことは、やっぱり結構仲が良いんだな。


「入学した時の条件は同じだったはずなんだから、見習ってくれって言われた」


 その時のことを思い出したのか、周防は不機嫌そうな顔を俺に向ける。考えてみれば周防だってこの高校を受験して受かった訳だから、地頭はかなりのものなのかもしれない。


 というか、授業を殆ど寝てるのに二年生に進級した時点で、結構凄い気がする。


「まぁ、つまり夜船が頑張るのって、朝倉さんに勉強で勝つためなんだ。それで、可愛い幼馴染から応援されて、興奮して夜も眠れなかった訳だ」


 周防が制服のリボンを外す。


「何だか物凄く表現に引っかかりを覚えるけど、まぁそういうことだ」


「まぁ、一回眠れただけでハイ解決とは私も思ってなかったけどさ」


 周防がシャツのボタンを一つ一つ外していく。


「……何してんだ?」


 最初は寝る時楽になるように制服を着崩しているのかと思ったが、どう考えても周防は制服を脱ごうとしているようだった。


「いや、努力が云々で精神的に眠れないなら、眠らざるを得ない状況にしようかと」


「それで何故服を脱ぐ」


 周防がゆっくりと立ち上がると、いつ金具を外したのか、スカートがすとんと落ちた。


 視界に入ったのは、紺色。

 学校指定のジャージの、半ズボン。


「運動すれば、眠くなる!」


 周防が勢いよく制服のシャツを投げる。恐らく後ろに投げようとしたのだろうが、変に手に引っかかったのか、俺の顔面にシャツが被さった。

 妙に甘だるい香り。


「あー、畳んどいて」


 真っ白になった視界に、するするとズボンを履く音がする。

 シャツを畳んでやった頃には、周防は長袖長ズボンのジャージ姿になっていた。


「あ、ほんとに畳んだんだ」


「頼んだのはお前だろ。まぁ、一応お詫びの気持ち的な」


「真面目だねぇ……ふわぁーあ」


 周防が大口であくびをする。今日だって授業中ずっと寝ていたはずなのに、まだ寝足りないのかこいつ……。


「じゃあ私、先に行ってるから。はい、これ教室の鍵だから。着替えたら昇降口前に集合ねー」


「ちょ、おーい!」


 俺の静止も聞かず、周防はそのまま教室の外へ出てしまった。まぁ、今日は体育があったのでジャージは持っているが……。

 一つ気になることがあった。


「周防……お前、運動できるのか?」


 俺の純粋な疑問は、一人ぼっちの教室に小さく響いて消えていった。


「おっ、来た来たぁ」


 着替えて昇降口を出ると、周防は少し離れた場所にあるベンチにもたれかかるようにして座っていた。何だか少しの間すら立っていたくないという感じがして、不安になる。


「運動って一体何するんだ……?」


「まぁ、何でも良いよ。別に授業みたいに運動技能を高めるのが目的なんじゃなくて、疲れるのが目的なんだから」


 周防がゆっくりとベンチから立ち上がって、自らの頬をぺちんと叩く。気合を入れようとしたみたいだが、手に力がなさ過ぎてむしろ気が抜けてしまいそうだ。


「まぁでもやれることは限られそうだよな」


 言いつつ、俺は辺りの様子を見る。広い校庭はその殆どがサッカー部と野球部の練習場になっており、使えそうにない。他のスペースでは陸上部やソフトテニス部が練習をしているし、俺達が入る余地はなさそうだった。


「まぁ、道具も何もないし、走れば良いんじゃない?」


 周防は外周から戻ってきた女子バスケ部を見ていた。

 その中の一人には彩華も居る。うちのクラスの女子バスケ部から聞くに、二年唯一のレギュラー入りだとか。滴り落ちる汗が夕陽に照らされて、どうにも眩しくて見ていられなかった。


「じゃあ、走るか」


「大丈夫大丈夫。普段運動を全くしない私達なら、すぐ疲れるから」


 周防はへらっと力なく笑う。正直体育の授業さえ立って寝ている彼女とは一緒にされたくないが、だからといって自分の運動が出来る方ではないので、何も言い返せない。


 そして俺達は取り合えず学校の周りを一周することにした。きっと運動部の人たちからすれば軽いものなんだろうが、普段走ることすらしない人間からすれば、結構な距離だ。


「なんかもう、これは、すぐ、疲れるっ!」


 周防は早くも息切れしており、汗をだらだら垂らしている。


「あー、めっちゃ久しぶりだな走るの……痛い」


 俺は脇腹に激痛が走っていた。


 そんな俺達を横目に、今度は男子バスケ部の一団が凄い勢いで追い越してくる。先頭の二人は仲が良いのか「負けねぇぞオラァ!」「負けたやつがコンビニでアイス奢りじゃボケェ!」と楽しそうに張り合っている。


 同じ人間なのかと思うくらい彼らは早かった。

 どれほど頑張ればあんなに早く走れるんだろうか。


「すげぇなぁ……」


 俺はというと、もう脇腹の痛みが堪えられなくなっており、殆ど歩いているのと変わらない速度だ。


「あー、私もう無理。ここで死ぬわ」


 周防は電柱に寄り掛かって死んだ目をしていた。


「おい大丈夫か……」


「そもそもよく考えたら、夜船が疲れれば良いんだから、私が走る必要なくな

い……?」


 物凄く今更な発言だった。

 じゃあ何で自分からジャージを仕込んだりしたんだよ。周防が面倒くさがり屋なのか何なのか分からなくなってきたぞ……。


「あー、明日絶対筋肉痛やばい。電柱ってひんやりして気持ち良いね……。家に持ち帰りたい」


 遂に周防の口から正気とは思えない発言が飛び出したので、外周はストップ。気が狂う前に救出せねば。


「大丈夫かー。支えてやろうか?」


 取り敢えず少し戻って手を差し出す。俺も支えるほど余裕は無いが、少なくとも歩けない程じゃない。俺のせいでこうなったとも言えなくもないし、手助けぐらいはした方が良いだろう。


「あ……」


 周防が差し出された手を取ろうとする。


「……」


 取ろうとして、止めた。


「え、何」


「……いや、今私、すごい汗まみれだし」


 走るのを止めてもう一分ほど経とうとしているが、周防はまだ呼吸が荒かった。トレードマークの癖毛もじっとりと濡れている。

 この短時間でどれだけ汗をかいたんだ……。


「というか、汗とか気にするならもっと気にする所あるだろ。男子と同じ部屋で寝るとか、寝転がってる時のスカートとか」


 恥じらいの基準がイマイチ分からない。女子ってこういうものなんだろうか。


「……まぁ、夜船は真面目だから大丈夫でしょ」


 体力が回復したのか、周防はよたよたと歩き始める。


「いや、たった二日で俺の何を知ってるんだよ……」


 確かによく真面目とは言われるけど。


「いや、実際何も考えてなかったから、スカートについてはちょっと気をつけます、はい」


 見ると、後ろ姿だったから分かりづらかったが、周防の耳は赤かった。


「指摘されると普通に恥ずかしくなるのか……」


「いちいちそういうの口に出さない。とはいえ一緒に寝るのは夜船に休憩の素晴らしさを教えるのに必須だから、そこは譲れないけどね」


 こいつの休みへのバイタリティはどこから来てるのだろうか。休みへのバイタリティ。物凄く矛盾した言葉だ。


 そして俺達はゆっくりと学校へ戻った。出発したのは正門で、帰るのは裏門。周防が真っ先に最寄りのベンチへ寝転がる。


「俺にも座らせてくれよ……」


「ほら、汗まみれだから」


 隣で密着するのは嫌ってか。

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