第30話 終わらない闇

 どこまでも続く、終わらない闇の中にあたしはいた。


 冷たい壁にとり囲まれて、だんだんと体温を奪われながら、あたしは、ずっと、ずっと、眠っていた。


 だれかがやってきて、あたしの頬にふれた。


 抱きおこすと、両腕であたしをかかえて歩きだした。それでもあたしは、眠っていた。丸くなっていつまでも眠っていた。


   ☊


 だれかがあたしのひたいに触った。あたしはうっすらと目を開けた。フロレンがいた。フロレンはやさしくあたしに微笑みかけていた。


 ああ、フロレン、あたし、とっても長い夢をみていたの。その夢の中であたしはひとりぼっちだったの。ひとりで暗い地下を探検していたの。不気味な怖いものに会ったの。喉が渇いて倒れそうになったの。


 でも不思議な井戸をみつけたの。それから地下のお家で眠る女の人に会ったわ。それからね、地上に出て、あなたが残しておいてくれたもので、カードを貰ったの。カードを使ってアイスクリームを買って、お店でお買いものをしたんだよ。


 それからあたしはどうしたんだっけ? ちょっと待ってね。


 あ、フロレン? どこ? あたしを置いてかないで。フロレン? どこいったの? ねえ、戻ってきてよ。フロレン!


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 あたしは、地下のけものの半身像の前にいた。


 あたしの手には いつのまにかランタンが握られていた。あたしは、けものに近づくとそっと手を触れた。けものはあたしに、よくきたね、っていってくれているような気がした。


 あたしは けものの仲間になれそうだ と思った。胸をそらせて、前足を持ち上げ そうやって動かないまま 暗闇から世界をながめているのは どんな気持ちがするものなのだろう? それは地下室の王さまになったような気分だろうか?


 あたしも そうしていたい。ランタンをかかげて動かないまま この闇の中で朽ちることなく あなたとそうしていたい あなたといっしょなら あたし 寂しくなんかないよ 怖くなんかないよ あなたと同じように 紙とせっこうになるんだ そして いつまでも 同じ格好をして そこにそうしているんだ もう心も 体も どこかへ捨ててきちゃうから 痛みも感じなくなるでしょ


 どうしよう? っておもうこともなくなるでしょ


 のども渇かなくなるし お腹も空かなくなるでしょ ねえ そうだよね あたし あたし ぜんぜん平気だよ 怖くなんか ないよ 苦しくなんか ないよ 心配な ん か してな いよ か 悲 し くな ん か


 でも、どうしてだろう? あたしの喉はしだいにからからになってきた。言葉はつっかえて、出てこなくなった。けものは、じっとあたしを見ていた。あたしは体が震えて立っていられなくなった。膝を折ると両手をついた。ランタンが床に転がった。震えは止まらなかった。あたしは両腕で自分の肩を抱いた。あたしは、震えつづけた。


 その時、けものの前足がやさしくあたしの前髪に触れたような気がした。あたしは顔を上げた。フロレンの言葉がどこからかやってきて、あたしに話しかけた。ふるえる体のなか、あたしはそれを聞いた。どこにいても どんなに離れていても 私はあなたを守るから。


   ☊


 気がつくと、あたしは灰色の部屋のなかにいた。


 部屋にはドアが二つあった。左側のドアには「うえ」、右側のドアには「した」と書かれていた。あたしは、左側のドアに行こうとした。誰かが咳払いをした。


 そして、機械のぶーんという音とともに、こういった。


 こくさいせいしょうねんほごじょうやくのこっかかんひじゅんにより、はつれいされた、ほごきていにより……いいや、そうじゃない。きみは「した」にいくんだ。これは第一しょうにんしゃにより、すでに付託されている。


 あたしはいわれたとおりにした。右側のドアを潜ると、そこは夜のお空だった。お空にはお星さまがいっぱい浮かんでいた。


 その中のひとつがおずおずと近づいてくると、あたしの足元をすまなそうに照らした。あたしは、その星の頭(だと思ったところ)をやさしく撫でると、下にくだる階段を、大急ぎで駆け下りた。


 あたしは、どんどん降りていった。階段は下へ下へと続いていた。やがて雲の切れ間から街の明かりが、はるか下に見えてきた。それでもあたしは、下に向かって降りていった。階段は建物の脇を通りすぎ、舗道に達するとそのまま地下へと潜りこんだ。あたしは、ほら穴のようにつづく階段を下った。手にはランタンが古い相棒のように握られていた。階段は何もない闇の中をなおも下へ下へと下がっていった。気がつくとあたしは螺旋の井戸の階段を降りていた。ぐるぐる回って少しずつ下へ向かって降りていった。


 すぐに光輝く水面が見えてきた。あたしは、水音をたてて足元からその中に踏みこんだ。階段は水の中に潜りこみ、下へ下へと続いていた。あたしの髪の毛がふわりと舞いあがった。着ているパーカがゆらりと揺れた。でも、体は浮きあがらなかった。


 あたしは水の中に沈みながら、階段を下りていった。手に握られたランタンは、周囲の水を、その中にひそむ闇をいつまでも、どこまでも照らし続けた。


   ☊


 どこか、井戸の底の暗がりで、あたしは緑色に輝く小さなものを、泥の中に見たような気がした。それを掴もうとあたしは手をのばした。

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