第22話 孔雀明王

「想像以上にうまく行ったのう。ふはははは」

 サキに憑依したコマは独りごちると、孔雀に乗る、うら若き乙女になった慎一に言った。


「慎一よ、お主は『孔雀明王』になったのじゃ」


「孔雀明王? 強いのか?」


「孔雀は、猛毒の蛇を喰らうのじゃ」


「なるほど、化け猫にしては知恵が回るな」


「お主は本当に口が減らぬ奴じゃ。それからのう」


「それから、なんだ?」


「孔雀明王は、女じゃ。八岐大蛇が好物であろう」


「そうか。俺も囮か」


「そうじゃ。中身はうすら馬鹿の男じゃがな。はっはっはっ!」


「口が減らねえのはお前の方じゃねえか!」

 サキの中にいるコマと孔雀明王に変化した慎一は改めて八岐大蛇に問う。


「八人目の娘に、もう一人オマケを付けるぞ! どうだ? 結界を解くのじゃ。八岐大蛇よ」

 すると、嘘のように「闇」に隙間が出来て、二人は「闇」の中に入る事が出来た。


「さあて、どちらを先に食うかなぁ?」

 山津見神の八番目の娘、櫛名田比売を食い損ねた蛇頭が先の割れた舌を出し入れしながら品定めをして言った。


「おい、お前。図々しい。お前に選ぶ権利などない」

 そう蛇頭の一つが嗜めると、


「ワシがそっちの小さい方を頂く。お前はそちらの孔雀に乗ったほうを食え」


 また、違う蛇頭達が、


「何故貴様に食う権利があるのだ? ここは平等に分け合おうではないか」


「平等などというモノはこの世に存在せぬ」


「俺はそっちの年増が良いぞ」


「生意気抜かすな! 貴様にはこの娘たちは勿体ない。ワシが二人とも頂く」


「とにかく早く選べよ。ウスノロめ」

 などと一人余った慎一扮する孔雀明王をどうするか喧々諤々となった。


「年増とかなんとか、なんか好き勝手なこと言ってるな、アイツら。胴体は一緒でも仲悪いな?」


「まあ、胴では繋がっておっても、頭の中は「個」じゃ。意見が別れても不思議はなかろう。しかし何故長い間一緒にやっておれるのか興味はある」


「まあ仲間割れしている時が狙い目じゃねえのか?」

 そう言って孔雀明王となった慎一は、


oṃオン mayūrāマユカ krānteキランティ svāhāソワカ!」

 と唱えた。孔雀明王の真言である。


 慎一が乗っていた孔雀が美しい翼を拡げて飛翔し、八岐大蛇に襲いかかった。


 慎一達に対面して正面の蛇頭、櫛名田比売を食い損ねた蛇頭を八番目とすると、その後方にいる四番目の蛇頭と、その隣の三番目の蛇頭を食い千切った。


 一瞬の事であった。


 しかし、その刹那、孔雀は黒く俊敏な影によって撃ち落された。


 ーー 八咫烏だ  ーー


「八咫烏よ!邪魔をするでない!」

 コマは叫んだ。


「お前たちがさっき言ったことにも一理あるが、これが今の私の使命なのでね。悪く思わんでくれ」

 一方で八岐大蛇は残った六つの蛇頭が一斉に食いちぎられた痛みから阿鼻叫喚を上げている。


「痛えええ! 貴様、貴様許さぬぞ!」


「殺してやる! 殺してやる!」

 八咫烏は、


「何故結界を解いたのだ。これは迂闊なお前たちに対する報いだ!」

 と怒鳴った。


 胴体が繋がっていても、頭の中は「個」ではあるが、痛みは共有されるようだ。


「ぐぬう、」

 と、ぐうの音くらいは出るが、反論できない。


 慎一は思い出したかのように、


「コマ、サキの中から出れるか?」


「勿論じゃ。」

 コマはサキから抜け出て化け猫に変化し、先ずは失神しているサキを安全そうな場所に移してから、


「お主の相手はワシが致す。」

 と、八咫烏に向かって叫び、背中を丸めて毛を逆立て、爪を立てた。


 完全なる臨戦形態である。


「昔から、猫とカラスは仲が良くないのじゃ。悪く思うな」


「空を飛ばぬお前など、恐るるに足らぬわ!」


「慎一よ、お前は残った蛇頭達を、孔雀なしで何とかしてみい!」


「わかった! そっちは任すぞ!」

 コマは目にまとまらない速さで八咫烏に飛びかかった。


 しかし、八咫烏は翼を二回羽ばたかせて、化け猫に変化したコマの急襲を易々と躱した。


「空を飛べぬ貴様など、恐るるに足らんと言ったはずだ!」


「カラスのおっさん、それはちょっと早計じゃねえか?」

 八岐大蛇を横目に見ていた慎一はニヒルに笑って言った。


 コマは態勢を変えると、垂直に約二十メートル程の驚くべき跳躍を見せ、八咫烏の右翼に一撃喰らわせた。


 慎一は化け猫に変化したコマの実力をよく知っている。


「バカな!」

 八咫烏は想定外の攻撃に躊躇して回避行動が遅れた。


 致命傷を負うのは免れたが、鋭いロクの爪が翼をかすめて、黒い羽根が二、三枚揺れ舞いながら落ちて行く。しかし深手を負わせたわけではない。


 しかも八咫烏に急襲はもう効かない。

 窮したのはコマの方だ。


「無念じゃ。一撃で痛手を与えられなかったのは痛かったのう。」

 八咫烏は「闇」の底に降りたコマの周りを左回りでコマの挙動を眼で牽制しながら飛んでいる。


 コマはコマで跳躍は何度も繰り返せるものではないらしく、八咫烏の動きを監視しながら次の跳躍に向けて力を蓄えているようであった。


 コマと八咫烏は膠着状態に陥った。


 一方、慎一は慎一で孔雀を失い、残る六つの蛇頭に対して攻め手を欠いていた。


「あ、そっか。」

 と何か思い出したように言うと、憑き物が落ちたように慎一の表情が晴れやかになった。


「蛇には蛇だ!」

 慎一は孔雀明王から軍荼利明王に変化した。


 軍荼利とは、とぐろを巻く蛇を指す。


「不細工どもめ!今から退治してやるから待ってろ!」


 《シャ~~、シャ~~》

 憤怒の表情をした軍荼利明王の八臂に巻き付いた蛇が八岐大蛇を見据えて牙を剥いている。


 慎一は、球体の「闇」の頂点あたりにいる八岐大蛇に近づいて行った。


「ガキが! 我ら蛇頭を舐めるな!」


「お前など一噛みで殺してくれる!」


「死ね! 死ね!」

 蛇頭たちは口々に近づいてくる慎一に向って威嚇を繰り返している。


慎一は、印を結ぶ腕を交差し、怯まず突っ込んでいった。

 逆立った焔髻えんけいからは炎が立ち上がっている。


 いつもは甘露軍荼利真言『Omオン amṛteアミリティ hūṃウン phaṭハッタ!』を唱えて圧倒的な力で敵を八つ裂きにするが、今回は印を結ぶ腕以外に持つ武器、金剛しょ金剛鈎かぎかぎ、三叉戟さんさそう輪宝りんぽう羂索けんさくを使ってみようと思った。


 甘露軍荼利真言は体力を著しく消耗させるからだ。


「喰らえ! この野郎ども!」

 と、叫びながら三又に分かれた槍三叉戟をクジャクに頭をつぶされた八番目の蛇頭の左隣、一番目の蛇頭に突き立てた。


「グええぇええェええ!」

 三叉戟の効果はすさまじく、これに突かれた一番目の蛇頭は直ぐに炭化し、ボロボロに崩壊していった。


「次はてめえだ!」

 と言って一番目の蛇の一つ飛ばした右隣、七番目の蛇頭に輪宝を投げつけた。


 輪宝は自ら高速で回転し、敵を散逸することが可能だ。見事に命中し、蛇頭を正面から二つに割った。


 七番目の蛇頭は断末魔のように


「貴様! 殺してやる! 殺してやる!」

 を、切り刻まれても繰り返している。慎一は、軍荼利明王の中で、


「殺されてるのに殺してやるはないだろう」

 と笑いを堪えるのに必死だった。


 そのまた右隣、五番目の蛇頭には羂索けんさくを。投げ縄だ。首に引っ掛け、念を送ると今度はあっけなく石化した。


 二番目の蛇頭には金剛鉤を力任せに刺して引っ張った。蛇頭は無残に胴体から引き離され、「闇」の底に落ち、泡となって溶けて無くなった。


 残るは、六番目の蛇頭のみ。

 手元の武器は金剛杵が残った。


「うらぁ! くらえ! くそったれめ!」

 慎一は金剛杵を振りかざし、六番目の蛇頭に飛びかかった。


 六番目の蛇頭は、金剛杵を噛み砕き、軍荼利明王の宿った慎一の印を結ぶ右のほうの腕に噛み付いた。


「我らを、舐めるなと言ったはずだ!」


「うぐぐぐぅあああぁあ!」

 毒牙にかかった慎一の身体は痺れ始めた。

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