第34話 魔王の息子、お兄ちゃんに戸惑う

「お願い……。そりゃ構わねえけど」


 ゼノスは二つ返事で頷いた。

 愛しい彼女からの頼みである。

 断るという選択肢は最初から存在していなかった。

 

「ありがとう」


 イリスは目に見えて安堵した表情を浮かべる。


「それで、お願いってのは?」


 ゼノスがたずねるが、言いにくいことなのか、イリスはなかなか口に出そうとしない。

 このようなイリスの姿を見るのは初めてのことだった。


「あー……言いにくいことなら、後で聞くけどよ」

「……お兄さまが来るの」

「お兄さま?」


 イリスがこくりと頷く。


「手紙には、お兄さまを魔術学院の視察に向かわせるって書いてあったのよ」


 ――この前の帝国の皇帝が来たときみたいなやつか。

 ん? だけど、イリスの兄貴が来ることと俺にお願いしたいことに何の関係があるんだ?


 目的がただの視察なら、イリスがここまで思いつめた表情をするはずがない。


「私とお兄さまは年齢が八歳離れていて、そのせいかだけ過保護なところがあるの」

「ほんの少し?」

「そう、ほんの少し」


 本当は違うの、といったものを感じる眼差しを向けられれば、言葉通りに信じられるはずがない。

 そもそも、本当に多少過保護なところがある程度であれば、わざわざゼノスにお願いする必要はないのだ。


「あっ! でも心配する必要はないのよ。お兄さまが視察に来るということは近侍きんじの人も来るはずだから。あの人が一緒ならお兄さまが暴走しても大丈夫」


 暴走という言葉に不穏なものを感じたゼノスは思わず頬を引きつらせたが、あえて突っ込むようなことはしなかった。


「イリス様のお兄様ということは、レーベンハイト王国の次期国王ですよね? 確かお一人しかいらっしゃらなかったと記憶していますし」


 一緒に話を聞いていたレティシアが、イリスに問いかける。


「ええ、そうよ。あと数年もしたらお父さまから王位を譲られるのではないかしら」

「それはそれは。イリス様のお兄様なのでしたら、さぞかしお綺麗な方なのでしょうね」

「そうね。顔だけは整っていると思うわ」


 レティシアの言葉を、イリスは否定しなかった。

 顔だけ、というところに何となく悪意を感じる。

 

「ああ。でも、貴女も気を付けた方がいいわよ。お兄さまは可愛い女の子に目がないから――いえ、むしろ貴女とくっついてくれた方が私的にはアリかもしれないわね」

「聞こえていますよ、イリス様」

「あら、ごめんなさい」


 イリスは悪びれた素振りも見せず、鉄壁のスマイルを浮かべていた。

 レティシアが自分の兄とくっついてくれた方が嬉しいのは本当だ。

 そうすれば、ゼノスと結ばれるための不安材料が一つ消えることになる。

 帝国との関係も強くなるし、利点も多い。

 

 ――でもねぇ。

 

 仮にそうなった場合、イリスとレティシアは義姉妹になる。

 つまり、レティシアのことをお姉さまと呼ばねばならなくなるのだ。

 

「……それはいやね」

「何がです?」

「へっ? な、何でもないのよ」


 どうやら口に出てしまっていたらしい。

 いけないいけない、とイリスは頭を振った。

 今はもっと大事なことがあるのだ。

 そう、もっと大事なことが。

 イリスはゼノスを見る。


「ゼノス。お兄さまが貴方にちょっかいをかけてくるかもしれないわ」

「俺にちょっかいを? そりゃまたなんで」

「ええと……」


 イリスは言葉を濁した。

 二人きりならともかく、人の目が多い教室で話すことは難しい。

 何故なら、手紙には魔術学院の視察のほかに、ゼノスがどういう人物かも見極めると書かれていたのだ。


 ――ロゼッタ、貴女いったいどんな報告をしたのよっ。


 イリスは叫びたい気持ちでいっぱいだった。

 ゴブリンの件を報告しているだけであれば、わざわざ見極めるなどといった物騒な言葉は出てこない。

 彼女がゼノスに関して要らぬ報告をしたからこそ、兄がやってくることになったのだとイリスは考えた。


 ちらりとロゼッタに視線をやるが、すまし顔でイリスの後ろに控えたままだ。

 イリスは大きなため息を吐く。


「……とにかく! もし、そうなった場合、レティシアのときと同じことが起こる可能性が高いのよ」

「レティシアのとき……ああ……」


 ゼノスは直ぐに理解した。

 あの時は実力を見たいと言って模擬戦を持ち掛けられた。

 ということは、イリスの兄からも同様に模擬戦を持ち掛けられる可能性があるということだ。


「私のお願いは、その時はいっさい手心を加えることなく、完膚かんぷなきまでお兄さまを叩きのめして欲しいの」

「いいのかよ? イリスの兄貴なんだろ」


 イリスの目は真剣だ。

 元々、相手に花を持たせるといった器用なことはゼノスにはできないし、普通に戦うつもりでいた。

 ただ、イリスの兄であることを考えると、多少ではあるが気を使う部分はある。


「まったく構わないわ。その方がお兄さまにもいい薬になるはずだから」


 イリスがそういうのであれば、ゼノスとしても首を縦に振るしかない。

 ただ、薬といって実の兄を叩きのめして欲しいと言うだろうか。

 あまり仲が良くないのかもしれないな、とゼノスは考えた。


 ――というか、俺はイリスのことをよく知らねえじゃねえか。

 

 出会ってすぐに一目惚れ。

 お互いの気持ちを伝えあったとはいえ、イリスが好きなことが何なのか、反対に嫌いなものや苦手なものは何なのか、全く知らなかった。


「どうかした?」


 ゼノスがショックを受けていることなど知る由もないイリスが、不思議そうに見てきた。


「……いや、何でもねえ」

「そう?」


 今度二人きりになる機会があったら、必ず聞こう。

 そうゼノスは心に誓った。


「で、イリスの兄貴が来るのはいつなんだ?」

「それがね……手紙によると明日みたい」




 ルナミス王国の第一王子が視察にやってくる。

 そのことをイリスから聞いた時のオルフェウス学院長の顔は真っ青になっていた。


 帝国の皇帝がやってきたかと思ったら、期間を空けずに王国の次期国王が視察にやってくるのだ。

 学院を任された身としては胃が痛くなってもおかしくはない。


「……出迎えはイリスくんとロゼッタくん、それとゼノスくんだけでよいそうじゃ。ゼノスくん、くれぐれも粗相のないように頼むぞ」

「おう、任せとけ」

「本当じゃな? 本当に頼んだからの」


 そこまで心配されるようなことはしているつもりはないはずだが、とゼノスは首を傾げる。


 二人の認識に温度差があるのは、第一王子の目的が魔術学院の視察だけではないことを知っているか否かの違いだろう。

 オルフェウス学院長はイリスからゼノスがらみであることを聞かされているが、ゼノスはそのことを知らない。

 ただ、あまりに懇願されるものだからゼノスも頷くしかなかった。




「来たわよ」


 学院の正門前に立っていた三人の前に、一台の馬車が停車した。

 前から御者が降り、扉を開けると、一人の男性が姿を見せる。

 

 その瞬間、辺りに神聖な光が差した――ような気がした。

 光り輝く金色の髪に、同じく金の瞳。

 その姿は、天上界の住人が降臨したかと幻視するほどだった。

 身長はゼノスよりも僅かに高いくらいか。

 纏っている雰囲気はイリスに似ていた。


「イリス!」


 男性がイリスの姿を捉えると、一足飛びに駆け寄った。

 

「会いたかった! お兄ちゃん直ぐに来れなくてごめんな」


 イリスをぎゅうっと抱きしめる。


「気持ち悪い……」


 男性の方は笑顔だが、イリスの方はというとものすごく不機嫌そうだ。

 これは止めるべきなのだろうか、いや、兄妹だし野暮ではないか。

 そんなことを考えるゼノスよりも早く動き出している者がいた。

 男性の後に馬車から降りてきた女性だ。


「オーヴェル様。イリス様が嫌がっていらっしゃいます」

「えー、いいじゃん。久しぶりの再会なんだし。もう少し――」

「ダメです」


 女性はそう言うと、オーヴェルと呼ばれた男性をイリスから引きはがし、腕を後ろに捻り上げた。


「痛っ! ちょ、待って! いたたたたた! ごめん、許して!」

「許しません」


 オーヴェルは何度も許しを請うているものの、女性は手を緩めようとしない。

 先ほどまでの空気はとっくに霧散していた。

 イリスが深いため息を吐いている。


「な、なあイリス。いま関節を極められてる男が、お前の兄貴……なんだよな?」

「認めたくはないけどね……」


 ――マジかよ。


 今度はゼノスがため息を吐く番だった。

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