第12回 シーラカンスの夜

4


それからも二人で壁に凭れてビールを飲み続けた。はるちゃんは眠そうにしながら言った。


「海の底まで行ってん。そこにはな、綺麗な白い椅子があってん。それは私のために待っていてくれた椅子でな。そこに私は一瞬座ってん。そしたらな現れたのは神様じゃなくて、魚やってん。シーラカンス。シーラカンスは浮上の火をくれてん」


「うん」


「シーラカンスは古代の魚やねん。ちょっとだけ怖いねん。大きくてゆっくり泳ぐねん。私はシーラカンスの唇に近づいてしまった。あと、1ミリにあるシーラカンスの唇。どちらが先にキスをしたんだろう?」


「はるちゃん?」


「ううん。同時」


「お互いの愛が生まれたのも同時」


「僕は片思いやもん。パンダを燃やしてばかり」


「うん。けい君?」


「何?」


「待てる?」


「はるちゃんを?」


「そう。私を。くんちゃんのことも終わって、いろいろな壁を乗り越えて、心も新しくなったら、連絡する。きっと。わからんけど。それまで待てる?」


「うん」


「嘘よ。待たなくていいよ。きっと帰らない。今はあっちゃんを守ってあげて」


「うん。もう会えないの?」


はるちゃんはそれには答えず僕に微笑み、僕に言った。


「勃起してるの、バレてるよ」


そうだ。僕ははるちゃんを抱きたかった。竜巻のような愛が押し寄せていた。


「できないよ。生理だもん」


「うん」


それが嘘を言っているのはわかる。はるちゃんなりの傷つけない断り方だろう。


「ソイフレって知ってる?」


「いいや」


「セックスフレンドがセフレ。添い寝フレンドがソイフレ。わかる? 眠たくなった。一緒に添い寝しよう。ここで」


「うん」


「レイプせんといてな」


「わかった。横になって話そうか」


「この部屋はメゾネット。寝室は二階。マットレスと掛け布団を持ち込んでる。ここで何度か泊まるために」


階段を登ると寝室があった。蝋燭はリビングに置いてから、部屋は真っ暗だった。けれど、しばらくして月明かりに目が慣れてきた。雨が上がり晴れたんだろうな。


服を着たまま二人でそこで眠った。まるで夢を見ているような時間。でも指も触れないし、抱き合うこともなく、数時間眠った。


僕が起きるとはるちゃんは、僕のチノパンを下ろして、下着を下ろして、ペニスを優しく舐めていた。温かい唇。僕が射精してしまうと、はるちゃん、僕の顔を覗き込み、微笑んだ。


「けい君、これでいい?」


「でもよかったの?」


「けい君、勘違いしないでね。私は、けい君が、私のこと一目惚れだっていわなかったら‥消えなかったよ。ウザいの、そういう人。でも私、泣いたのよ。失ってしまった。普通の女性ならできる始まりをできなかったことに。今もそう。普通に始められない」


僕は思わずはるちゃんを抱きしめた。


「顔が変わっても、心が傷だらけでも、全部のはるちゃんが、好きだ」


「ありがとう。ウザいよ。さよなら、けい君。それから‥あなたはもっと自分の良さに気づいて」


「何? いいところなんてないよ」


「けい君は不思議な目をしているの。気がついてる? なんだか心には少年がいるのよ。ほんとに困ったことに。少年が見えるの」


「うん」


「不思議な人ね。けい君、と旅に出て、暴いてみたい。けい君、ひょっとして子供時代に何かあった?」


「うん」


「私が見たリセットボタンのその向こうの世界。くんちゃんが見たリセットボタンのその向こうの世界。本当は、ありえない世界。だから言わないでおきたかった。でも、私はけい君だけには言わずにはおれない。こんなシーラカンスの夜だもん」


「うん」


「うん、しか言わないね、いつも。ほんとけい君こそ変わってる」


シーラカンス?

誰が?


【如月みいの詩小説2】


6歳の頃、病院のミスで赤ちゃんの時の取り違えが発覚した。それによって、同じように間違われた6歳の子と交換して、新しい家族と私は生活するはずだった。


そうお互いの家族が決めた。でもその子は事故死してしまった。私は、どちらの家族にもいらない、と言われた。その事故死したお兄さんがいた。

名前はくんちゃん。


デリヘルやってた私。

くんちゃんは抜けない棘が人生にはあると言って、その話をしてくれた。とてもくんちゃんの心の中はその棘が取れなかった。不良もやったし、ボンクラやし、って笑ってた。


私は言った。

実はくんちゃんの妹さんと間違われたのは私。くんちゃんの見た世界と私が見た世界は同じだとわかった時、同時にキスをした。セックス禁止なのに、愛し合った。私が初めて愛のあるセックスをした。とても激しく愛し合った。愛する男の人とのセックスはとても素敵でした。


そうやって愛が始まった。


「嫉妬した?」


「うん」


「勃起しないでね」


窓が明るくなってきた。朝が来たんだ。はるちゃんは1本煙草を吸った。僕は訊いた。


「くんちゃんとは続いたの?」


「3度愛し合って、その時、私達が本番行為をしてることが私を雇っていた怖ーいお兄さんたちにバレた。くんちゃんは逃げた。その時、お酒も飲んでたから人身事故を起こして逃げた。被害者はたいした怪我じゃなかったけど、携帯電話のカメラでくんちゃんの車のナンバープレートを撮っていた。だからくんちゃんは警察に捕まった」


「だとしたら、その怖ーいお兄さんたちがくんちゃん殺しの犯人なの?」


「違う」


「はるちゃんは犯人を知ってるの?」


はるちゃんは首を振った。


二人で部屋を出る。鍵を元に戻す。東加古川の駅前のイートインのパン屋さんで、朝食を食べる。その間、たわいもない会話で笑う。


あれはいつのことだったろう。

忘れてしまっていること。

君が綺麗だったこと。


今でもあの後ろ姿を忘れない。

東加古川駅から神戸に向かうと言って駅に向かうはるちゃんの後ろ姿。

強い後ろ姿。

その強い後ろ姿だけ朝日に輝いていた。


なあ、はるちゃん。

遠野ハル。


どうして僕は彼女を救えなかったんだろう。


どうしてその手を離してしまったのだろう。


君が消えてしまう前に。


【第三部おわり】


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