第7回 存在の石コロ、晴れた海へ

3


早朝、台風の中、大将のお寿司屋に着くともはや、くんちゃんの友達が勢揃いしていた。午前6時ごろで、外は猛雨で、僕の心の中も動揺していた。


くんちゃんは僕の中学時代のひとつ後輩にあたる。とにかく口が悪くて、いつもケンカを起こす。そんな男だった。でもほんとに優しくて大将のお母さんを病院に連れて行ったり、困った人を助けたりもするような一面もある。


「けい君、あんたちょっと座り」


僕はおかちゃん、まえちゃん、とよくん、の座室に座った。おかちゃんが言った。ものすごく身体が大きい中学時代の番長だ。


「いや、不思議な話やねんよ。もう携帯のネットニュースにもなっとるわ。くんちゃんはデリヘル呼んどったみたいやな。それから中学校で死んどる。浜の宮中学。我らが母校よ」


「デリヘルに殺されたん?」


「わからん。でもくんちゃんのことやからいろんなことやっとったと思うよ。でも、けい君、くんちゃんって何者やったんやろ」


「ええ奴でしょ」


「わからんねん。くんちゃんって男が。俺はな。謎やな。いつもビールを車の中で飲んどるしな。それで免停になっても、まだ運転して、人身事故起こして逃げる。でもワシらぁだけや。くんちゃんのええところ知っとるんは。愛すべき奴やった。不思議やな。嫌われとるねんけど、愛さずにおられへん」


おかちゃんはそのあと不思議な話をした。


「デリヘル嬢は姿を消しとる。てもな、なんや引っかかんねん。デリヘルで遊ぶのはくんちゃんのことやから、ようあるんやけど、な、とよ」


とよさんが喋り始めた。煙草を吸いながら。とよさんはイケメンで中学時代からよくモテた。

 

「ちょっと前に人身事故、くんちゃんやりましたやん。それでパクられて裁判ありましたやん。その裁判は証言台にデリヘル嬢が証言したんよ。普通は一般の客の裁判の証言台にはデリヘル嬢は、断ったらええやん。引っかかんねん」


「同じデリヘル嬢かも。くんちゃん、そのデリヘル嬢と何か交流があったんかもしれん?」


まえちゃんが言った。まえちゃんは、コーヒーしか飲まないみんなの一番後輩で、運転手役だ。


「デリヘルか。デリヘルの誰かか」


そこで僕の携帯電話が鳴った。出るとあっちゃんだった。


「くんちゃんの遺体と会ってきた。今、病院の待合室。綺麗な顔しとったわ。くんちゃんが最後に行っとった場所きいた?」


「うん」


「最後に立ち寄った場所がラブホテル。相手はデリヘル嬢。ウチ、なんか今も泣かずにいつもの笑顔のままや。泣きたいのにな。明日も定食屋のバイトいくわ。来てな、けい君」


「大将の店には顔出せへんの? みんなあっちゃん心配しとるよ」


「ええわ。なあ、けい君、ウチもパンダやったんかな?」


パンダやったんかな?


「くんちゃんのとこをもしウチの友達のみいちゃん がとったんやったら、ウチやりきれへんでな。パンダはウチなん?」


「みいちゃん?」


「うん。みいちゃん、生きとった。今は違う顔になって綺麗やよ」


「ほんと?」


「よりによって初めて愛した男がウチの彼氏なんて。とんなドラマチックな展開やねん。みいちゃん」


みいちゃんが現れた?


みいちゃんが初めて愛した人?


明日定食屋に行く約束をして、あっちゃんの電話は切れた。


そうやってこの小さな街の小さな出来事は幸福も不幸も含めて積み重なる。その積み重なりが毎日をつくっていく。「黄金の日々」とは大袈裟なことではなく、小さなことを積み重ねていくことだったよな。


なあ、あっちゃん。


大将の店はそんな中年になった僕たちの終わらない青春があった。二度目の青春かもしれない。


昼になってあっちゃんの定食屋に行く。そこでランチを食べる。あっちゃんはいつものように笑顔で「今日どんな話する?」言って、二人でバカな話をした。あっちゃんは、「よし、これがウチや」とガッツポーズして笑顔になった。


くんちゃんのお葬式が終わり、ある晴れた日に約束通り、ゆいかを海に誘った。


ゆいかは電動車椅子で穏やかな浜辺まで自分で行った。海は太陽に輝き、浜辺でゆいかの作ったお弁当を食べた。サンドイッチ。コーヒー。お煎餅。ゆいかはパンダの着ぐるみのようなスウェットを着ていた。白と黒。フードにパンダの大きな顔がプリントされている。


「あまり喋らないね。けい君。デートの相手にそんな態度とってたらモテないよ」


「嫌いになっていいよ、ゆいか。ただ光った静かな海を見ていたい気分やわ」


「うん。これが海なんやね。それが波っていう奴やろ。そして砂浜。光の粒子が綺麗。絹のように見える」


「君はおじさん趣味でもあるの?」


「ないけと、私、この日が一生で今日だけやって知っとるねん。けい君は今日が終わったら私の前から消えるんやろ。いいや。最初からおれへんねん。夢を私は見てるやねん」


「夢?」


「私は今日もあの自分の部屋に本当はいるの。こんな奇跡おこるわけない。だからここにいる私は不在やねん。透き通った、あらかじめおれへん幻やと思ってたほうがなんとか傷は浅いねん」


「もっと近くまでいく?」


「どうやって?」


僕はゆいかをおんぶして、波際まで近づいた。ゆいかが背中で怖そうに「もっと近く」と言った。


「波打ち際の砂浜は黒いよ、けい君。うわ。けい君、靴脱がんでええのん?」


「いいよいいよ。波はいろんなものを連れてくるよ。貝殻とか、海藻とか、小石とか」


「あ、あれ、あの小石拾って」


それはほんの小さな白い石ころ。拾って、ゆいかに渡した。


「うわ。太陽に渇いてる。そして軽い。うわ。この石に名前をつけようよ、けい君?」


「存在」


「存在?」


「ゆいかはいるよ。ここにいる。幻なんて言うな」


「存在の石ころ」


車の中からまた夕陽に照らされる海をしばらくゆいかと見ていた。僕はいつのまにか流れてくる涙に困った。


「けい君? 泣いとる?」


「うん」


「辛いん?」


「うん」


「どうして?」


みいちゃんが現れたとは言えなかった。友達が死んだとも言えなかった。なあ、ゆいか。みいちゃんが初めて人を愛したとも言えなかった。


初めて人を愛したみいちゃん。

僕ではなく僕の友達。

あっちゃんの彼氏。

がんばれ、あっちゃん。


「私が大人になってもけい君を探さない。でもその時、けい君、どこで何してるんやろ。結婚してるかな。ハゲてるかな。お腹でてるかな。私はあの小さな部屋でこの石ころばかり見てるんやろな。存在の石ころ。海を渡って、深い深い海の底を旅して、今は私の手の中や」


ゆいかにLINEを送ることや、会うことはもうないかもしれない。そんな気がした。一瞬の気持ちが消えた。


「一億光年先あるあの一番星に行きたい」


ゆいかは一番星を見つけて掴み取ろうとする。


ゆいかを家に送り届けた深夜、LINEが入って来たけど、返せなかった。どうしても返せない。返せなかったんだよな。


【さよなら、ありがとう。石ころ、コロコロ。未来まで、石ころ、コロコロ。ゆいか】


どこまで人を愛せるだろう。

どこまで人に優しくできるんだろう。

優しくするって本当は冷たいのかな。


ゆいかも消えてしまった。

もう人が消えるのが嫌だよ。

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