第8回 遠野はる、登場。思わぬ再会

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僕はその夜、夢を見た。

知らない髪の長い女性が出てきた。

女性は自分の髪をハサミで切っていく。

落ちていく髪が花になる。

落ちていく髪は花になっていく。

どうして髪は花になって死んでいくのかな。

どうして髪は花になって枯れていくのかな。

女性はその花を集めると部屋を片隅に飾った。

見知らぬ女性。


見知らぬ女性が入ってきた。


席につき、カウンターに頬杖をついた。あっちゃんは、いらっしゃい、も言わなかった。


「ねえ、隣の人?」


「何?」


「何食べてるの?」


「チャンポン麺です」


ん? この女性が誰であるかでしばらく気づかなかった。綺麗な顔立ち。どこかのお店のホステスさんかな。


あっちゃんが言った。


「言いたいこともいろいろある。訊きたいこともいろいろある。でも今は営業時間。まだ穏やかな昼の始まりやで。揉め事はしたくない。だから料理ができるまで喫煙室に行っとったら?」


あっちゃんは、女性を喫煙室へ向かわせる。女性は喫煙室に向かう。あっちゃんは笑顔がない。


「けい君、ウチが呼んでん」


「誰を?」


「彼女は、はるちゃん。遠野はる」


「うん」


「悪いけどけい君も喫煙室に行って。会っておいで」


事情はわからなかったが、僕は薄暗い喫煙室へ向かった。そこには、はるちゃんがいて、煙草を吸っていた。


「こんにちは。遠野はるさん」


「うん。今はその名前なの」


「え?」


「前は如月みい。けい君は変わらないね」


意味がわからない。はるちゃんは長い髪を掻き上げて、少し顔を上げた。僕はその時、見てはいけないものをみたような、一番見たかったものを見たような気分になった。


「みいちゃん?!」


「うん。でも今は名前を変えた。みいちゃんじゃない。遠野はる」


「遠野はる」


「けい君とは二度と会わないと思ってた」


「綺麗になった」


「ありがとう。綺麗になるより、もはや別人なの。私は遠野はる」


僕は黙って煙草を一本吸った。くんちゃんのことが脳裏をよぎった。たぶんあっちゃんが「あのこと」ではるちゃんを呼び出したんだ。


「今日はどうしたん? あっちゃんの定食屋だよ。あっちゃんに気まづくないん?」


「気まづくない。あっちゃんが怒るのも、気持ちはわかる。かつての友達としては」


「かつての?」


「私は今、遠野はる。海の底の小さな綺麗な椅子に座って浮上して、もどってきた。もはや遠野はる」


「愛の火は見つかった?」


「うん。一瞬」


そこへあっちゃんが入ってきた。お客さんが今はいないという合図だろう。僕たちはカウンターに戻った。あっちゃんは、はるちゃんの隣に座った。


「あっちゃんの負け」


と、はるちゃんが言うと、あっちゃんは、はるちゃんの頬を叩いた。


「いて」


はるちゃんは頬を抑えた。


「ウチの彼氏がよりによってなんで最初に愛した男なんよ! 友達ちゃうん、みいちゃん。なんで取ってまうんよ!」


「私はもうみいちゃん ちゃうよ」


「ようウチの店これたな。そんななんでもない顔して」


「そっちの方がはっきりするやろ。あっちゃんと勝負できるやろ?」


「何よ。勝負ならいつでも買う」


「果たしてくんちゃんは死ぬ前には誰を愛しとったん? あっちゃん知らん? それが知りたいねん、私なん?」


「みいちゃん、ちゃうのん?」


「違うよ」


「じゃ、遠野はる?」


「確かに私はくんちゃんに恋をしたの。だから‥」


「何?」


「生まれて初めて愛した男の人‥」


「あなたがくんちゃんを殺したの?」


「裁判の証言台に立ったわ。最後に抱いたのは私」


「殺したの?」


「違う。それをあっちゃんと探したいの」


「違う?」


「私じゃない」


「だとしたら、誰?」


「それをあっちゃんにはわかってほしいの。私ではない誰か。でもくんちゃんは私が生まれて初めて好きになった男の人」


「許さない。許されへん。絶対」


はるは席を立ち店を出て行った。扉を閉める前、聞こえた。


「バイバイ。ごめん」


はるの後を追いかける気もなく、あっちゃんの涙を見るのも嫌なので、喫煙室で煙草を吸った。煙が辺りを舞い上がるのを見ていた。


燃えていくパンダたち。

僕たちはパンダを燃やしていく。

燃えていく炎。


誰もが誰かを愛し、誰もが誰かを愛してなかった。


遠野はるが現れた。

僕は彼女を好きなのだろうか?

まだ好きなんだろうか?


竜巻のような運命の恋がまた始まろうとしている。


【第2部おわり】

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