第6回 ゆいか、海に行こうな

2


的形という海の近くに車を停めた。

車内から荒れた海をゆいかと見つめた。まるで生き物みたいに波は激しく打ち寄せている。


「これが海。激しく生きてるんですね!」


「もうすぐ台風だから、こんな荒れとるけどね。晴れた日は静かな時もある。太陽が繰り返し寄せてくる波が光って綺麗だよ。晴れた日にまた」


「また? 晴れた日にまた連れてきてくれるん?」


「ええよ。また来よう」


「デート?」


「いやいや、僕はもう42だよ。ゆいかちゃんはまだ14歳だよ。こんなおっさんはただの運転手やよ」


「でも私はデートして、お弁当作って、二人で食べて、そういうのが究極の夢なものだから。擬似でもなんでもいいの」


「そういうのは将来好きな男の子が現れて叶えられるよ。僕は運転手。好きな男の子と叶えな」


「たぶんそういうの、ないもん」


「あるよ。ほらゆっくり海見とき」


海は黒くて、空も灰色で、獰猛な野生の様相で荒れている。ゆいかは目を丸くして、黙って微笑んでいる。ゆいかの瞳は海を見ているというより、死の先を見つめているようだった。いったいゆいかはたったひとりの部屋で何を考え、見てしまったのだろう。


夜が近づいてきたのでゆいかを家まで送り届け、僕も家路に着いた。


家には母親がいた。介護施設からのヘルパーさんが20時にやってきて母親に睡眠薬を飲ませる。そうしないと母親は夜に徘徊してしまう。


もう1年間そういう介護の日々が続いている。母親が真夜中にいなくなると、僕は自転車に乗って辺りを探しまくる。警察からもマークされていて、何度も真夜中に呼び出される。そういう日々。


その夜、僕はゆいかに、【おやすみ】とLINEを入れた。すぐに返信があった。


【ありがとうございました。奇跡的でした】


【よく眠りな。風邪ひくなよ】


【おやすみなさい。約束ですよ。デートですよ】


【運転手だよ。また連絡するねー】


僕はシャワーを浴びてから、しばらく仕事をした。仕事というのはデザインの仕事だ。パソコンを使って家でもできるのでその仕事をしてなんとか暮らしている。


明石に知り合いの出版社があり仕事をまわしてもらう。新刊本の表紙を作ったり、DTPもやる。要は本のデータをまるごと引き受ける。もちろん母親の介護もできるという理由もあるけれど、その仕事が今ところ気に入っている。もちろんヘルパーさんに助けてもらわなきゃすべては成り立たないけれど。


ベッドには入ったものの、なんだか落ち着かなくて眠れなかった。缶ビールを冷蔵庫から取り出して、ベッドに座って呑んだ。その時、ゆいかからLINEが入ってきた。


【私でもあなたを守れるもん】


ゆいかのことを思い出すと胸が痛む。ゆいかは必死に生きているんだよな。また海に行こう。でも、僕は何か忘れている。何かを聞きそびれている。何か大切なことを。


【起きてるの。ゆいかちゃん】


【眠れない】


【君は、パンダを燃やす、って言ったよね。あの言葉は誰から聞いたの?」


【パンダ燃ゆ、って詩小説から】


【ネット小説。携帯小説? 作者は?】


【如月みい。どうかしたの?】


【会ったことあるの?】


【うん。近いもん】


みいちゃんだ。直感でそう思った。心が張り裂けそうだった。朝が来るまでずっと眠れなかった。


だからネットで、「パンダ燃ゆ」を検索して、「カクヨム」というサイトに繋いだ。読んでみる。


「パンダ燃ゆ」


あなたパンダも燃やしたことがないの?

世界じゅうでパンダを燃やしたことがないのはあなただけ

これは私があなたへ送る手紙です

手紙はある日、あなたの家のポストに入ります

秘密の手紙なの

この心の中には秘密の気持ちがあるのです

でもその手紙は死んでいます

あなたは死んだ手紙を読むのです

便箋の文字はあなたが読み始めると消え始める

あなたが読み終える前に消えてしまう

もっと読ませて!

絶叫!

そうです

この物語は白紙

最初から白紙

消えていく文字の羅列

パンダを燃やしたことのないのはきっと世界中であなただけ

動物のパンダではありません

パンダが燃えるお話です

では始めましょう

孤独の証明を

白紙の証明を


そうやって物語は始まっていた。涙が溢れてきた。どこへ消えたんだ? みいちゃん。みいちゃんのぬくもりを思い出す。そのぬくもりにさえ、さよならを言えなかったよな。


早朝、急に携帯電話が鳴った。出るとあっちゃんだった。涙声。いつも笑顔のあっちゃんが泣いている。


「けい君、驚かないで」


「どしたん? あっちゃん」


「くんちゃんが‥」


「くんちゃん? あっちゃんの彼氏の?」


「うん」


「どした?!」


「死んでん」


「どして?!」


「殺された」


運命は回転する。

もう止まらない。もう止まらない。事件はいつも風船がはじけるように起こるのだ。


なあ、ゆいか。海行こうな。

必ず。


僕は携帯電話と財布だけ持って家を飛び出した。

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