第2話 目覚め

 闇に満ちた空間が、一瞬……だけど閃光のように光輝いた。

 そしてその光が治まった時、そこにはどんなに願っても目を覚ましてくれなかった彼女がいた。

 

「ヴァレリー」


 鈴の音のような声が闇に響く。

 夢であることは分かっていた。

 それでも俺は、嬉しかったのだ。


「フィー」


 目尻が熱くなるのを感じながらも、俺はその名を呼んだ。


「あははっ! 何よ、そんな今にも泣き出しそうな顔して!」

「なっ……フィー、お前!!」

「笑いなさいよ! 嬉しい時は、泣くんじゃなくて笑うの! 前にも言ったでしょ? ほ~ら!」

「そ、そりゃそうだけどよ。フィー!」

「まったく……あっ、良いこと思いついた! だったら私が笑わせたげよっか。ほれほれ、ほれほれ~!」


 あははと笑いながら俺の顔を弄りまわすフィー。

 感動の再会的場面を台無しにするフィーにイラつき、つい反射的にその手を乱暴につかみ引き剥がす。

 

「やめろバカフィー!! ったく、大体お前はいつもそうだ。俺が真面目にやろうとしてんのに場を乱しやがって……」  

 

 冷静になった時には時すでに遅し、感情は言葉となって口から出ていた。


「ふふふ、そのあだ名。懐かしいな~。ようやくいつものアンタに戻ったね」

「なっ、フィー……お前。ふっ、あぁ……そうだな。本当に懐かしい。こんな呼び方、学園の時以来だもんな」

「えぇ、本当に懐かしい。……今だから言うんだけどさ、任命式の時実を言うとちょっと寂しかったのよ?」

「寂しかった? なにが」

「えー、分かんないの?」

「うっ……済まん。マジで分からん」

「そっか……。じゃ、特別に教えたげる! 喜びなさいよ~? 私の特別は滅多にないんだから!」


 そう言って、フィーはにぱっと笑う。


「ふっ……へいへい。光栄の至りに存じます。姫殿下?」

「うむ、苦しゅうない!」

「「ぷっ」」 

「あははは!!」

「ハハハハ!!」

「70点ってとこかな?」

「あ? 70点!? そりゃねぇだろ! 幾ら8年ぐらいブランクがあるからって礼儀作法の科目は主席にこそなれなかったがトップ3には入ってたんだぞ!?」  

「へぇ~、通りで」

「あ?」

「安心して。今やってもトップ3にはなれると思うから」

「はぁ? なら、なんで70点なんだよ」

「そりゃ似合わないからに決まってるじゃない! あははっ!! 私ホントは赤点って言うつもりだったのよ? それが50点も上がったんだから喜びなさいよね」

「ぐぬっ! フィー、テメェ……」

「ふふふ、あはは、あははははっ!!」


 俺の反応を面白がってか、フィーは俺の肩をバシバシと叩いて笑う。


「ケッ……フィーこそ姫とはとても思えねぇがな」

「んん~? なんか言った?」


 俺の呟きが聞こえたのか、フィーは俺の耳たぶをガシっと掴みぐいぐいと引っ張る。


「やめろバカフィー!」 


 ガシッとその手を掴み振り払い、額に手を当て小さく嘆息する。


「で?」

「ん?」

「なっ、さっきのだよさっきの! 特別に教えるとか言ってたろ!」  

「あぁ~、そういやそんなことも言ったわね。じゃ、約束通り教えてあげる。アンタが公の場ってことを気にして姫殿下って呼んできたことよ」

「あ? あ~、いやでもアレはしょうがねぇだろ!? 陛下達もいたし……」

「うん。だから私も割り切ってた。仕方のないことだって分かってたし、皆の目がないところならフィーっていつも呼んでくれるしね」

「なら、別にいいだろ……」

「それとこれとは別なのよ! 乙女心は複雑なの!」

「はぁ? なんだそりゃ……。どうしろってんだよ、ったく」


 ふと、疑問が浮かぶ。

 こんな風にフィーと馬鹿が出来たのは、いつぶりだろう。

 そう思うと、このなんでもない会話がどうにも嬉しくて……俺の目尻はまた熱をためだした。


「なに~? アンタまた私に顔弄って欲しい訳?」

「違うわっ!! はぁ……でも、俺ってこんな泣き虫だっけな」


 そう言って俺がポリポリと後頭部を掻きながら記憶を探っていると、


「……ねぇヴァレリー、いつかアンタが約束してくれたこと、覚えてる?」

 

 フィーが先程までとは段違いの真面目な顔でそう質問してきた。


「俺が約束したこと? 覚えてねぇな。どれのことだ?」

「えっ、ひど~い! 私ホントに嬉しかったのよ? アレよアレ」


 あぁ、そうだ……この心だ。

 フィーを殺したあいつへの怨みで忘れていた。

 この心の温かさを。

 また救われてしまったな。

 ……俺は、危うく修羅になる所だった。 

 

 そうだ。その悪戯っぽい笑顔が、嬉しい時に見せる花のような可愛らしい笑顔が、ねだる時の上目遣いが、彼女の全てが、俺をたまらなく魅了するのだ。


「ふっ……冗談だぞ、フィー。俺がお前との約束を忘れる訳ねぇだろ?」

「そう? なら良かったわ。ホントに忘れてたら失望してたもの」


 悲壮感も何もない、なんてことはない会話。

 でもだからこそ俺は嬉しかった。

 

「んっ」


 徐に右手を自分の腰にあて、ニヤリと笑いながら左の握り拳を前に突き出してきたフィー。

 その意図は明らかだった。

 小さく笑い、


「あぁ。任せとけ、約束は必ず守る」


 決意を胸に同じように左拳を構える。

 

「えぇ。任せたわ」

 

 そしてどちらともなく動き出し、軽くコツンと拳をぶつけ合う。

 懐かしいな、本当に……。


 ふと、一筋の光が闇に射しこんでくる。

 その光は、フィーを照らす。


「そろそろ時間ね。ヴァレリー、今度こそあいつを倒してね。そして宴を開くの。かつて私が叶えたくても叶えられなかった夢を、アンタに託すわ。大丈夫、きっとアンタなら出来る」


 フィーの身体が闇に溶けていく。

 ツンツンとした赤髪が、翡翠の如き緑色の瞳が、消えていく。


「ね、ヴァレリー。正直羨ましいけど……」


 


 

 カッ、とまぶたが開く。


「そっちの私のこと、宜しくね。か……」


 約束の記憶が蘇る。

 それは暖かく、俺の心を優しく支えてくれた。


「あぁ、必ず幸せにして見せる。だから、安心しておやすみ。フィー。例えどんなことになったって、必ず俺がお前を守り続けるから」


 その約束は、ありふれたものだった。

 特別なものなんかじゃない。

 きっと結婚するような間柄の男女は誰しもが交わした約束だろう。

 けれどそれでも、その言葉が彼女を喜ばせたのならば、俺の行動で彼女が喜んでくれるのならば。

 何度でも誓おう。

 

「今度こそ、絶対に守るんだ。魔王なんかに……奪わせてやるもんか」


 俺は、決意を新たに自室の扉を開き両親の所へ向かうのだった。

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