第17話


名も知らぬ庭園の四阿に入ったときには白いタッパーのぬくもりは雨に溶け込んでしまい、オムライスは空気の抜けたバルーンのようにしぼんでいた。

 スプーンですくい口に含んでみると、ところどころあたたかい部分もあったが、全体的には冷めていたのですこし味気なかった。口当たりとしては濃厚なケチャップがライスに絡んでいて、ややしつこい感じがした。

 猫さん的にはそれのほうがよかったらしく、たらふく食べて満足げな顔をすると、わたしのとなりの木の椅子に縮まって眠った。よくも悪くも値段相応の味だったなと感想を漏らしながら、わたしはオムライスと一緒に買ったお茶で口直しをした。

 四阿のなかは上から見ると五角形をしていた。中心には焦げ茶色の木でできた円卓がどすんとあって、五つの椅子がまわりに並べられていた。壁面にも腰かける部分があって四阿の大きさからすると、三十人はゆうに入れそうだった。少なくともあすこのビルのエレベーターにくらべると、広々としていたし、そもそもひとがいなかったのでわたしはのんびりすることができた。

 とは言うものの、靴の底を浸してしまいほど本降りになった雨はぜんぜん止んでくれそうになく、とどのつまり庭園をそぞろ歩くことはためらわれた。食べたばかりだし重い腰を上げるのは億劫だった。

 見たようす、庭園は自然豊かで休日なんかに家族連れがピクニックで遊びに来るような光景が目に浮かぶけれど、わたしのところからではひとっこひとり見えなかった。ゴルフ場のグリーンのように平坦にきれいに整備された芝生は雨でびしゃびしゃになっていた。四阿の周辺の芝生には樹木などを刈り込んで作るトピアリーとかいう造形物(動物系が多かった)もあったが、雨に濡れそぼってしまうと、見るにいたたまれないかなしげな風情を醸し出し、残念としか言えなかった。まるで交尾に失敗した雄ゴリラのようだった。

 なんとはなしに、となりでおねむの猫さんの背中を撫でてみる。雨で若干毛が湿気っていた。猫の毛はふわふわだからいいのだ。なんだか猫さんまでかわいそうに思えてしまった。

 雨はつまらないなあ、鬱々とした気分のまま、今日が終わるのはすごくやだなあ、と思った。ちょっと騒がしいところに行きたい、わたしの頭がそうリクエストした。

 騒がしいところ。

 クラブはわたしのガラじゃないし昼下がりではやっていないだろう。映画館は、今の気分ではない。まわりはうるさくていいのだ。雨はいやだから室内がよさそうである。

アミューズメントなんてどうだろう。そこならひともたくさんいるに違いないし、ひとり遊びもできる。あそこの喧騒はふだんの日常にはないから意外と新鮮かもしれない。

そうと決まるとわたしの行動は早かった。さいわい、ここの庭園より一キロ半径以内に大規模なアミューズメントがあることは知っていた。すこし歩けば大きい看板の高い建物が見えるはずだ。

わたしは猫さんを強引に起こし、片腕に抱っこしてふたたび雨のなかを歩きはじめた。完全に眠っていない完全に起き切っていない猫さんは、抱かれたまま、なにが起きたのかわからないという表情でわたしを見上げた。

「なんだ、行くのか、どこか」

 まあ、ちょっとね。おさんぽ。

「お前ってまいぺえすだよな」

 そう? それほどじゃないと思いますけど。

「のほほんとしていて、のろまで、のうてんきで、まるでかたつむりだな」

 そうかなあ。わたし雨の日は動かない人間なんだけどなあ。梅雨もじめじめしたのもきらい。

「俺は水がきらい。それからちょこれえとと人間のにおいがきらい」

 甘いものが好き。かわいいものが好き。

「魚を加工したものが好き。ちょっかいを出したり、いたずらするのが好き」

 感じわるいねえ、それ。ひとをこけにする猫さんがきらい。

「なんだ、昨日のことまだ根に持ってんのか? 気にしすぎだぜ」

 うるさいです。

「そう怒るなよ」

 怒ってないよね。すねただけ。

「屁理屈だろ」

 わたしはいらいらしたので、猫さんを無視することにした。

どうして猫さん相手にかくもむきになっているんだろう。ちっちゃいなあ。すぐ感情的になっちゃう自分、きらい。やさぐれもの、きらい。気分の落差のはげしい自分、きらい。そういうことで後悔する自分、ペケふたつ。

そんなわけで宙にバッテンを大きくふたつ描いてみた。猫さんがその様子を興味深そうに見ていた。

「それ、なんなんだ?」

 これはね、わたしが失敗とかしたときにするやつ。失敗の程度に応じてバッテンの数が増えるようになるの。

「そうするとどうなるんだ」

 とくに意味はないよ。昔からのくせなの。くせ、というか妹とのきまり。わるいことしたら、わるいことしたほうのおなかにバッテンを描くんだよ。妹がいないときは、宙に。

 猫さんはふうん、と微妙な反応だけすると、コートの内側に潜ってしまった。わたしの機嫌がよくないこと察知したのかもしれない。やはり空気を読むのは上手な猫さん。

 どうか、ふところを温めておくれ。


 庭園から離れてだいぶ歩くと、色鮮やかな看板の目立つアミューズメントの建物の前についた。ひとの出入りで自動ドアが開くたび、あらゆるがらくたを打ち鳴らしたような雑音が外にこぼれた。猫さんはどうやらその雑音が気に入らなかったらしく、わたしの胸のあたりから顔だけのぞかせて、頭が割れちまうなどと叫んで両手で耳をふさいだ。

「お前、まさかここに入るつもりじゃなかろうな」

猫さんはおばけ屋敷を目の前にしたみたいに青ざめた顔をした。

 わたしがこくりとうなずくや、猫さんは堪忍してくれと言い放ち、後ろ両脚でわたしの胸を蹴って濡れた地面に飛び降りた。あいた、なにするのよ。

「俺はぜーったいに入らないからな。こんなところにいたら耳がいかれちまう!」と猫さんは言い、わたしに背を向けた。「わるいがここでおさらばさせてもらうぜ」

 あ、ちょっと。ねえ。

「スージーのやつに言われていたんだ。午後から雨降りだからお前に傘を届けに行ってくれ、って。そんで、俺はその任務をとっくに終えた。お前は傘をさしている。これよりあとは俺の自由なんだ。ほんじゃあ」

 猫さんはそう言うと、雨も構わずすたこら逃げて行った。待ってと呼び止める猶予すらなかった。かりに今呼び戻したところで、どうすればよいのか。べつの案を考える? でもそれは猫さんの都合に合わせているだけになる。不本意ではないけれど、はたしてそれでよいのかということを見極めないといけない。

 雨は激しさを増す。

 雨に濡れる猫さんは見ていられない。けれど、もやもやした気持ちを晴らすためにはこの入口の奥に進むほうが断然よい。猫さんは入るのをいやがっている。もはや姿も見えない。せめて雨に濡れてしまうのだけは防いであげたい。

 しかたない。帰るための傘はなくなってしまうけど、背に腹は変えられそうにない。わたしは傘を人目のつかないところに置くことにした。猫さん、どうかそれを使って帰ってちょうだい。この雨であなたに風邪を引いたとなっちゃあ、わたし心配で心配で眠れない。


あなたはとても自由勝手で、あなたにさんざん振り回されたけど、ひとを思いやることのできるすてきな猫さんだったわ。

傘、ありがとう。うれしかったわ。それじゃ、わたし行くね。短い間だったかもしれないけど濃密な時間をともに過ごせて楽しかったわ。

またどこかで逢えたら、たくさんお話しましょう。


Dear Best Cat, Comfortable hole bye.

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