第16話 考えてみれば、戦うのに理由はなかったのだ。

 灰色の空に、黒煙が立ちこめていた。

 その黒煙をかすめるように、白い雪が、横風に乗っていく。

 針葉樹の林は、風にざわざわと騒いでいる。夕方が近いのだろうか?否。まだ朝だ。なのに空は暗い。この惑星の冬の特性だった。

 大半が冬である惑星マレエフの本格的な冬は、色の無い世界だった。雪の白、空の灰色、木々の黒、ただそれだけが複雑で、そして奇妙に単純なコントラストをなしている。

 尤も、その中に居る者にとって、そんなものはどうでもいいことだったが。

 彼は雪の中に落ちた銃を拾い上げようとして、その指先に走る刺すような痛みに、慌てて手を引っ込めた。そしてポケットから既にやぶれかけている手袋を出すと、ぎゅっと音がするくらい強く、その手にはめる。

 冷えすぎた金属は、人工の体温を持った人工の皮膚を破こうとする。


 もうどのくらい、この場に居るのだろう?


 キムはゴーグルを一瞬上げると、そこについた雪を軽く払った。レプリカの目は波長を自由に変えられるし、指向性を絞り込めば、遠くのものも近くのものも自由に見られるから、それはもう、ただ単純に雪よけの役割しか果たしていない。

 長い髪は、あれからずっと、毎日、編まれている。実際、ここ最近の戦闘の日々には都合が良かった。


 マレエフに戻ると言ったのは、彼の首領だった。

 あれからキムは、ハルと直接話すということは殆どなかった。連絡事項は、通信としてのテレパシイで伝えられ、彼はその命令……「命令」ではない命令にただ従っていた。

 船は、一所にとどまったためしはなかった。各地で迫害されている仲間を助け、そのために戦い、集め、そしてまたその地を飛び立つ。その繰り返しだった。

 休む間もなかったし、考える間もなかった。

 キムにとっては好都合だった。それまでさほど考えるなどいうことをしていなかった頭が、奇妙な程考えたがっていた。

 疑問を持つ、ということを覚えてしまったのだ。

 考えてみれば、疑問を持つまでの世界は単純だった。確かに自分は「覚めた」のだが、それでも、その自分を助けてくれた首領へ対して、疑問は持ったことがなかったのだ。


 ―――結局は、価値観を、人間から、首領へ移しただけじゃないか。


 キムは髪を編みながら時々舌打ちをした。

 だけど、だからと言って自分がこの集団に背を向けることができないことも、彼はよく知っていた。

 それが命令のせいでもないことを。


 では俺は何のために戦っているんだろう。


 そのたびその疑問は彼の中に走る。Gが訊ねた、あの質問。

 考えてみれば、戦うのに理由はなかったのだ。

 確かに首領のためという名目はあった。が、それは名目なのだ。


 だって首領に疑問を持っても俺は戦ってるじゃないか。


 問いかける自分に彼はそう答える。

 敵が来る。身体は勝手に動き出す。走り出す。戦闘タイプでもないのに、勝手に。銃を手にし、セラミック刀を握りしめ、その手で「命令」も無しに「敵」を、人間を殺すのだ。

 理由なんてないのだ。そうしなくては、生きていけないから、そうするだけなのだ。

 結局は、それを正当化するためだけに、誰かのためとか何かのためとか理由をつけていたに過ぎない。


 そうだよGに俺は言ってたじゃないか。生きるためにそうするんだよ。それ以外の何だって言うんだよ。


 そして声にならない声で叫ぶ。


 死ぬために戦ってるなんて、俺には判らないよ。


 …………雪が次第に強くなってきていた。

 ここがあの、秋の日に鮮やかな葉で埋め尽くされたファクトリィだと、誰が信じるだろう。舗装された道など、跡形もなく深い雪に埋め尽くされ、一足ひとあしと踏み進む彼の足取りさえおぼつかなくさせる。

 大気は既に氷点をどのくらい下回っているだろう。さすがのレプリカントでも防寒服が十分に必要だった。

 再びゴーグルをかけた目を軽く細める。先ほどから気配がそこらかしこに在るのだ。彼は銃を握りしめる。

 靴底にへばりついた雪が鬱陶しい。溶けることはないのですべりはしないが、次第に靴が重くなってくるのは確実に感じられる。

 だが目的まではまだ距離があった。彼はファクトリイに、必要なものを取りに行くべくここまでやってきていたのだ。

 戻ることを指示したのはハルだった。もうずいぶんの数の「仲間」を集めたが、その多くが至るところに傷を負っていた。その「仲間」の修理のために、必要な物資が彼等の船には足りなかった。

 当然だった。あの時彼等は慌ただしく飛び立ったのだから。必要なものは全て積み込んだように見えても、何かしらの漏れはある。

 行ってくれるな、とハルはキムに言った。

 ああ、とキムは答えた。

 他の答えは考えなかった。それが必要なら、俺はそうしよう。彼はそう考えた。それは誰のためでもなく。

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