第17話 惑星の「冬」の気候と電波障害、そして。

 必要なのは、ファクトリイの中枢部にある倉庫にあると彼は聞かされた。


「結構な距離がある」


 ハルは言った。必要以上の感情は、その言葉の中には含まれていなかった。


「必要なものは、そう多くはない。これだけのHLM、そして今居るレプリカ達の数を考えると、さほどの量は必要ではない」


 そうだね、とキムはその時うなづいた。矛盾しているよ、と内心思いながら。


 だって。


 キムはだがそれは言葉にはしなかった。


 だってあんたは言ったじゃないか。最後には全てが終わるんだって。なのにどうしてこんな、その時を延ばすようなことをわざわざ俺にさせるの。


 残酷だよ、と彼は内心つぶやく。

 必要なものは、ひどく小さな集積回路だという。その必要な量全部と言っても、両手で抱えられる小さな箱一つにすっぽり収まってしまうくらいの。

 彼らはヴィクトール市からやや離れた地に着陸した。この惑星の防衛ラインはもともとさほどのものではない。

 それに加えて、この惑星の「冬」の気候である。そして電波障害である。小さな要素だったが、それを組み合わせれば、大きなカムフラージュになり得る。

 その隙間を縫って、キムはあのファクトリィに近づいていた。ファクトリィは郊外である。近くにあるのは、既に人里とはかけはなれた林や森、そんなものばかりだった。

 森も林も、かつて彼がここに居た時とはずいぶんとその姿を変えていた。

 いやそうではない。針葉樹の森は、決してその姿を一年中変えることはない。変わるのは、周囲の景色であり、それを見る自分の方なのだ。

 吐く息が白く凍り付く。手が凍えて、気がつくと、動きにくくなっている。

 ざくざくと深い雪を踏んで、彼は目的の場所へと近づいて行った。だがその途中で、彼は足を止めた。

 人の気配が感じられた。

 彼は肩に掛けた銃をゆっくりと下ろすと、掴んで走り出した。

 その途端、火線が彼をかすめた。


 ……トラップか?


 そうではないことは、すぐに判った。機械仕掛けではなく、その狙撃手は人間に近い気配をもっていた。あの捕虜と何か似た、あのやや人間とは位相がずれた。

 風が、舞い上がる。頬をかすめるそれは、そのまま空へと舞い上がる。雪が頬にぴしぴしと当たって痛い。痛いほどだ。

 引き金を引こうとして、力が入らず銃が落ちる。

 彼はそれを拾い上げる。あらためて手袋をつけながら。

 人工の体温を一瞬にして奪い去る程の冷たさが、手袋を通して伝わってくる。彼は気配の方向へ引き金を引いた。そしてそのまま、走り出した。

 ああ何て走りにくいんだろう。キムは周囲の気配に気を留めつつ、それでも目的の場所へと足を速めた。靴が重い。風が痛い。視界が、どうしてこんなに狭くなってしまうんだろう。

 自然環境に罵詈雑言を吐いたところでどうにもならないのは判っているが、彼の中でそれは渦巻いていた。


 違う。


 彼は思う。


 どうにもならないから、口惜しいんだ。


 自分が反逆できるものならば、反逆すればいい。だが、こんな自然の姿、降ってくる雪、降ってくる運命、生まれついた運命、そんなものに対しては、ただもう、自分の無力さだけが焼け付くように、そして凍みつくように彼の中の何かを締め付けるのだ。

 彼はただ走った。そして気配の方向を撃った。目的の場所に向けて、一歩でも先へ行こうと、足を進めた。

 だが、奇妙だった。行く場所ごとに、必ず、その気配はするのだ。

 ところが、撃ったときに、それが当たったという手応えはない。確かにそこにそれが居たことは事実。確実にそれは射抜かれている筈なのだ。……普通なら。


 だが。


 彼は急に足を止めた。そして振り返る。背にしてきた景色を、振り返る。

 何か、ひどく、全身に、内側から、妙な触感があった。


 気持ちわるい。


 彼は思った。そして視線を空にやる。無意識だった。

 そして次の瞬間、彼は目に映るもの、ただそこにある現実を初めて疑った。

 黒煙が空を覆っていた。彼がやってきた方向から、それはこの強風に乗って、空を覆い始めていた。煙は、何かが燃えるから出てくるものだ、では何が燃えているの……

 この臭いは、木々の持つそれではない。彼の慣れ親しんだ、機械オイルやガソリンや――― 人工のものが、燃える臭いだった。

 彼は足を一歩踏み出した。


 戻らなくては。守らなくては。


 だがそれを押しとどめる自分も存在した。首領の命令を、守らなくては。自分一人が戻ったところで、状況は変わらない。それなら当初の命令を遂行してからでも……

 考える間は無かった。「気配」の方向から、火線が走り、彼の頬をかすめた。

 凍えた頬は傷ができたことすら気付かせない。火線は、彼の背後に回った。迷う間は無かった。彼は再び前に向かうしかなかったのだ。

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