綴られぬもの――5

 居間を囲う無機質な石壁は絨毯やタペストリーに覆われ、地下である事を忘れさせた。ぽつりぽつりと打ち明けられる事情に皆黙って耳を傾けていた。


「後で調べたらあの事故には不自然な点が多いと知った。乗客の中に狙われそうな人間はいなかったし、フレイヤは直接王宮に報告しようとしていた。それを阻止したい誰かの仕業じゃないかと俺は考えてる」

「王宮に伝えようとしていた内容は分からないのかい?」

 テオは首を振った。

「記録は燃えてしまった。街の人たちから国を売ったと非難されたのは覚えてるが」

「どうして? 頼まれて作品を書いただけなんでしょ?」

 ルシカがショックを受けたように言った。

「何か変わったことを書いたのかもしれない。いつの時代も異端者は受け入れられないからな」

「ま、昔の記録作家は根も葉もない事を言っては民衆を惑わす輩だと思われてたからねぇ」

 ロゼの言葉にテオは俯いた。

「フレイヤは人を困らせるような事はしない。きっと何か……理由があったはずなんだ」

「……」

 扉越しに聞いていたナイトレイドは静かに踵を返した。


「陛下が俺たちを気に掛けてくれていたのは知っていた。でも俺はフレイヤを守れなかったことをいつか責められるのではないかと勝手な不安に駆られていた」

 ヘンドリクセンとは先日の召集で久しぶりに顔を合わせた。フレイヤをうしなった現実が両手を広げて待っているようで、それまでテオは会うのを避けていた。

「……事情は分かった。ひとまずあの男を信用しよう」

 ダンがソファに戻ると紳士は頷き、ナイトレイドを呼びに行った。数分後、ナイトレイドはインバネスを脱ぎ軍服のような黒いコート姿で現れた。階級を表す肩の装飾は無く、紳士と同じ懐中時計の鎖がベストのポケットから見えている。

「聞きたい事があります」

 テオはナイトレイドを見据えて言った。

「足音の一族が国録から消えた理由を貴方は知っていますね」

「何を根拠に」

「それは貴方が前回の国録の執筆者だからです」

 ダンたちが目を丸くする。

「イレイナ・トールド。簡単な文字遊びだ」

 ナイトレイドは肯定の代わりに本棚から分厚い本を出して寄越した。

「当時、近隣の国で稀少な民族を拐う宗教団体がいた。陛下は彼等を守る為に国録から消すよう命じたのだ。歴史には綴られぬものもあるという事だ。今更そんな事を知ってどうする」

「国録を改竄した犯人を突き止めたい」

「今しがた得体の知れん奴に襲われたばかりだろう。ここで大人しくしていろ。俺の仕事を増やすな」

 ナイトレイドは取り付く島もなく言い捨て、出て行った。

「私は隣の部屋におりますのでご用がありましたらお声掛け下さい」

 紳士だけが変わらず丁寧に頭を下げた。



「そういや足音の一族について調べたよ」

 ロゼが堂々と煙草に火を付けた。

「自分達の住む地域以外とはまるで交流がないようだ」

「私もハウイエを調べたわ。足音の一族との関係性は見当たらなかったけど、ここ数年で一部の地域の治安が悪化して傭兵や盗賊が活動するようになったみたい」

「傭兵……さっきの大男、傭兵みたいな格好でしたよね」

 コルルが言う。

「でもハウイエの傭兵が何で私たちを狙うの?」

 テオはおもむろに筆と紙を取り出し、机の上に広げた。じっと空白を見つめ、意識の海に言葉の雨を降らせる。


『何か別の目的があるんだ。調録式じゃなきゃならない理由が』

 調録式。国録の改竄。

『記録作家に謹慎令だ』

『前の時は変な一団が来てたぜ』

 記録作家。足音の一族。

『ハウイエの傭兵が何で私たちを狙うの?』


 五年前と今。消えたものとそうでないもの――。

 テオはカタン、とペンを置いた。


 隣の部屋をノックするとすぐに紳士が扉を開けた。

「陛下が今どこにいるかご存知ですか」

 紳士は懐中時計を軽く自分に向けた。

「もうハウイエの方々とフロイドを発たれたはずです。この後ヨルノリア王宮で晩餐会が」

 テオは歯噛みした。

「狙いはヘンドリクセン陛下です」

「何だと?」

 廊下の先でナイトレイドが鋭く言った。

「伯爵」

 ナイトレイドは黒革のブーツを鳴らして二人の前に立ちはだかった。

「俺だけでなく全ての記録作家に謹慎令を出したのは、ヨルノリアの地域や歴史に詳しい記録作家なら足音の一族による復讐が嘘だと見抜かれるからです」

 テオはナイトレイドを見上げ、自身の推理を話した。

「復讐が嘘なら目的は調録式そのもの。城外で警備が薄くなる調録式で陛下を襲撃するつもりなんです。前の時はいなかった陛下を。国録を改竄したのは記録作家の動きを封じる為で、それでも犯人探しをする俺たちをハウイエの傭兵を使って邪魔した。俺たちや陛下が殺されても、疑いの目はハウイエに向けられる」

「ハウイエではなく内部の者の犯行だと言いたいのか?」

「はい」

「……お前の考えが当たっているかどうかは陛下の安全を確保した後で決める」

 ナイトレイドはコートを翻した。

「待って下さい」

「大人しくしていろと言ったはずだ」

「敵は複数います。それに記録作家を目障りに思っている。俺たちなら何か出来るかもしれない」




 ヘンドリクセンとヴォイドは馬車で河沿いを走っていた。

「先方が機嫌を直してくれて安心しました」

 ヴォイドは向かい合って座るヘンドリクセンに言った。

「オライデン王はそこまで悪い王じゃない」

「そういえば何故あの国録がブルーアイズのものではないと分かったのですか?」

「彼はいつも宮廷に提出する記録にはヨルノリアの紋章を描く。昨日見た国録にはそれが無くてね」

 ヘンドリクセンは微笑んだ。

「それと本人は気付いてないようだが、よくコーヒーの匂いが付いているんだ」

「そうですか」

 ふとヴォイドがヘンドリクセンの後ろを睨んだ。窓越しに見える御者の向こう――前を走る馬車が段々とスピードを落としている。前の馬車には護衛たちやハウイエの招待客が乗っている筈だ。ヘンドリクセンもヴォイドの後ろを見ていた。

「あれは……」

 黒い馬が二頭、この馬車を追うように駆けて来ている。次の瞬間、衝撃音と共にヘンドリクセンは反対側の席に放り出された。パラパラと座席に降り掛かるガラスの破片で馬車が衝突したのだと分かった。

「うっ……」

 どうにか姿勢を変えて正面を向くと恐ろしい光景が目の前にあった。長髪の男がヴォイドの上に覆い被さっている。手には短剣が握られ、ヴォイドは男の下で腕を掴んでいる。

「ヴォイド!」

 ヘンドリクセンは血の気が引くのを感じた。外を見ると前の馬車は倒れ、護衛が数人外に倒れている。切っ先がヴォイドの鼻先を掠る。

 狭い空間で抜けない剣の代わりにヘンドリクセンはガラス片を拾って男の肩口に振り下ろした。男の目がギラリと光り、ヴォイド諸共転がって躱される。その隙にヴォイドは腰の剣に手を伸ばした。男が立ち上がり、ヴォイドが抜き終える前に後ろからヘンドリクセンに振りかぶる。短剣が閃く――。

「ドレク!」

 真っ直ぐに届いた叫び声に引っ張られるようにしてヘンドリクセンは身を屈めた。すかさずヴォイドが短剣を振り払う。ガラガラと音を立てて短剣がガラス片の中に沈む。

「陛下!」

 ナイトレイドが飛び込んで来た。ヴォイドと目配せし、ヘンドリクセンを馬車から連れ出す。ヘンドリクセンが出たのを確認するとヴォイドが反撃を始めた。

「……お怪我を」

 ナイトレイドが血濡れたヘンドリクセンの右手を見て言う。

「いや、大丈夫だ。それよりみんなは」

 ぶつかった馬車の方へ行ってみるとテオとダンが護衛たちの状態を見ているところだった。

「気を失っています」

 テオは気絶させられた御者を御者台から降ろした。

「何故君たちが……」

「ここは危険です。伯爵と逃げて下さい」

「しかし……」

「陛下」

 ナイトレイドが促す。ヘンドリクセンは渋々従い、その場を離れた。


「あいつもハウイエの傭兵か」

 ヴォイドと激しく戦っている男を見てダンが言った。長髪の男はテオたちを襲った男と同じ鎧を着ている。そうしているとドサッと音がし、男が倒れた。ヴォイドが肩で息をしながら仁王立ちしている。

「お前は何者だ」

 男は自分の役割を終えたかのように無表情と沈黙を貫いた。ヴォイドはため息を吐き、拘束しようと膝を屈めた。すると背後で何かを引きずる音がした。

「後ろだ!」

 ヴォイドが振り返ると棍棒を持った大男が立っていた。打撃を剣で受けたヴォイドは吹っ飛ばされ、テオの前で受身を取った。

「あいつ……!」

 ダンは気絶した衛兵から剣を抜き取り、大男の前に出た。ところが大男は倒れた長髪の男を抱えると河岸に停めてあるゴンドラに飛び乗った。

「待て!」

 ヴォイドが起き上がり、追い掛ける。テオとダンもそれに続いた。大男はゴンドラからゴンドラへと飛び移り、その巨体が着地する度に船体が振り子のように大きく傾いた。

 テオは飛び乗った船にあったロープを掴み、大男の足元へ投げた。ロープは足には届かなかったが、代わりに積荷の丸太に引っ掛かった。ぐい、と引っ張ると丸太は次々と河へ落ち、大男の乗った船はバランスを崩して沈み始めた。身動き取れずにいる間にヴォイドとダンが距離を詰め、ついに大男に飛び掛かった。大男が仰向けに倒れ、抱えていた長髪の男が投げ出される。河に落ちる直前でテオが掴み、船に引き上げた。

「はぁ、はぁ……ったく」

 そこへ、一隻のゴンドラが近付いて来た。

「あーあー、びしょ濡れだなぁ。大丈夫かぁ?」

 男の格好をした背の低い女が帽子を脱いで呼び掛ける。

「――ガラード」

 オルゼが笑いながら大男に手を差し出した。

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