綴られぬもの――4

「コルル? レインがどうかしたの?」

 声を聞き付けてルシカたちが戻って来た。コルルは泣き出しそうな顔で叫んだ。

「襲われて怪我したんです!」

 固く締め付けられるような緊張が胃の辺りから迫り上がった。

「二人で銀行を出たら突然大男が襲ってきて……レインさん、僕を庇って」

「コルル」

 テオはしゃがみ、落ち着かせるようにコルルの肩を掴んだ。

「レインの容体は分かるか?」

「ロルグさんは打撲だって……僕、師匠に知らせなきゃと思って――」

 ロルグは医療の心得がある。テオは数秒考えて顔を上げた。

「しばらく記舎には戻らない」

「え?」

「レインが襲われた理由はおそらく持っていた記舎の利用証だ。つまり狙いは記録作家……なのにレインを深追いせず、コルルが記舎からここまで来るのにそいつと会わなかった。もしも俺たちを探しているとしたら、記舎に戻るのはまずい」

「どうする」

 ダンが警戒するように外を見た。

「少し遠いが町境まで行こう。警備がいる筈だ」


 図書館を出たテオたちはなるべく物陰に隠れるようにして移動した。

「分かった事がある」

 テオは歩きながら切り出した。

「五年前――前回の調録式があった頃、稀少な民族を拐う宗教団体が活発に活動していたらしい。もしかするとそれから守る為に地図から消したのかもしれない」

「一族の逆恨みってこと?」

「それはないねぇ」

 ロゼが否定した。

「事情も説明せずにそんな事をすればどうなるか国も分かるだろう。竜の足音をかたどるような誇り高い民族をないがしろにはしないと思うね」

「同感だな」

 ダンは分かりきった風な顔で言う。

「俺ならわざわざ自分たちだと分かるようなやり方はしない。何よりやるなら前回の時に何かしらの行動を起こしてるだろう」

「ああ。犯人は足音の一族じゃない」

 一瞬の静寂がその場に生まれる。風を切り裂くような音がすぐそばでした事に気付いたのは、ダンの「伏せろ」という声がした後だった。

 二メートルはあるだろうか、筋肉隆々の大男が真後ろに立っていた。ところどころに甲冑を付け、手にはたった今振り下ろした鉄の棍棒のようなものが握られている。ダンに押し退けられていなければまともに食らっていた。

 大男が再び棍棒を振りかぶり、一番近くにいるダンに襲い掛かった。ルシカが悲鳴を上げ、ロゼがコルルを自分の背に追いやる。身を捩って避けたダンは何度か大立ち回りをした末、棍棒の上から蹴り込んだ。

「逃げろ!」

 テオたちは一斉に走り出した。先頭をテオ、間にルシカ、コルル、ロゼを挟み、ダンが殿しんがりを務める。テオは辺りを見回した。どこに逃げる? 記舎はダメだ。建物が少ないので隠れられる場所も無い。このまま町境まで行けるか? 甲冑の軋む音が近付いてくる――。

 突如、眼前に布がひらめいた。ダークブラウンのインバネス――袖無しのコートの裾だった。ケープの下からすらりと黒い杖が抜かれ、目を見張る速さで大男の喉元を突く。仰け反る大男を今度は横からなぎ倒し、遂には後ろの河へ突き落とした。

「来い」

 杖をしまった男は短く言った。



 男について辿り着いたのは妙な空間だった。路地の奥に突然現れたそこは平たい石で蓋された井戸だけがあり、遠目からは同じ色の石畳と同化して分からない。男は蓋を開け、井戸の中に入った。


「地下……?」

 ルシカの声が反響する。テオたちは一列になり細い階段を並んで降りた。しばらく進むと白い壁に行き着いた。男が壁を押すと空間が切り取られたかのように明かりのついた部屋が現れた。すると後ろにいたダンが小さく声を漏らし、立ち止まって左腕を掴んだ。

「怪我したの?」

 ルシカの声に男が振り返る。

「手当て出来る者を呼ぶ」

「……お前は何者だ」

 ダンの問いに男はゆっくりと振り返った。鼻先まで掛かる前髪の束が影を作り、藍色の眼光がその奥で座している。

「必要か?」

「最優先事項だ」

「俺は“影の番人”」

 男は黙って聞いているテオに視線を移した。

「お前だろう、ドレクの文通相手は」

「ドレク?」

 ロゼが首を傾げる。

「随分と無様だな……テオ・ブルーアイズ」

「あの、助けてもらって失礼ですが」

「ルシカ」

 テオが小さく制止したがルシカは無視した。

「テオは何度もみんなを救っています」

 男は鼻息で遮った。

「当然だ。何故ならこいつの師は――」

「用件は何ですか」

 テオが静かに発した声に男は黙った。

「上がれ」

 ダンは沈黙するテオの背中を見つめた。


『師が師なら弟子も弟子だな』

『何故ならこいつの師は――』


 テオ、お前の師匠は一体何をしたんだ――?



 案内された部屋は広い居間だった。どうやら地下に丸々家を造っているらしい。ダンはソファで男が呼んだ初老の男に手当てされている。

「骨は折れておりません」

 懐中時計を胸前に飾った正装の紳士がにこやかに言い、少し安堵する。

「コルル、お前は怪我は無いか」

「あ、はい」

 コルルは怯えた表情を隠すように俯いた。

「あの男とは知り合いなのか?」

「いや……でも存在は知っていた」

 ダンは立ち上がり、つかつかとテオの前へ来た。

「何を隠してる」

 テオの透き通った碧眼がダンではない何かと葛藤している。ダンは詰め寄った。

「教えろ」

「やめてダン」

「俺たちにも言えないようなことなのか?」

 ダンの声に滲んでいるのは怒りではなく、信頼されないことに対する屈辱だ。

「……手紙を書いていたんだ」

 薄く呼吸し、テオは口を開いた。

「十六年前から、俺は陛下と手紙のやり取りをしていた」

「まさかドレクっていうのは……」

「陛下だ。俺が文通をやめた三年前、後任が出来たと聞いた。その人物は“夜襲”の異名を持つ貴族で王の『影の番人』だと」

 テオは紳士を見た。

「あの人がナイトレイド伯爵ですね」

「ええ」

 紳士は深く頷いた。

わたくし共は陰から陛下をお守りする為に存在する番人でございます」

「なぜ手紙を書くのをやめた?」

 ダンが訊くとルシカが戸惑いながらテオの顔色を窺った。

「それは……」

「三年前、俺の師フレイヤは汽車の事故で死んだ。いや……殺されたからだ」

「えっ……」

 ルシカが目を見開く。殺されたなんて話は聞いてない。

「危険なことに巻き込みたくないからルシカやあたしらには話さなかった――そんなとこだろう」

 動揺するルシカを見たロゼが言い当てた。

「ああ。もうこの世にフレイヤはいない。誰も彼女の事を覚えていない。それなのに俺がまたその名前を出せば……殺した奴の耳に届くかもしれない」

 ルシカはぐっと唇を結んだ。ずっと守られていたんだ。誰も大切な人を覚えていないなんて、そんな悲しい思いはして欲しくないのに。

「でも……話してくれるんでしょ?」

 昨日、ルシカはトリスタン記舎のことをなぜ今まで言わなかったのかと聞いた。テオの答えは「弱音を吐く場所でかっこ悪いから」だった。でも今はそれだけではなく、安心できる場所になったのだと思う。だから自分たちもその一つになりたい。

「大丈夫だよ。私たち、大事な仲間の事をちゃんと知りたいだけだもの。それだけで悪い人の手なんか、届きっこないよ」

 テオは息を吐き出した。思い出せるうちはまだ悲しい。それでも忘れる事は出来ない。たとえこの先、思い出がすべてその悲しみに染まってしまったとしても――。




 二人に帰る場所というものは無かった。

 世界のほとんどは彼女に教わった。「話し相手がいないから」という理由で孤児みなしごだったテオを引き取り、旅に連れ回したのだとフレイヤは言った。

 フレイヤは記録作家だったが、当時彼女以外にその職業を名乗る者はおらず、あちこちに首を突っ込んでは記録させてくれと強引に仕事にした。仕事があればそこへ行き、無ければフラフラと興味のそそられる場所へ向かった。テオはそれについて行くだけで、二人揃って立派な根無草だった。お互いがお互いの帰る場所。それで良かった。

 三年前、ある仕事を引き受けたフレイヤは北の地で記録を書き終えた後、王宮に向かう為に汽車に乗った。いつもは「仕事はあるうちに貰っておいた方が良い」と持ち帰って来る依頼のうち、彼女が捌き切れない分をテオがやっていたのだが、その時は彼女一人でやっていた。


 北から南へ渡る巨大な橋の上だった。突然地響きがして車体が跳ね上がり、耳を覆いたくなるような轟音と共に汽車は動かなくなった。混乱に陥った乗客たちが声を上げる中、窓を開けて前方を見ると先頭車両がこちらを向いて横たわり、続く車両が橋の外に投げ出されんばかりに繋がっていた。

 信じ難い光景に唖然としていると首根っこを掴まれ、車内に引き戻された。目の前にフレイヤが真剣な眼差しで立っていた。何かを決意したような、覚悟を決めたような、そんな目だった。

 フレイヤは何も言わずテオを引っ張って後列車両へと走った。状況を察した他の乗客たちも同様に傾いた車内を走って行く。テオは後ろを振り返った。前の車両に乗っていた人たちは逃げられただろうか。このまま橋を戻れば助けが来るのだろうか。


 ふと、空気が歪んだ。

 酸素が圧迫されるように一瞬膨らみ、弾けた。熱い風がものすごい力でテオを吹き飛ばした。

「ぐっ……!」

 線路に叩きつけられ、砂利が頬を打つ。

 何だ、何が起きた……?

 テオは痛みに背を丸めながらゆっくりと立ち上がった。



 焦げた匂い、黒煙。あちこちに悲鳴が上がっている。

 高い橋の上を強風が吹き付ける。眼下に見える美しい緑と川とは対照的に、線路の上には焼け焦げて曲がった車体と、鉄の破片が転がっていた。夢でも見ているみたいに剥き出しの現実が突き刺さる。


 そうだ、探さなければ。

 テオはもつれる足で瓦礫の上を歩いた。

「――フレイヤ――……」



「フレイヤ――!」

 はためく白銀も、煌くエメラルドも、もうテオの世界に映る事はなかった。








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