最終話 名もなき魔法

 血と魔力が滾りおる。

 これまでとは、比にならぬ。比べるのも、おこがましい。

 私は女神としまを抱きかかえ、時魔法を発動した。無限の速度で、遠く離れた山の頂へ移動し、女神をそっと寝かせた。台座のような岩の上であった。女神は気を失っておるが、息はある。

 遠くの山から黒い靄が、霧雲のように立ち込めておる。

 あそこに、最終形態へと姿を変えたエウロパがおる。もはや意識はないであろうな。

『やることはわかっているね』

 アランの言葉が、私の頭の中で蘇る。

「ああ、わかっておる」

 エウロパは私にランダム魔法をかけなかった。ならば、戦わずとも、エウロパを取り戻せるやもしれん。

 瞬間的に移動し、目の前の球体を見据える。

 時を止めた世界で動けるということは、あちらも時魔法を使っておるということ。

 私は怖気おじけることなく、声を張り上げる。

「エウロパよ! 聞こえておるか!」

 渾身の発声に構わず、靄が私を吹き飛ばさんとする。

「エウロパ!」

 私は、もう一度、エウロパの名を叫んだ。

 最終形態は完全に自己を失う。だが、私は、エウロパの名を呼び続けた。

「カイザァ……ウェエイブ」

 波動と共に、一瞬にして、黒い靄が霧散する。

 青い空が広がり、ゴウラの山々に燦燦さんさんと太陽光が降り注ぐ。

 私の目の前には、一人の少女が、魂を失った人形のように、宙に浮いていた。見開いた眼は、灰色に濁り、瞬き一つ、見せない。

「エウロパよ。憶えておるか?」

 私は、目の前の少女に問いかけた。

「あのチョコレートを、憶えておるな?」

 私の声は、澄み渡った空気の中に、むなしく響き渡る。

「私は、あのチョコレートの味が忘れられん。お主が忘れておっても、私の心には深く刻まれた。だからこそ」

 そこまで言って、私は言葉を区切った。様々な思い出が、私の脳裏をよぎった。

 チョコレートを食べて、と言ったエウロパの表情。おんぶをした時のあの無邪気な声。ランダム魔法を覚えた時の勝ち誇った顔。そして、花が欲しいと言った、あの姿……。

「だからこそ、お主伝えたい」

 エウロパの瞳に、大粒の涙が輝く。

 私の言葉はエウロパに届いておる。そう感じた。

 私は、エウロパの頬をつたい落ちる一筋の涙を見届け、片手を差し出した。

 そして、エウロパの眼前、そのただ一点に集中し、魔法を発動した。

 ミルク色の柔和な光が、エウロパの目の前に現れ、その暖かな光は、一輪のバラに姿を変えた。

 宙にバラが浮いておる。

 そのバラは、エウロパの瞳に光を蘇らせ、人形のような体に、魂を宿した。

「ダンテ!」と叫びながら、飛びついてくるエウロパを、私はきつく抱きしめた。

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