第34話 ゴウラ

 勇者とカリストの姿はなかった。上空に浮かんでおった円環も姿が見えぬな。ずっしりと重たい感覚も消えておる。

 見れば、そこここに戦闘の跡が残っておる。派手にやったようだな。

 私は魔法を発動し、第二、そして、第三形態へと姿を変える。私を纏う黒い靄を翼に変え、天高く舞い上がる。

 北の方角で、煙が上がっておるようだ。あれは、王都か。円環のような物影が見えなくもない。

 私は四方を見渡した。

 私は赤い球体を探しておった。あの球体は、今しがた、時魔法を発動した。つまり、エウロパが、あの球体におるやもしれん。

 そしてそれは、遠く東の空に浮かんでおった。


 あそこは、ゴウラか。


 ゴウラ。それは、深い雲と霧に覆われた山々の名称。かつて、山の頂には、魔王城がそびえ立っておった。

 私は、空を切り裂くようにゴウラを目指した。

 女神らに忌み嫌われたゴウラは今、山を覆う雲も霧も姿を消しておった。草木の育たない荒れた山肌は、太陽に照らされておるが、長い年月を経て蓄えられた湿度が、なおも土を湿らせておる。

 魔王城は、とうに崩壊した。私が破壊した。最終形態となった私は、全てを薙ぎ払うが如く、暴走した。

 偶然か、それとも私に染み付いた習慣か。どういう理由かはわからぬが、私は、魔王城の跡地を空から見下ろしていた。

 そこには、かの球体があった。

 球体が、鈍く光る。光を私に照射し、こちらを見ておるような、そんな気配すらも感じる。

 点灯していた光が、点滅し、やがて消える。大人しくなったと思った時、あの耳障りな低音と共に私を襲ったのは、山へと引っ張られるような力だった。

 突然の衝撃に、一瞬、球体から目を離す。

 再び、球体を直視した時、夜空に瞬く星のように、無数の光が目に飛び込んでくる。

 カリストの繰り出した光と同じであると認識した時、私は片翼を失った。吹き飛んだ翼を見る暇もなく、続いて、右手が弾け飛ぶ。

「ふん」と鼻で笑いながらも、球体との距離をとる。靄を纏い、闇と同化した私に、もはや実体はない。

「エフレイム」

 エコーがかった私の声が山々をこだまし、無数の火球ひのたまが円盤を包囲する。

 またあの光を浴びぬよう、球体の周囲を高速で飛び回る。

 火炎に包まれた球体は、攻撃はもちろん、動く気配すらもない。

 終いか。

 私は、飛行速度を緩め、球体を観察した。エウロパがおるかもしれない、という思いが、攻撃の手を鈍らせていた。

 球体が僅かに動いた。そう頭の中で理解したとき、球体が破裂し、粉々になった。だが、爆発とは違う。飛び散った破片は、四方八方に飛散し、落下もせず、空中に留まっておる。

 私は、その破片を注意深く見た。

 面妖な光景だ。微動だにしない破片に、生命すらも感じず、気味が悪い。

 破片への警戒を緩め、山の頂に視線を注ぐ。そこには、人らしき輪郭が見える。

 私はそのシルエットを確かめるために、山頂へ近づいた。数多あまたの破片が行く手を遮る。私は邪魔な破片を払いながら、ゆっくりと進んだ。 

 それが、エウロパだとはっきりわかるくらいまでに近づいた時、私は、それ以上接近するのをやめておった。

 エウロパは、泣いていた。山頂に立ち、目を擦っている。泣き声が、聞こえてくるようだった。

 その姿を目の当たりにして、私は確信した。エウロパは、侵略のために、あの円盤を連れてきたわけではない。

 それは間違いない。ただ、問題は、どう声を掛けるべきか。それだけが、わからなかった。

 山頂へ降り立っても、エウロパは相変わらず、泣いていた。

「エウロパよ」と口を開いた時、近くの破片が奇怪な音を立てた。その音が、連鎖するように全ての破片に広がる。その音が鳴り止むのを待たずして、目の前の破片が、突如人型に姿を変える。変形するやいなやそいつは、私に飛び掛かってくる。

 迫りくる人型の破片に動揺することなく、私は深く息を吸い込む。

「……グランドスロウ」

 そう私が叫ぶと、放射状に波紋が広がり、破片共を巻き込む。魔法に掛かった破片は灰色に変色してゆく。

 ほぼ全ての破片が、人型に変形しておるが、どうやら、けたものもはおらぬようだ。容易たやすいな。頭部と思しき部分が赤く光っておる。瞳のようだ。対した防御力ではないが、先ほどの光は厄介だ。

 私は、そやつらの動きを止めた。いや、正確には動作を非常に遅くしたわけだが、ほぼ停止していると言っても過言ではない。

 エウロパの連れてきた物体だ。不用意に破壊はできまい。 

 私は、泣き続ける、エウロパに近づいた。

 どうしたのだ、と優しく声を掛けるべきか。黙って、頭をさすってやるのが良いのか。それとも、何もせずじっと見守るべきなのか。

 私は、うだうだと悩んだが、ついに答えは出なかった。そして結局、エウロパの前で、私はただ立ち尽くすだけだった。

 魔法を解き、元の姿に戻した。般若面は、馴染みもなかろう。

「エウロパよ」

 その声は、エウロパの耳に入らなかったのか。エウロパは泣くのを止めない。

「エウロパよ」二度目のその声は、エウロパの嗚咽にかき消されるほど、小さな声だった。

 そして私は、その場にうなだれた。

「……ダンテ」

 途方に暮れている私を救ったのは、エウロパの声だった。

 その声を耳にし、私はすぐさま片膝をついて、目線をエウロパに合わせた。

「どうした」

 私はそっと、エウロパの腕に触れた。

「ごめんなさい」

「お主が悪いのではない」

 私は勝手に言葉が漏れた。本心であった。

 エウロパは泣きながら謝った。

「サレスへ、戻らぬか?」

 私は立ち上がり、片手を差し出した。エウロパが、その手を、握り返してくれると信じていた。

「メガミ・サンシャイン!」

 魔法を唱える声と共に、真っ白な光があたりを包み込む。その光は、光量を増し、熱を帯びて、私に攻めりくる。

 咄嗟に、私は、エウロパをかばった。油断していたためか、防御魔法もままならなかった。私は、光の直撃を受け、皮膚は焼け焦げ、体からは煙が上がっておる。

「ダンテ!」とエウロパが叫び、戦慄する。

 幸いなことに、エウロパに傷はないようだ。

「大丈夫だ」

 不安そうなエウロパに、私は言った。エウロパの目じりに輝く大粒の涙を、私は拭ってやった。

「何をしているのです!」と叫ぶ声が、背後から聞こえる。聞き覚えのある声だ。

 私は、振り向き、声の主を確認する。

 私から五メートルほど離れた所に、女神としまが、光の矢を構え立っている。その矢じりは、私に向けられている。

「貴様こそ何をしておる」

 私が口を開いたその時、女神が矢を放った。エウロパに向けられたその矢を私は、己の体で受け止めた。

「うっ」と呻き、私は、地面に手を突く。

 腹に突き立った矢を覆うように、黒い靄が、私の体を這い廻る。

「それはこちらの台詞です」

「エレネネウス様! 矢をお納めください」

 勇者が女神を叱咤しったする。私と女神の間に入った勇者は我々を制するように、両手を広げておる。

 勇者の顔がこちらを向く。 

「ダンテ!」

 勇者が叫び声を上げ、近くのエウロパが泣きじゃくる。

 黒い靄は、それでも、どんどんと地べたを這いつくばり、より一層黒さを増す。

 エウロパの泣きわめく声と、アランの怒号が、私の頭の中で鳴り響く。

「今、治してやる」

 焦燥する勇者が、私の体を支える。

 エウロパはまだ泣いている。

 黒い靄は消えない。

 この靄。私のものではない。

 またしても光の矢が放たれた。その矢は、先ほどとは違い、真っ直ぐに進み、エウロパを突き刺した。

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