第14話 美月

 元女神のクレアが小さな声で何かを唱え始める。


 いや今は、力を取り戻しておるから女神なのか。もしかすると、あの年増女神も、一度、女神の力を失い、その、クレアのように何某なにがしかに力を与えられたのかもしれぬ。

 うむ。どちらでもよいか。


 クレアの詠唱に合わせ、地面を這うように、直線や曲線が白く光る。俯瞰すれば一つの魔法陣に見えるのだろう。


 異世界から配達員を転移あるいは転生させるということは、この世界に適任がおらぬということ。

 忙中の女神も、人手が足りず、引退したクレアを担ぎ出したわけであろうな。


 瞳を閉じ、ひたすら何かを唱えるクレアだったが、何の前触れもなく突然沈黙する。詠唱は終わったようだ。だが、魔法陣は白く光ったままで、これといった変化はない。

 暇を欠くため、私はこの空間を見渡した。魔法陣の光によって、前よりもはっきりと、景色が輪郭を表している。

 どうやら、私が立っていたのは大きな円盤だったようだ。宙に浮く円盤か。

 円盤以外には、宙を浮く四角い石板が視界に入る。その石板は一定の距離と角度で並び、螺旋階段を成している。この石板を上がっていけば、出口へと繋がっておるのか。そう思い私は、螺旋状に並んだ石板を見上げた。だが、魔法陣の光が届いておらず、よく見えん。


 今まさに異世界転移しようとしておる者は、魔王軍と勇者軍の戦いで疲弊したこの世界へ転移する。強制的に連れてこられ、復興を手伝わされる。やることといえば、魔力の配達。わざわざ異世界までやってきて配達というのは、さすがに地味で――。


 その時。

 私は、光の柱に包まれ一切の視界を失った。勇者と女神はもちろん、足元の円盤すらも見えない。

 光の中で、私は腕を組み、仁王立ちを持した。

 少しの間そうしておると、光の柱が次第に円盤の中心へと収斂しゅうれんしていく。

 勇者と女神の姿が目視できるようになるほどに光が弱まると、光の柱の中に、人影が見えた。そやつが、五人目。新しい魔力配達のメンバーか。

「はじめまして」とクレアが挨拶する。

 光の柱は完全に消え去り、今はもう、円盤も光を失っている。

 薄暗い空間の中で、転移者が言葉を発する。

「ここは?」

 大きくもなく小さくもないその声は、女の声に違いなかった。下腹のあたりで手を組み、背筋をピンと伸ばしている。委縮する様子のない、堂々とした立ち姿だ。

 クレアがその女に近づき話しかける。

「異世界へようこそ」

「異世界?」

「そうです。私は、元女神のクレア。あなたは?」

「私は美月みつきです」

 美月と名乗るその女の背丈は、クレアよりもやや低い。肩にかかる髪と、露出のほとんどない服装は、わずかな光を全て吸収する黒さである。容姿は、近くに立つクレアと比べると、顔や体型に幼さが残っておる気がしないでもない。

「前の世界では、どういったことをなさっていたのかしら?」クレアがかしこまって尋ねる。

「どうって……」女が首をひねる。「そうですね……。今日は、朝起きて、お花をでました。その後は、お城の者とお話をして、それで、午後においしい紅茶を飲みました」


 我々は、黙って美月とやらの話を聞いていた。

 これといって何もしておらぬな。同じ感想を抱いたのは私だけではなかろう。


「そうこうしているうちに夜になって、寝る前に、古い記録映像を眺めていたら、どいうわけかここに来ていました」

「記録映像って何?」美月の話に、質問を投げかけたのは、勇者だった。

「そうですね」と言いながら、美月は顎に手をやる。「魔法を使った映像なんですが……」

「お主、魔法が使えるのか?」

「魔法? ええ、使えますよ」

 美月がそういうと、彼女のすぐ後ろで火柱が立ち上がった。

 一切の所作を省いた魔法発動。なんの前触れもなく発動された魔法に、勇者もクレアも、感心しておるようだ。

「あっ、後ろに出ちゃった」と美月がいう。「久しぶりなので、しょうがないですよね」

 てへ、と舌を出す美月。

「とても洗練された魔法ですね」

 クレアが嬉しそうに話す。自分が異世界から呼び寄せた女が、相当の強者であることに、喜びを隠せないのだろう。

「はじめまして。僕はアラン」勇者が美月に近づき、握手を求める。「魔法が久しぶりって、どういうこと?」

 勇者と握手を交わしながら美月が答える。

「私達の世界で、今現在、魔法はほとんど使われていません。昔は使われていたようですけど、今は機械文明の方が栄えています」

「お主は、どうして魔法を使えるのだ?」

 当然の疑問であろう。

「私は……、自分でいうのもなんですけど、その……、由緒ある家柄なので」

 言いづらそうにしている美月を見て勇者が助け舟を出す。

「まあいいじゃないか。美月はどこかのお嬢様かお姫様ってとこかな?」

「姫? そんな姫だなんて」美月が頬を染める。


 美月が照れている様子をみると、姫とは呼ばれていないようだが、差し詰め、どこぞのお嬢様といったところか。姫もお嬢も、たいして変わらんかもしれんがな。


「あの、あなたは?」

 美月が、私に手のひらを差し出す。

 うむ。名乗るのを失念していた。

「ダンテだ」

「はじめまして、ですよね」

「ああ」と、私は迷うことなく返事をした。

 全く見覚えのない女だ。

 にも関わらず美月は、暗がりの中、まじまじと私の顔を見ている。視線を私の体へ移したかと思うと今度は、首を傾げ「うーん」と唸り始めた。

「どこかで、見たことあるんだけど……」

 いや、私はない。断言できる。

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