第13話 女神

 そこは、薄くもやがかかり、静かで、冷たい空気が漂う陰気な空間だった。屋外なのか室内なのかもわからぬ。ただ、真っ暗闇というわけでなく、月が優しくあたりを照らすように、ぼんやりと明るかった。

「ここはどこだ?」

「秘密の場所さ」

 私は、言葉の意図を理解できず、眉間にしわを寄せていた。


 秘密の場所? やけにもったいぶった言い方だな。

 なぜこの私をそんな秘密の場所に連れてきたのだ?


「すぐにわかるさ」と勇者が付け加える。

 そういう勇者は、その場に立ったまま動こうとしない。

「ずいぶん陰気な場所だな」

 私はあたりを見回しながら言った。暗がりに目が慣れてきたが、うっすらと立ち込める霧が邪魔をし見通しは悪い。

 すると、どこからともなく、コツコツと足音が聞こえてくる。

 私は耳をすませ、その音を探った。そして、音の源へ顔を向けると、そこには人影があった。

 細い腕とくびれた腰が目立つそのシルエット。

「こんばんは。魔王殿」

 その人影が声を発する。女の声色こわいろに違いない。

「何者だ?」

わたくし、クレアと申します。魔力配達の一員です。よろしくお願いします」

「うむ。ダンテだ」

「はじめまして」と女が会釈する。

 私はその女に目を凝らした。肩に届くか届かないかの髪に、肩を露出した服装。ロングスカートの前は、大きくスリットが入り、長くすらっとした足が、大胆に見えておる。

「クレアは、元女神様だよ」

「元?」

「はい。ある男性と結ばれたので、女神の職を退きました」

 私は元女神という女の口元を見ていた。女神の事情に詳しくない私には、腑に落ちない話だった。

「なぜ女神を辞めたのだ?」

「女神は子を身ごもると、女神としての力を失ってしまうのです」


 ほう。

 ということはだ。

 謁見の間であの女神が発動したメガミ・レコードは、女神にしか使えん魔法のはず。すなわち、あやつは女神の力を失っていない。

 つまり。

 ふっふっふ。やはり、伊達に歳を食っているわけではないようだな。簡潔に言うなれば、行き遅れたおばさん女神といったところか。


 元女神のクレアが話を続ける。

「私は、先の戦役で、愛する夫と子供を失いました」女神がやや俯く。「女神の力を失い、家族も失った私に、エレネネウス様が力を授けて下さいました」

「エレネ……」と私は口にした。

 言いづらく、憶えにくい。ややこしい名だ。

「はい。偉大なる女神さまです」

「謁見の間で、会ったじゃないか」と勇者。


 私の脳裏に、年増女神の姿が浮かぶ。

 あの誰にももらわれなかった女神が、偉大な女神とはな。

 ふん。


「エレネネウス様のお力をお借りして、私は、女神の力を取り戻しました」クレアがゆっくりと話す。「ブランクがあるとはいえ、蓄えられる魔力は、おそらく女神の中でトップクラスです。もちろん、ダンテやアランには、及びませんけどね」

 クレアが口元に笑みを湛える。

 笑顔の美しい女だが、歳はいまいちよくわからない。だが、年増女神よりは間違いなく若々しい。

「エレネネウス様に謁見されたのでしょ?」とクレアが問う。

「ああ」私は頷く。

「どんな方でしたか?」


 女神のくせに年増だった、というのが本音である。

 心に思い浮かんだその言葉を口にしようとしたが、途中で思いとどまった。


「どうしました?」

「いや」私は首を横に振った。「是非ぜひもない」


 この魔王をあれほど下に見る者は、あの女神を除いて、これまでに一人として存在しなかった。もしも、そのような態度を示そうものならば一瞬で灰になっておったであろう。

 だが、私はもう魔王ではない。女神の接し方は私の胸を波立たせおるが、その腹いせに、ここであの女神をこき下ろすべきではない。とはいえ、既に暴言が心に思い浮かんでしまっておるが、理性が抑える限り、不徳とはならぬだろう。


「ところでエウロパは?」勇者がクレアに尋ねる。

「寝てしまいました。疲れていたのでしょう」

「そっか。それは残念」

「何が残念なのだ?」

 この後の展開を知らない私は、勇者の言葉の意味を理解できなかった。

「これから、五人目を迎え入れるからさ」


 それは、魔力配達の五人目であろう。

 これまでのところメンバーは、一人目が魔王、二人目が勇者、三人目がエウロパ、四人目が女神で、残るは二人。そのうちの一人がここに集まるわけか。


「どんなやつなのだ?」

 私の質問に、クレアが答える。

「異世界転移者です。私が今から転移させます」

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