ブリュンヒルデの決断 

「アオイはどうして連れて行ったの?」

「アオイは『カナメ』だからじゃ」

「カナメ?」

「『カナメ』。人魚の歌の力が効かず、なおかつ人間どもの中で、唯一人魚の歌声を向こうとできる「跳ね返し」の声の持ち主である。

 あやつの存在は、我らにとって危険すぎるのじゃ」

「……アオイをどうするつもりだ」

 

 ジークフリートはフレデリックに向けていた怒りの蒼いともしびを、手にしていた炎の枝をうつすように、イザベルへと向けた。

 

「海の生物として飼い慣らし、抵抗すれば殺すだけよ」

 

 イザベルはさも当たり前のことのように、自信のある顔でそう告げた。彼女の睫毛の先に、火が灯ったようにちらつく。その光を、ジークフリートは鬱陶しいと感じる。夏の朝に、直接陽光を目の中に差し込まれたような感覚。

 

 ブリュンヒルデは、薄くくちびるを開いたあと、ぎゅっと強く噛み締めた。隣で蒼白い顔をしているジークフリートの肉のない横顔を見やる。影を纏うほどに、彼はうつくしくなると感じる。ついで、まばたきをひとつ落とすと、真っ直ぐにイザベルを見上げた。

 

「イザベル。お願いがあります。私がアオイの代わりにあなたたちの群れの捕虜になります。なので、アオイたちを地上へと返してくれないでしょうか」


 空間に間が空いた。

 ジークフリートとイザベルが、同時に「あ」の字になって固まったからだ。

 フレデリックは腕を組んで、ふぅ、とひとつ鼻息をこぼした。それが泡の守護の中で溶けて消える。カスターニエも「本気ですか」と一言小さく呟いた。

 ブリュンヒルデは大人たちの様子は気に留めず、花が綻ぶように笑む。まなじりに集まった睫毛の束が、海の底で咲く、金色のガーベラのブーケのようだった。

 

「ローレライの人魚なんて希少だもの。先の戦いで人間と戦って負けた落ちぶれた貴族。一匹で生きてゆくよりも、あなたたちの配下に加わるわ」


 イザベルは瞳の水面を動かさず、じっと怜悧にブリュンヒルデを見下ろしていた。春の空気と、冬の空気が海底で交わっているような温度差だった。


「……人間に飼い慣らされた、人間臭い人魚の小娘を、それも別のコロニーの者を、今更私が快く仲間に加えるとでも思うたか」

 



 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る