悲しい笑い

 イザベルがこちらへ近づいてくる前に、ジークフリートは咄嗟にカスターニエとブリュンヒルデの肩を両手で押し退け、己の背後へ彼女たちを庇った。

 刹那、目の前で大きな音を立てて食器棚が右へ倒れる。海の中なので、床とぶつかって砕けはしなかったが、鈍い音と細かな泡が周囲へと広がっていく。

 ジークフリートは形の良い金の眉が寄せた。


「きゃっ」


 背後でブリュンヒルデが驚いてひるむ声がする。

 食器棚が真横になると同時に、泡立った周囲が落ち着きをみせ、彼らの眼前にイザベルの姿があらわになった。

 腰に両手首を当て、顔を上向かせてその厚いくちびるを引き結んでいる、きりりと釣り上がった黄金色の瞳は切長。それが、彼らの心臓を射るように冷たいが、火の粉を感じさせるような怒りを伴った視線を投げていた。

 眸の中央に弓矢のような細長く鋭利な白い光が真横にスッと通っている。

 前髪はゆるく七三に分けられ、その赤毛には、そって流れるような金の光沢が描かれている。

 瞼の上には人間の女のように厚いアイシャドウが塗られているのだろうか、二重ふたえの間に、夜光貝やこうがいの色がきらめいていた。

 じっと射抜くようにジークフリートたちを見下ろしていたイザベルであったが、やがてどうでもいい、というように、ふんと鼻を鳴らすと、くちびるの端をかすかに上げた。


「見ろディーナー。やはりネズミがいたぞ」

 

 イザベルが尾鰭で、ばんっ、と勢いよく地を叩いた。

 それと同時に、ジークフリートはふたりに置いていた両手をさっと後方へ流すようにすると、片足を前へ極限まで広げて飛び出した。

 ふところから黒い銃を取り出すと、腰を低めてイザベルにその銃口を向ける。

 イザベルはそれを見て、頭に血が上ったようで、顔を真っ赤に染めると、尾鰭を前へ突き出し、まるで回し蹴りをするかのように、ジークフリートの顔を横殴りにした。

 

「ジーク!!」

 

 ブリュンヒルデが飛び出して倒れた彼に寄り添った。


「バカが!! 海の中で陸の飛び道具が使えるとでも思うたかっ!! 見よディーラー、人間が、人魚を庇った!! あの人間がっ、忌まわしき悪魔が……!! あははははっ、あはははっ、あはははははっ……」

 

 イザベルは信じられないものを目にしたとでもいうように、嘲笑を漏らすと、両手を腹に当てて前後に揺れた。

 その笑いは、どこか悲しい色をしていると、カスターニエは感じた。 

 

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