人魚の肩に置かれた手

 イザベルは食器棚に、ジークフリートたちに背を向ける形で伸びをした。


「はぁ……、疲れたから肩が凝ったわい」


 細い両の肩を、上下に動かして、こきこきと鳴らす。

 彼女の肩にかかった紅い髪が、そのリズムに合わせてみだらに揺れる。

 気怠げに眉を寄せて瞼を伏せていたイザベルであったが、頭のすみに電流が走ったように、くわっと目を見開いた。

 彼女の肌から、殺気がほとばしるのを、ジークフリートは目にしたように感じ、咄嗟に身構えた。


「……ディーナー。ネズミが入ってきおったぞ」

「ネズミ……? ははっ、主人あるじは面白いことをおっしゃる。この海底に潜り込めるネズミなんて、超がつくほどに有能でございますよ」

「ああ、その有能なネズミが、この屋敷に紛れ込みおった」


 先ほどと違い、声のトーンを低めて嘲笑するようなイザベルに、ブリュンヒルデはこめかみから脂汗が浮くのを感じた。


(まずい……バレた?)


 ブリュンヒルデはうすくくちびるを開けたが、それは言葉を紡がず、ただ丸の形を保っただけであった。

 イザベルが腰に両手の甲を当ててこちらをくるりと振り返る。

 その表情かおは、先ほどと打って変わっていた。

 眉と目の間に、深く濃い縦皺が刻まれ、眼光は鋭く、獲物を探す狩人のようであった。

 ブリュンヒルデは恐れから、肩をこわばらせ、片手でくちびるを覆う。

 その時、彼女の肩に、ふわりとやわらかいが、確かな重みと熱を持ったものが触れた。半分魚体であるために、高音に弱いブリュンヒルデの体であったが、なぜかその時は、その熱がひどく心地いいと感じた。


「ジーク……」


 横を見やると、ジークフリートがイザベルの方を険しい顔で睨みながら、ブリュンヒルデの小さな肩を支えていた。

 ブリュンヒルデは、彼の痩せた横顔を見て、切ないほどの安堵を感じた。

 イザベルはすぅっと海に漂う空気を集めるように息を吸うと、大声を上げる。


「そこにいるのはわかっておる。ネズミ、姿を見せい!!」


 ブリュンヒルデの肩に置かれた手に、力が込められたのを、イザベルの方を怯えて釘付けになって見ていた彼女には感じられた。

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