小雨の安堵 

 がたり、と扉が開く音で、3人は頬を叩かれたようにはっと顔を上げた。

 きぃという音を立てて、何者かがこの部屋へ入ってくる刹那、カスターニエはその白く細い両腕を広げてジークフリートとブリュンヒルデをかき抱くと、部屋の食器棚の背後にするりと滑り込んだ。

 呆然とするジークフリートとブリュンヒルデに向かい、ひとさし指を唇の前にたて、「しっ」と音を出すかのように歯を見せて沈黙の合図を送る。

 

「ああ、もう! 人間の子供は好き嫌いばかりで嫌になるっ!! なんっで海の幸をあないに嫌がるのじゃっ!!」

 

 彼らが声のした方へ目を向ける前に、何かがどっ、と音を立てて倒れる音がした。

 カスターニエが眉を顰めてふたりを見やり、声にならない声を出す。


(イザベル様が尾鰭でテーブルを蹴り倒したのです)


 ブリュンヒルデとジークフリートは目を丸くした。

 イザベル。

 この人魚の砦の女王。

 彼女がやってきたのだ。怒りを伴って。

 イザベルは己の白い肩にかかった紅いつややかな髪を鬱陶しそうに片手で払うと、その高い鷲鼻を鳴らした。


「ふぅっ」

「イザベル様。別に人間の子供などに好かれなくても良いではありませぬか。腹を満たして、死なない程度に飼い殺せばよいだけです」


 共に部屋に入ってきていた人魚が苦笑いを浮かべながらイザベルを悟す。

 ジークフリートは物陰から彼女らの様子を遠目に確認した。


(おつきの人魚は人間でいうと50代ほどに見える……。イザベルは20代後半から30代か……、イザベル。あれが、この人魚の群の女王)


 白い肌に、銅を磨いたような色をした紅い髪を持っている。髪の光沢は金色で波打つようだった。

 諭すおつきのわずかに老いた人魚を見やりながら白い頬をふくらまし、眉を寄せて睨むようにすねるその様だけを見ると、子供のようにも見えた。


「ふんっ、まあ良いわい」

 イザベルは己を納得させるように顔を揺らすと、ぷい、とおつきの人魚から顔を逸らして離れていく。


(危ない)


 カスターニエはこちらの気配に気づかれることを恐れ、背後のふたりを守るように両腕を広げてさらに壁に押し付けるようにする。

 かすかな衝撃で、ジークフリートは大きな息を歯のすきまから漏らしたが、それはブリュンヒルデの作ってくれた泡の中で溶けて消えていく。

 イザベルは怒りを鎮めるように、部屋をうろうろと歩いているだけであった。

 海の中だと言うのに、暑さを逃すように片腕をひらと顔の横で仰ぐ動作をする。


(双子は死んでない……。この屋敷のどこかに囚われて生かされている……)


 『食べ物を与えようとしている』というイザベルたちの会話の情報からそれを得たジークフリートは心のどこかで乾いていた不安が、小雨が降ったように濡らされていくのを感じ、ゆるく拳を握った。

 

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