イザベルの部屋

 ジークフリートが屋根の上につながる梯子を降りると、かすみのような泡が、足元から彼の胴体へと広がっていった。

 やがて地へ降り立つと、静かに泡たちは消えていく。


「ここが、イザベル様の部屋です」


 上から羽が舞い降りるように、カスターニエの声が聞こえたかと思うと、彼女はいつの間にか彼らの前にいた。人間の貴族の部屋と、作りは同じなのに、カスターニエがうっすらと宙へ浮いているように見えるのは、彼女が海の生物であるからだと、改めて認識させられる。

 白いレースのような尾鰭が、ひらひらと蒼い海の中に漂う。カスターニエが片腕を広げると、まるで客人を屋敷に迎え入れる貴族の館の侍女のようだった。

 伏せていた瞼を上げると、ブリュンヒルデがカスターニエの傍に泳いで近寄る。


「カスターニエ、イザベルや双子は、今部屋にいないみたいだけど」

「……ええ、きっと今はどこか別の場所に移動しているのでしょう。ですが、時期にこちらに戻ってくるはずです」

「そうね」


 ブリュンヒルデはぽってりと厚い桜色のくちびるを軽く引き結ぶ。どうすれば良いのか、考えあぐねているのだろう。


「待つか」


 ジークフリートが言うと、ふたりの人魚はこちらを振り返った。彼女らの白い顔の周囲に細かな泡があぶくのように立つ。


「待つって……イザベルの部屋で」

「危険ではないでしょうか」

「だが、それ以外に方法はあるか? 他の部屋に行こうと扉を開けて、この屋敷の人魚が攻撃してきたら、どうする。それよりも今は無人のこの部屋で自分たちの身を護る術を考えながら、イザベルがあらわれるのを待った方が良いのではないか」

「確かに……そうですね」

「カスターニエ。イザベルは双子に危害は加える気は無いのだろう? 理由は定かではないが」

「ええ、そうだと思います」

「その理由、教えてもらってもいいか」


 カスターニエが真っ直ぐにジークフリートを見返す。

 ジークフリートはずっとこめかみのあたりで気になっていた。アオイのイルカのような咆哮、それで止まった人魚たちの歌声。双子を連れ去ったイザベル。

 多分だが、イザベルの目的はアオイだけにあり、アカネはアオイのそばにいて、巻き込まれた形で共に連れ去られたのだろう。


(カナメと言っていたか)


 カナメ。

 人魚はそう叫んでいた。

「カナメ」というのが、人魚たちにとって何か大事なことなのだろう。

 現に、耳の聞こえないアオイには、人魚の歌声のいざないが通じず、かつ彼の持つイルカのような咆哮は、人魚を怯ませた。


(アオイを手中に収めることが、彼女たちの目的か)


 ジークフリートはようやく話の筋を掴んだ気になった。

 すっと顔を上げた彼の海と同じ色を持つ瞳は、それまでとは別の色合いを含んでいるように、ブリュンヒルデは見えた。

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